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【オタク】・「雑記、あるいは祭りは終わってからが始まり」

「たまたまくだらん話を目にしてイヤな思いをする」ということがネットではよくある。

今日もそこからの連想。ソースは示さないので、読まなくていいです。

・その1
私は「どうしたらオタクコンテンツで儲かるようにできるか」ということには、あまり興味がないというか興味を持ってもむしろ私は一銭も儲からないので、興味を持たないようにしている。
このトシでアナリストもどきになることは悲惨でしかない(ただし、研究の意義はあると思っている)。

たとえば、コミケ全体は今でも巨大な市場だが、個々のサークルが大もうけしているわけでもなんでもない。

このため、(本当にそうなっているかは知らないが)個々のアニメ会社があまり儲かっていなくても、コミケの参加サークルやそこで回されるお金が減らない、ということはありうる。

つまり、同人誌市場は何も危機感を感じておらず、アニメ会社側は「不況で大変だ」ということは、じゅうぶんありそうなことではあるのだ。
しかし、同人誌に関わる人間としては、せいぜいソフトを買い支えるくらいしかやることはない。

後は、目の前の仕事を一生懸命やるしかない。

・その2
今、オタク論でいちばん問題になっているのは不況、格差、貧困の問題だろう。たぶん。

当たり前である。オタクというのは日本の70年代後半から90年代初頭くらいまでの経済状況の影響下で醸成されてきた。ぶっちゃければオタク活動は、金持ちの道楽なのである。
「オタク」というカテゴリには、かつては以下のような意味があった。

・活字文化を至高とする傾向へのアンチテーゼ(映像文化の称揚)
・一億総中流時代の自分探し
・80年代以前の若者文化に潜在するバーバリズムに対するアンチテーゼ

これに「恋愛至上主義批判」を加えてもいいが、そうすると話が相当「萌え」に引っ張られることになるので、ひとまず置いておこう。

上記三点は、すでに問題自体が無くなってしまったり、弱まったりしている。

以前にもどこかに書いたが、「反社会的、あるいは非・社会的と思われる存在としてのオタク」は、2005年の「電車男」ブームによって日本社会において「名誉白人」とあいなった。

2005年の段階で、旧来の「オタク」というフレームは、少なくとも「それ以前」のものとは大きく変質しているのだ。

・その3
別の見方をすれば、「世間」との摩擦が大幅に減ったため、恋愛・結婚問題に関連する「萌え」が相対的にクローズアップされてきているとも言える。

ま、そんなことはどうでもいい。

とにかく、90年代初頭までは極端にアンダーグラウンドだった、あるいは「今そこにいる」のに世間に認められもしなかった「オタク」は、2005年の段階で可視化されることになった。
この段階で、「オタクを世間に認めさせる」という意味での祭りは終わった。

まさか本気で信じている人もいなかったとは思うが(とあえて書くが)、オタクの消費行動というのは一般に比べて異常なものだ。
だが、景気のそう悪くない頃、あるいは一生のうちにかなりの金を使える年頃(結婚前でサラリーをもらえる立場)には、我々は(と、これもあえて書くが)その「祭り」に乗った。

2009年は、当たり前だが10年前の1999年とは違ったオタク的光景が広がっている。そこで生きているのは我々自身で、祭りに乗るのも降りるのも我々次第だ。

だれの人生でもないし、だれに操られているのでもない。まだ踊っていたい人は踊ってもいいし、降りてもいい。しかし、人間には自由意志があることは強調しておきたい。

・その4
そうそう、意味なく熱くなって肝心なことを書くのを忘れた。日本のクラブ文化のことはよく知らないが、漏れ聞こえてくる世界のクラブ文化と似たような進化・変化を遂げているのは、日本では同人誌文化だと思う。

何が共通しているか。それは2点、別に儲かっていないだろうという点と、「海外の動きなんかどうでもいい」というエリアがきちんと存在しているという点である。

そこから連想されるのは、もはやオタク文化はメジャーとマイナーという区分をすることはできない。しかし「必ず儲けなければならない分野」と「そうでない分野」に分けられるかもしれないということだ。

どこぞのプロデューサーだかアナリストだかが、一時期「オタク」というだけで「儲かるから」群がった。今後、「儲からない」分野は、文化としてそういう連中からは無視されるだろう。

日本のオタク文化は、90年代にはオピニオン・リーダーを必要としたかもしれない。だが、もう必要ないだろう。

「儲からないから」といろんなものを捨てていったら、この不況時、何も残らないに決まっている。

物事の価値を見つけるためには、今後個々人の審美眼がますます必要になってくるだろう。

・その5
最後に、もうひとつつけ加えておく。
これも何度も書いているが、オタク文化の変遷は基本的にプロとアマチュアがボーダーレス化していく過程である。それはさまざまな要因がからみあって、進展・加速はしたが後戻りすることはなかった。

当たり前だが、アマチュアが力を持ったらハリウッド映画みたいに大資本でドーンとやりましょう、というふうにはいかなくなる。

正確に言えば「アマチュアが、どこかの映画会社に認められて何十億円使って映画を撮りました」というのは、プロアマボーダーレス化の一過程にすぎない。
本当にボーダーレス化するなら、「映画会社」というフィルターや流通経路もおさえなければならないからだ。

で、実際それをやるとどうしても作品がいろいろな意味で小粒になってしまうということは言える。

言えるが、それは予想されたことではある。

だから、みんなもうちょっと腹を決めていろいろやってほしい。

おわり。

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