【雑記】・「『sabra』来年3月号で休刊」で考えたこと(というのは少々看板に偽りありだが)」
小学館は19日、男性向けグラビア誌「sabra」を、来年1月25日発売の3月号を最後に休刊すると発表した。同誌は2000年5月の創刊。03年末には20万5000部を発行していたが、ここ数か月は平均すると8万5000部前後にまで落ち込んでいた。
私も、分厚くなってから(平綴じに変わったんだっけ? 忘れた)、まったく買わなくなっていた。
うーん、その理由はすぐには自分でもわからない。単に、コンビニで観たときに惹かれなくなっていたのだ。
ただこういう雑誌の場合、分厚くなっても(そういえば本当にページ数が増えているかどうかは知らない。手にとった感覚として)あまりありがたみを感じないというのはある。
とにかく、sabra休刊は「アイドルグラビア冬の時代」を予感させるあまりよろしくないニュースであるとは感じる。
私はグラビアイドルについて軽々しく語ることを自分に禁じているが(大げさ)、sabra休刊の報をきっかけに、グラビアについて思うところを定点観測的に述べておこう。
・その1
……と思ったが、書いたことを半分以上削除した。
その理由はといえば、私個人は「グラビアアイドル」というものを、一種の「すき間産業」と考えており(念のために断っておくが、すき間産業だからいけないとか取るに足りないと言っているのではない)、あたかも「グラビア業界」なるものが磐石に存在するかのような視点で論じることは、物事の重要な部分を見落とすのではないかと考えるからだ。
というのは、アイドル、およびグラビアアイドルが冬の時代であるということ、「アニメ、マンガ、ラノベなどのフィクションにおける美少女」が、「萌え」という一見理解されにくい領域に閉じ込められつつあることは、アダルトビデオの隆盛と密接な関係があるのではないかと予想するからである。
つまり、「アダルト業界から逆にアイドル、グラビアアイドル、萌え」を語る視点はありえても、グラビアに限ってはその存立基盤があまりに脆弱なため、むずかしいのではないかというのが私の仮説なのだ。
(「アイドル」と「萌え」に限っては、よくも悪くもグラビアよりずっと閉鎖的なだけに、立論としては自律性を保っていると考えている。)
(「グラビアが閉鎖的ではない」という私の立論は、たとえば「どこそこでアイドル本人が来てDVD売ります」といった「コアなファンとの関係性で成り立っている状態」を、いったんカッコにくくっている。あくまでも登場時からいきなりダントツトップになれるような子を、「グラビアイドル」として観ているということだ。)
・その2
なお、グラビアアイドルを個別に「メタ視点」で読み取ろうとすることにも、あまり価値があるとは思えない。
理由は前述のとおり「存立基盤の脆弱さ」ということに尽きるとともに、「グラビアアイドル」が「セックスアピール」を純化した存在である以上、むしろ「ソレを通して我々が訴えかけられていることは、性欲の喚起以外に何があるのか?」の読み取りが、批評上では必要だと思っているからである。
別の言い方をすれば、「メタな視点で個別に語っている場合じゃない」。
そういう意味では、ことグラビア評に限っては私はオールドスクールな人間であると思ってもらってかまわない。
・その3
……というわけで、最後に自分なりのグラビア評をしてみたい。
グラビアアイドルにとってのステイタスは何だろうか、と考えた場合、「少年マンガ誌、青年誌の表紙になる」ことだと思う。
「週刊プレイボーイ」や「BOMB」、「スコラ」などの青年雑誌、あるいは「FLASH」などの週刊誌もステイタスではあるのだろうが、私個人はグラビアアイドルの人気のバロメーターは断然、マンガ雑誌にあると思う。
理由は、グラビアの主戦場にあってもっともマニアックではない視線が、そこにあるからだ。
そして、そもそもなぜマンガ雑誌にグラビアが載るようになったか。きちんと調べていないのだが、勘だけで書くと「マンガ本編でのエロシーンの自主規制」と関連しているのではないか。
最近は、乳首も描いちゃいけないって言うし。
つまり、マンガではまかなえないものをグラビアで補っている、というふうに自分は解釈している。
で、その少年、青年マンガで何が描かれているかというと、ほとんどの場合が「同性との戦いに勝ってメスをゲットしろ」というメッセージか、「ホモソーシャル的に同性と馴れ合ってメスのイメージを共有しろ」というメッセージである。
(いちばん顕著なのが刃森尊のマンガ)
つまり、グラビアアイドルは少年たち、男たちが戦いに勝ったときの最も欲しい、報奨品なのである。報奨品のイコンなのである、グラビアアイドルは(おんなじことを倒置法で言ってみた)。
巻頭グラビアにドーンといいオンナが載って、ページをめくっていくと「こういうオンナと仲良くなりたいなら努力しなさい、戦いに勝ちなさい」というメッセージがマンガとして次から次へと続いていく(もちろんそうでないのもあるけど)。
この「少年・青年マンガの巻頭にいいオンナのグラビア」という構造は、「三次元より二次元の方がいいです」と開き直る萌えヲタ的感性より(それが「現実を観ろ!」と簡単に論破できるがゆえに)できあがった鉄壁の思想なんである。
自分はグラビアアイドルたちの行く末にはあまり興味がなくて(それぞれ「がんばってください」としかいいようがない)、それよりもむしろ、「三次元のオンナ(グラビア)と二次元(マンガ)のメッセージ」によって、現代日本のオスが何をすべきか、が読者に完璧に刷り込まれていくというその事実こそが、実は生理的にイヤなんだよね。
そして、ここに「グラビアVS萌え」という論じるのも不毛な対立構造があるのだけれど、うったえてもだれにも相手にされないんだよ。
(当然、グラビアの先にはアダルトビデオがあるが、AVは表現ジャンルとしてはまだしも自由なのではないか。隠喩ではなく、セックスそのものを描いているがゆえに。それよりも問題なのは、北方謙三式単純思考なのだけれど、もう面倒くさいから説明しない。)
みんな、サヤエンドウ型のなんかに入って宇宙人と入れ替わってしまったらしい。
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