« 【映画】・「劇場版 虫皇帝」 | トップページ | 【雑記】・「下流社会の次は、国語算数理科社会(しかもドリフの)」 »

【雑記】・「みんな死んじまえ!! 」

タイトルは川島のりかずのマンガより。

ふと思いついてはてなキーワードの「スクールカースト」の項をみてみた(リンクの仕方がよくわからないのでみなさん各自、読んでください)。

この項目が面白いのは、「スクールカースト」を純粋なコミニュケーションスキルの順列とはせず、技術論には還元できない「人気」というものがある、と指摘していること。
いや、他にも似たような指摘をしているところがあるのかもしれないけど、私が最初に目に入ったのがこの項目だった。

確かに、「口ベタだがイケメン」とか「性格は悪いがスポーツ万能」と言ったやつらは、カーストの上位に位置するのであろう。
しかし、である。

そもそもが人間のコミニュケーションスキルは、究極的には技術論に還元できないのは自明とも言える。
「三国志」、「水滸伝」などの群雄割拠な作品や、本宮ひろ志系統の番長ものなどではこうした「還元できない人間力」を「英雄としての資質」とか「肝」とか「あいつは漢(おとこ)だ」といった、「あいつは人物だから人物なのだ」という同義反復で表現する。
要素に還元できないのならそれも当然である。

あるいはまた、「小さな動物のために命を張った」、「圧倒的に不利な方に人生を賭けた」、「どんなに拷問されても口を割らなかった」、などの、「度胸」と「根性、忍耐力」などにエピソードとしては単純化されて表現される場合もある。

しかし、実際には常に弱者の立場に立ち続けたらその人自身が駆逐されてしまうし、我慢だってしどころがあるだろう。
要は、「ずるいけど憎まれない」とか「腹が立つけど認めざるを得ない」とか「別の人がやったら怒られるがその人がやったら怒られない」といった、スキルとして一般化できない領域に、その人間が大人物であればあるほど、なっていくのである。

そして、その究極が宗教的カリスマである。宗教的カリスマは、その人格によってときには奇跡すら起こす。雨のない地に雨を降らし、病気の子供を回復させる。

何が言いたいかというと、「人気」という還元不可能な何かを指摘したのは偉いと思う。
しかし、それが「スクールカースト」という、一見、クラス内を構造的に分析したかのように見せる文脈の中にはめこまれると、「人気」という還元不可能なものを無理矢理にでも「カースト」内に位置づけてフラット化させようという意図を、私には感じざるを得ない。

「スキルに還元不可能なこと」をあげだしたら、逆に言えば「還元できないキモさ」というものもあるわけで、しかしそいつにしたって親がいて兄弟がいて、受け入れている仲間だっているだろうと思うのである。

確かに中学や高校や、あるいはバイト先でもいいけど、クソ面白くもないやつらがイニシアチブを握っていて、なんでこいつら死なないのかなあ、なんでこいつらバラまかれた殺人ウィルスで体中から血を流して死なないのかなあ、と思うけれども、
とくに輪切りにされた「クラス、教室」はシビアなサバイバルレースが行われているのかもしれないけれども、

ネットやメールや携帯電話が発達し、価値観も多様化している現在なら、むしろ「スクールカースト」は固定化してもそのコミュニティ自体はワンオブゼムなのでは? と思えて仕方がない。

いや当事者がキツいとうことはじゅうぶんに理解しているつもりだけれども。

むしろ、分析によって状況を静的に、スタティックにとらえて、自分で自分を追い込んでいないか? と心配になってしまう。

コミニュケーションスキルなんて、前述のとおり突き詰めれば、その種の天才(リーダー的資質を持った人物や宗教的カリスマ)にはかないっこないのであり、空気を読むだの何だの、最終的には見切りをつけなければ、周囲に合わせることにだけやっきになって、最後には狂死してしまうと思うよ。

以上、思い付きでした。

|

« 【映画】・「劇場版 虫皇帝」 | トップページ | 【雑記】・「下流社会の次は、国語算数理科社会(しかもドリフの)」 »

社会全般」カテゴリの記事

絶望」カテゴリの記事

評論とは」カテゴリの記事