【雑記】・「ホルモン教異聞」
今日はとても機嫌が悪いので、連続更新することにする。
前にも書いたかもしれないが、何度でも書く。
YOU(ユー)とはNHK教育テレビジョンで1982年4月10日から1987年4月4日まで、土曜日の深夜に放送されていた若者のトーク番組である。
いきなりウィキペディアから引用してみた。若い人はもうほとんど知らないだろうが、そういう番組があったのだ。
それについて、思い出したことを書きます。
・その1
1982年4月10日から1987年まで、というウィキペディア情報にしみじみしてしまった。あまりに「80年代前半的な番組」だと感慨深くなっったからである。
番組の内容は、糸井重里や荻野目慶子を司会とした、若者に興味のあることを採り上げて考えてみよう、話し合おうといった感じ。
ウィキペディアにあるように、印象としては「真剣10代しゃべり場」、「トップランナー」、「一期一会 キミにききたい!」に近い。というより、これらをごちゃまぜにしたような内容だった。
「しゃべり場」はよくネット上でも揶揄の対象になるが、「YOU」はむしろ「しゃべり場」的なダサさをできるだけ回避しようというサブカル的な外観を持っていた。
題材も、若者に興味のあることイコールサブカルチャーが多かったと記憶している。
というより、この頃は若者文化をテレビで取り上げることそのものがトピックになりえた時代である。
しかし、私はこの「YOU」という番組が嫌いだった。
新聞のテレビ欄を見て、興味のひかれる内容だと思って観ると必ず失望した。
理由は、「若者の志向を最終的に大人がコントロールしようとする」ように見えたからである。
今でも覚えているのは、「就職」をテーマにした回で、就職活動について研究している大学のサークルが出たとき。
「面接の受け答えの仕方を研究している」ということで、タレントとか学生の就職に関する専門家(先生だったかだれだったか忘れた)の前で、そのサークルメンバーが面接の受け答えをする。
そりゃふだん研究しているのだから、嬉々としてやりますよメンバーは。
そうしたら、ゲストの先生だかタレントだかが、
「世慣れている感じがして良くない。学生の初々しさがない」
とか言って文句をつけてた。
これでは面接の受け答えをやらされた就職研究サークルは、完全にバカである。
・その2
そして大学サークルの特集のとき。これまたいろいろなサークルがスタジオに参集している中で、「ホルモン教」というサークルがあった。
もちろん「モルモン教」のもじりで、内容はホルモンを食う団体だったかまったく関係ないんだか忘れたが、小太りの学生がキリストみたいな扮装をしていたのを覚えている。しかも彼は部長ではなく、単なるにぎやかしだったはず。
かつては「大学生文化」というものがあり、「フィーリングカップル」や「ラブアタック」といった視聴者参加型のお見合い番組というか、恋愛のエンターテインメント化を目指した番組にはたいてい、「大学生」が出演していた。
おいおい、高卒は出演できないのかよ、とは今考えると思うが、おそらく出演者を大学サイドにグロスで発注していたんじゃないか? その方が手間がかからないから。それと、若者文化の中心が大学にあったからで、深い意味はないとは思うけどね。
ちなみに、「大学生文化」はまず男子学生が脱落し、女子大生ブームが起き、さらに女子大生も文化の牽引役から降りて、ギャルブームとなっていくのだがそれはまた別の話。
さらに、あくまでもバラエティ調だった「恋愛をゲームっぽく楽しむ」番組は「ねるとん紅鯨団」を契機に「人間関係サバイバル」の要素をむき出しにしつつ、「あいのり」にまで至るのだがそれもまた別の話。
とにかく、「政治の季節」が過ぎ去り「大学のレジャーランド化」と言われた頃の大学生は、バカと冗談をひたすらに繰り返していたわけだ。
また話がそれるが、その知的極点が「折田先生」の銅像パロディであり、白痴化の極が「スーパー・フリー」であろう。
さて、そんな状態だったから大学サークルといっても変なものがいっぱい出てきて、そうした冗談文化の所産の最たるものとして「ホルモン教」があったという流れである。
で、サークル紹介のときにはまた和気藹々と冗談を飛ばしていた学生たちだったが、このときもゲストのタレントが「ホルモン教とかいってふざけていて、中身がない」などと批判したんだよね。
それで今でも印象に残っているのが、それに対してマイクを持って、「ホルモン教」の教祖コスプレをした男性が、真顔で反論したんですよ。
でもそれをやってしまうと、正直その段階で「ホルモン教」の冗談は崩壊してしまうじゃないですか。
「私たちは、こんな面白いことをやっています」って説明するようなものだし、説明したら終わりだよね。
まあ、挑発に乗るような雰囲気があったのかもしれないとも思うし、YOUにのこのこ出演しにやってくるというのは、冗談を貫徹できない人たちだったのかなとも思うけど。
とにかく、「YOU」っていう番組は、若者に自由にやらせてみて、若者が場を与えられたと思い込んで喜んで主張すると、それを当時の花形文化人やタレントが批判して、そこからディスカッションになる、というような感じだった。
それが私にとっては、とてもダサかった。
80年代という時代、現在と比較すれば、20歳の人間がやっていることを30歳の人間が理解できないのは当然のことだった。
当時、オトナと若者とで話し合ったって相互理解などできない、ということを自分は感じ取っていたのだと思う。
ディスカッションにはたいてい結論など出ないのだが、それにしても番組主催者側の「大人」がなんらかのコントロールをしようとしていたのは明白だった。
・その3
そこで書籍「おたくの起源」で読んだ、「愛國戦隊大日本製作者と、ある活字SF同人誌との論争」が「ほとんど論争にならなかった」という話を思い出すのだ(ネット上では、山形浩生がゼネプロ側で反論したと書かれていて驚いたのだが、いちおう「論争としては成立しなかった」ことを前提として話を進める。
要するに、「愛國戦隊大日本」という「冗談」に、反論してきた人に対して本気で反論してしまったら、それは「大日本」の冗談性を大きく減じることになる。だからこそのかみ合わなさであり、断絶であったと思うのだ。
80年代前半の若者の冗談文化は、彼らのセンパイたちの、生真面目な態度へのアンチだった。
なぜ冗談を飛ばすことが、なぜナンセンスに徹しきることが先行世代への「アンチ」になりえるかの説明はここではしないが、彼らが今ではもう50代にさしかかり、今度は下の世代から「生真面目な、冗談文化を否定する人たち」が現れていることを感じずにはいられない。
もちろん、事態は80年代前半よりもう少し複雑だ。現状では、冗談が、パロディが、ナンセンスが、そして「大日本」のような題材としての「毒」が、すべて当たり前になってしまった。
あるいは「お笑い」が受け手によって極端に専門化してしまっている印象もある。
だが、冗談はやはり抑圧されつつあるように思う。景気も悪いし、「ふざけるな」とか「マジメにやれ」という物言いが、単純に正当化される時代になりつつあるとも感じる。
そんな中、下の世代が「もっとマジメにやれ!」と言ったとき、それを上の世代が「無粋だから」とスルーしていたのでは、伝わらないとも思うのだ。
常に上の世代は、長く生きているぶんある程度歴史を知っている。若い人は知らなくて当たり前。
だから、無粋でも何でも「冗談文化」の良さを言葉で教えていかなければならんのではないか、と決意を新たにする私なのであった。
YOUという番組は、反面教師としていきたい。
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