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【雑記】・「世間知の問題に帰結させるのはどうかと思う」

結婚詐欺容疑の女の知人男性ら、相次ぎ不審死
亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

で、亡くなったモデラーの方に関し、「モテないオタクが海千山千の女にダマされた」という図式でもって似たような境遇の男たちも含め、彼らに対して愛のあるお説教、愛のないお説教がネット上を飛び交っている。

以下に書くことは、書きたくもあり、書きたくもなし、なことだ。

マジメに職を持って、いわゆる適齢期に結婚して子供をもうけて生きるのが普通のことだとも個人的には思っている。
ことさらに「非モテ」などと主張することにも自分は異議を唱えてきた。

が、そういう「当たり前」が崩れていることは現実でもあり、そんな中、あまりにもガッカリな床屋談義が繰り返されることにも、私はいいかげんイライラしているのだ。

・その1
まず、こういう事態(モテない男がひどい目にあう)で出てくる言説で典型的なのが「世間知をみがけ」というもの。
「世間知」の重要性がとくに問われだしたのは論壇的には80年代くらいからか? いわゆる「象牙の塔」的な学問へのカウンターとしてそういうことが言われ出した。

「世間知」に近い物言いとして「身体性」というのもある。「身体性」に関しては、細かく調べてはいないが60年代のアングラ演劇とか路上パフォーマンスなどの説明として言われてきたことだろう。

実は「世間知」と「身体性」に関して、実体験とレトリックを駆使してやや伝法に語れば「青白きガリベンではない、タフなインテリやくざ」の一丁あがりというところがある。
「世間知」にしろ「身体性」にしろ、下積み経験や実体験、日頃の鍛錬などを元にしているためそれを語る際に論理的な展開はあまりのぞめない。
引退したやくざのじいさんの昔話を聞くごとく、文句がさしはさめないのだ。
ある意味、無敵の理論なのである。

しかし、いわゆる結婚詐欺、いや詐欺全般が「世間知」によってどれほど防げるかは、個人的には大いに疑問である。
今回は「殺されたらしい」ということで、同情も、「だからこうすればよかったのに」という言葉もネット上に溢れているが、まさか「殺されるかもしれない」と思いながら婚活をする人がいるとは、自分にはとても思えない。

むしろ、「世間知」と「身体性」という魔法の言葉から、離れてみるべきだと個人的には思っている。

・その2
もうひとつ、こういう事件のときに出てくるのが「恋愛人間成長論」とでも言うべき理論である。
「恋愛人間成長論」は、私が今勝手に名づけた。

「人は、恋愛をすることによって人間的に成長するのだ」という確信にもとづいた物言いで、上記の「世間知」とも大きく関わっているが、恋愛巧者が無意識のうちに、あたかも人生そのものを知り尽くしているかのような態度を取るところが特徴だ。

この「恋愛人間成長論」は、恋愛が「結婚して家庭を持つ」という社会的に歓迎されるべき行為をゴールとしているために、論者の確信はとんでもなく肥大しているケースが多い。

本当に、あまりこういうことは言いたくないのでガマンしているのだが(「ラブプラス」をものすごい勢いでバカにしている人が出てきたときには耐えた。ちなみに私は「ラブプラス」を今後やる予定はない)、「結婚して家庭を持つことが人間として正しい行い」ということには私も同意する。

が、じゃあ子育てしない夫婦がものすごくたくさんいるのは何でなの?

「社会的認知」ということで言うなら、子育てして、しかも少子化が進んでいるから二人以上は育てないと、偉そうなことは言えないんじゃないか?

むかし、つい30年くらい前は「子供のいない夫婦」は珍しかった。結婚すれば必ず「子供はいつか」と聞かれ、なかなかできないときには女性のせいにされることも多かったらしい。それはひどい話だとは思う。

今は、奥さん側が仕事を持っていて忙しかったり、単純に「子供が欲しくないから、つくらない」という夫婦もたくさんいるだろう。
私も、女性陣がいかに「子供を産むか産まないか、きちんと子育てできるのか」といったプレッシャーにさいなまれてきたかは知っている。

だから、その反動で子供をつくらない夫婦が増えているのではないかとも思っている。
それは個人の自由だ。

しかし、「社会的に認知されていること」がお説教できることの特権性ならば、なんで「結婚しない」人間は非難されて、「子づくりをしない」人間(の一部)がさも「もう社会的要請はすべて果たしています」というような顔で、モテないオタクにお説教をかましているのか?

実にくだらないと思う。

・その3
だいたいが、男女の仲だったら海千山千で知り尽くした者同士だって、刃傷沙汰になったりするのである。

そういえば、思い出したが何年か前に、うちの近所の男性がたずねてきた別れた奥さんに刺されて死んでしまったこともあった。

ちょっと前なら(地方なら今でもあるかもしれないが)、お見合いというのは近所の世話好きオバサンなどが持ってきた。
当然、隣近所で微妙に顔を知っている家族同士でしか、そもそも縁組の可能性自体がなかった。

つまり、お見合いをする段階である程度相手の素性はわかっていたのである。

亡くなった(殺された?)男性は出会い系サイトで知り合ったとなっているが、どんなタイプの出会い系かわからないが(婚活的なものか、本当の出会い系か)、人と人との出会いとしてはまったく素性のわからない人間と、現在の我々はけっこう普通に会っているものだ。
いわゆる出会い系から結婚したカップルだって、いるだろう。

宅間守も、お見合いパーティーに出て女性をくどいてレイプしていたっていうし、ひょっこり、日常的なこととはまったく関係ない人間が混ざっていると、案外わからないのではないか。

たとえばオフ会で、殺人目的の参加者がいても、まずわからないだろうと思う。
居酒屋で全員の飲み物に毒薬でも入れられれば、オシマイである。
世間知もへったくれもない。

だいたい、みんな人間的成長をするために恋愛しているわけ?
そこ、いっつも疑問なんだけどね。

・その4
結論から言うと、恋愛・結婚をめぐる物言いというのは「最近の若いモンは……」っていう、ひどくどうでもいい結論に落ち着く。
四十代は若くないけど、五十代、六十代からすれば若いから。

しかし、今の家庭制度の解体は、現在六十代、団塊の世代から始まっており、それは一度も、大局的に後戻りしたことはない。

戦前の人間が今の結婚の現状を嘆くのならともかく、自分たちが旧来の制度を破壊、解体してきて、その中でおいしいとこどりをしている人がたくさんいる中で、よくもまあ、どの口でお説教ができるのか、と思えてしまうというのが正直なところである。

なお、今回の件は男性だったから言われたい放題言われているということもつけ加えておく。

前述のとおり、恋愛・結婚・子育てにおいて女性が男性よりもワリを食ってきたのは私も承知しているが、だからといって、ひどい目にあった男性がその性差ゆえに言われたい放題言われてしまうのは、どうにも納得が行かないのであった。

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