【映画】・「劇場版 虫皇帝」
監督・構成:新堂冬樹
いろんな虫(海外の高そうなもの多し)を「昆虫軍」と「毒蟲軍」に分け、アクリルのケースかなんかの中で死ぬまで戦わせ、チーム戦でどちらが強いか戦わせるという一種のモンド映画。
構成は完全にK-1やらの格闘技番組のソレで、映画的な物語はない(K-1的な物語はある)。
とにかく、虫同士が食い合って殺しあう様は苦手な人にとっては地獄絵図、吐気をもよおす内容で、しかも虫同士だからかR指定も入っていない。
70年代ならともかく、21世紀の現在、こんな映画がしかも劇場で公開されるとは、そのこと自体が衝撃でビビりまくった。
しかも70年代のモンド映画にはかろうじてあった「人は大自然の残酷さを知らなければならない」的なエクスキューズも皆無である。なにしろ、自然界ではぜったい出会わないであろう虫同士が戦ってんだから。タンザニアの虫とかいたな。
この映画、喜ぶ観客は自身の心に何の言い訳もできずに残酷ショーを楽しむことを、送り手に強要されているワケだ。言うなれば観客自身も、送り手のサディスティックな視線にさらされていると言える。それがショッキングなのだ。
拒絶する者はもっと嫌な気分にさらされる。この飽食の時代、どこまでが「殺していい命か」の曖昧さを突きつけてくるからだ。
さて、本作の監督・新堂冬樹が、本業の小説の世界でもある種のサディズムに貫かれた作品を描いていることを私はある程度は知っている。
だけれども、それを「残酷な作家・新堂冬樹がお遊びで恐いことをやっていますよ」という文脈でとらえると面白くもなんともなくなってしまう。
それでは大藪春彦のハンティング風景を見させられるのと同じようなものだからだ。
それよりも、ホストものにもやくざモノにも闇金モノにも興味は無いが、「虫同士が戦う」ことだけに興味がある人が一定量存在し、そして新堂冬樹の作品に何の興味もないその人々が「虫の戦い」という一点のみで関わってくる、そういう状態そのものの「モンドさ加減」、「マヌケ感」に思いをはせた方が、私にとっては何倍も面白いのである。
なお、私自身は「むきだしの暴力」(虫を殺し合わせることを含む)を露悪的に出すこと自体に、現状の日本社会を揺るがすほどの負のパワーはないと考えている。
それは、おそらくショッキングではあっても現状追認でしかないだろう。
だからこそ、批評性を持ちそうでいてほとんど持たないからこそ、この映画は現状においてモンド足りえていると思う。
意味があるとしたら、それは前述のとおり、送り手と受け手が強制的に共犯関係となる、そのこと自体だろう。この映画に出てくる虫たちが「本当に死んでいる」という一点のみにおいて。
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