【書籍】・「おたくの起源」 吉本たいまつ(2009、NTT出版)
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文字どおり「おたくの起源」について書かれた本。
確か岡田斗司夫氏か氷川竜介氏が唱えていた「オタクの源流はSFファンダム」という観点を、実際に取材して広げた内容になっている。
私は一読、オタク論の本としてはそう悪いものではないと感じた。オタクSFファンダム起源説は、私の知るかぎり商業出版として論じられたことがないからである。
ただし、ネットを散見するとボロカスに批評しているところもあり(おそらく、著者と顔見知りゆえにきつい論調になっているのかとは思うが)、それは批判としては間違っていない。
が、どうしても私自身が著者と世代が近いこともあり、フォローしたい気分になってしまう。
というわけで、思いつくままに書いてみたい。
・その1
まず、「おたく論」史において、「SFファンダム起源説」のまとまった著書が出たことを、自分は重要だと思っている。
おたく論の出発点となった中森明夫はサブカル畑の人間だし、後はアイドル関係を主戦場とする。大塚英志は少女マンガに対する強い思い入れからおたく論を出発させている。竹熊健太郎もマンガ畑の人間である。
町山智浩が編集したらしい「おたくの本」も、SFファンダムの話は出てこなかったと記憶しているし、やはり映像文化、視覚文化中心の構成になっていたはずだ。
SFファンダム起源説は少なくとも商業誌ベースでは90年代半ば以降、岡田斗司夫周辺から出てきた説で、「ファン活動」の話ゆえに「知っている人は知っているが知らない人はまったく知らない」領域にとどまっていた。
だから具体的に体験者に話を聞いてまとめたことは、悪くないと思っている。2009年にそういう本が出たというのは 遅すぎるくらいだし、今まで商業出版物ではだれもやらなかったことではあるのである。
・その2
本書の全共闘に対する認識について。確かにネット上の指摘どおり間違っているのかもしれないが、全共闘史ではないわけだし、本書の論旨が瓦解するほどの認識不足とは思えない。本書の流れでは、大雑把に言って学生運動が70年代半ばに終息した、という程度のことがわかればいいわけだから。
いや是々非々で言えば間違っているから、それの指摘が悪いとはいいませんが。
・その3
最初から論考において「女性」が切り捨てられている点について。著者は腐男子を自認しているので、まさか差別的に排除したということは考えにくい。むしろ、知りすぎているか思い入れがありすぎて組み入れられなかったのだろうと好意的に解釈した。
「萌えオタの出現」と「SFファンダム起源説」がうまく結びついていないというのはそのとおりで、この点に関してはいっそのこと「70年代以降の、男性社会におけるマッチョイズム称揚のブレ」について論じたら通りがよくなったのではないかと思う。
たとえばロリコンが男性の「男らしさ」を弱い少女に誇示しようとして流行ったのか、あるいは「女性になりたい」という男性の実現不可能な願望なのかはおそらく両方で、なかなかまとめるのがむずかしいのだ。
・その4
映像文化を活字文化と対立させたところの論理の雑駁さも、批判者が指摘したとおりだと言わざるを得ないが、しかしやはり70年代に「映像文化と活字文化の対立」は起こっていると私は考える。
確かに、「映像文化」は別に70年代にふってわいたものではない。たとえば本書が特撮以外の実写映画に文章をさいていないのも問題ではあるのだが、私個人の考えでは70年代の半ばに起こった活字SFファンとおたくとの対立は、それまでの「言葉で考える思想大系」が過去のものになっているのではないか、という疑念が、おたく側から生まれてきたということなのだと思っている。
平たく言えば「教養というものに対する価値の変換」が、「SF」の解釈の中で起こったのではないかと。
しかし、それは「活字SFファンVSオタク第一世代」という対立項だけでは見えてこない側面がある。
実際、オタク第一世代の中には、後続の「萌え文化」によりシンパシーを感じる世代が理解できないという発言が有る。つまり、活字SFファンから映像文化を重視するオタク第一世代、そして萌え世代と、どんどんどんどん「言葉でものを論理的に考える」というふうではなくなっていっているということだ。
いちおうつけくわえておけば、萌え世代だって数学をやったり論文を書いたりするだろうがオタク的なものを語る「語り」の方法論として、より感覚ベースになっているということは言えると思う。
・その5
本書で少年ラブコメマンガが語られていないという点について。
80年代前半の少年ラブコメマンガのブームは、マンガ史においては重要だがオタク史においてはどうかというところはある。
少年ラブコメマンガと「オタク的なマンガ」は、交錯はするがイコールではない。これは「きまぐれオレンジロード」が、「少年ラブコメマンガで、なおかつオタク的なマンガ」と認識されていたことからも明らかだと思う。
(といっても、「だれに認識されてたんだよ」ってツッコミが入ると面倒なんですけどね。)
・その6
「おたくジャンル」という定義について。
確かにおたくが先か、おたくジャンルが先かという問題になってしまうのだが、この点は「活字文化VS映像文化」という観点を「教養そのもののあり方の変換」ととらえなおせば、より正しいアプローチは容易であるとは思う。
・その7
巻末の年表にマンガが入っていないことについて。
それは確かにまずいとは思う。が、個人的にものすごく強い違和感とはならなかったのは、「マンガ」のとらえ方、論評のあり方が80年代前半あたりでは、単なる「面白い面白くない」という評価か、あるいは文芸評論的なアプローチしかなかったからで、SFファンダム、特撮映画、アニメブームという観点でオタクを観ていくと入れにくいジャンルではあるからだ。
このあたりは、大塚英志のオタク論が異様にマンガ、少女マンガ寄りであることと好対照ではあると思う。
ただし、入れられるなら入れた方がいいとは思った。
・その8
そもそも「オタク史」というのは、「オタクとは何か」の定義から始めなければならない。
どんな通史でもそうだとは思うが、アニメ史、映画史といったくくりと違って「オタク史」というのは作品の受容史であるため、体験者に話を聞くしかないしカテゴライズも非常にむずかしい。
しかも、体験者の話をもとに構成するとなると、どうしても党派性の問題を抜きにしては語れない。あまりこういうことは言いたくないが、体験した人間が自分が関わった事象を大きく話したりするのはむしろ当然のことであり、なおかつ「業界」のことを考えると言っても損になるようなことは言わないだろう。
そうなると外部の人間が書き留めておくしかないわけで、ダイコンフィルム~マクロスのラインを中心にした史観を、おそらく利害関係がまったくない著者が書いた、ということが自分にとっては貴重に思われるのだ(それ自体が偏っているではないか、という指摘があるかもしれないが、少なくとも当事者の「武勇伝」を検証した意義はあると思う)。
・その9
ひとつだけ、私が読んでいて「これはおかしいな」と思ったのは、「バブル期にモテ文化がでてきた」という説。
このあたりも、少々長くなるが私見を書いておく。
少なくとも戦後文化としては、「異性にモテたい」という方がマジョリティだったと思う。
「異性にモテる必要などない」という思想があるとすれば、それは男性の場合は「硬派」という考え方、
女性の場合は「良妻健母」という思想だろう。
そして、前者は買春とか女遊びという考え方がないと成立しない、ダブルスタンダードだったのではないかと考えている(梶原一騎の少年向けと青年向けの差のように)。
一方で、良妻健母思想は少なくとも積極的に「モテ」を説きはしないだろう。
そうした前提の上に、おそらく60年代以降のフリーセックス称揚があり、その中で「モテ」、「モテていいんだ」という考え方は解放としてとらえられたはずだ。
恋愛が「個人の解放」ととらえられたのは70年代、80年代とずっとそうで、それが抑圧として作用するのは、むしろ「オタク文化」という「個人で自足する」考えが出てきたからだろう。
確かに、バブル期に「恋愛を商売のタネにする」ことが加速したのは間違いではないが、それはオタクの広がりゆえに、オタクにとって抑圧として機能するようになった、というのが自分の仮説である。
・その10
私が思ったのは、本書におけるオタクの「ミーハー的楽しみ方」と、政治の季節の終焉による冗談文化の台頭を、もう少し厳密に切り分けた方がよかったのではないか、ということ。
まあ、当時から混同されていていろいろむずかしいんですけどね。
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