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2009年8月

【イベント】・「新田五郎のぶっとびマンガ大作戦・出張版第2回~今度は戦争だ!!」

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「新田五郎のぶっとびマンガ大作戦・出張版第2回~今度は戦争だ!!」

 膨大な出版点数のマンガ群。その中には時代の波に押し流されていった変わったマンガ、ぶっとんだマンガがたくさんあります。書籍「と学会年鑑」、「トンデモマンガの世界」などでそんなマンガを紹介してきた新田五郎が、さまざまな作品を紹介しまくります! 未知数だった一人での進行にも慣れてたぶん絶好調!! 今回はヒートアイランド現象によりまだ夏気分であろうことを予測した「納涼B級ホラーマンガ特集」を予定しています。

出演:新田五郎
日時:平成21年9月13日(日)
Open13:50/Start14:10 
場所:ムーブ町屋 ハイビジョンルーム

荒川区荒川7-50-9センターまちや
地下鉄千代田線・町屋駅0番出口より徒歩1分
京成線・町屋駅より 徒歩1分
都電町屋駅より 徒歩1分
料金:¥2,000(当日券のみ)

JBOOKにて、「ぶっとびマンガ大作戦」の委託・通信販売をやらせていただきます。

ぶっとびマンガ大作戦 vol.12

ぶっとびマンガ大作戦 vol.13

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・「ピューと吹く! ジャガー」(17) うすた京介(2009、集英社)

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週刊少年ジャンプ連載。
正直、16巻あたりでさすがに、センスの「アリ/ナシ」があいまいになってきて、やっつけ的な話も多くなってきたな……そろそろやめ頃かなあ? と感じていたが、「学園祭の打ち合わせを合コンと勘違いしている男たち、女たち」のエピソードはすげえ面白いな!!

勘違いしているのはハマーだけ、という予想を大きく裏切る、まさかの人間模様の面白さ。
がっついた男たちだけならともかく、チヤホヤされたい女がそれに乗っかってきたり!!

うすた京介は、文学部とか美大とかに通いつつ、そん中でも派手なグループに属していなさそうな女の子を描くのがうまいよね。

新キャラ、ガリプロ声優科1年・蒼木衣のエピソードもメチャクチャで面白かった。

ビューティー田村は本当、何度も書いてるけど普通にかわいいと思うよ私は。

16巻の感想

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・「ピューと吹く! ジャガー」(16) うすた京介(2009、集英社)

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週刊少年ジャンプ連載。
高菜のネットアイドルとしての写真が、すべて目を見開いているのでおでこにしわが寄っている、という悪意にニヤリ。

とつぜん「近所英雄伝説 タマ」というエピソードにおいて、「銀牙」のパロディが、今頃出てくる!!
これでわかったのだが、この作者はものすごいハイセンスなパロディを打ち出してくるときと、「なんで今さら!?」という場合があるのだが、わりと無防備に何でも取り入れてしまうらしい。いいのか悪いのか……。

「ペタンク」は意味わかんなかった!! もうちょっと、わかりやすいまんがをかいてください……。

15巻の感想

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・「舞勇伝キタキタ」(1) 衛藤ヒロユキ(2009、スクウェア・エニックス)

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「魔法陣グルグル」の名バイプレーヤー、キタキタおやじが帰ってきた!!
キタキタおやじと、勇者をめざす少年・チキの冒険。

いや~なつかしい。キタキタおやじが出てくるだけでうれしくなりますな。
なんか、ホントうれしいです。

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・「でろでろ」(16)(完結) 押切蓮介(2009、講談社)

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長期連載となったホラーギャグマンガも、ついに完結。
12巻から15巻あたりまでを読んだ感想では、それまでと多少作風が異なってきていることに違和感を表明したが、そうしたらこの巻で終わりということで、ちょうどキリがよかったのかもしれない、とは思う。

正直、1巻を読んだ頃には私個人としては時代の変化のせいか新人マンガ家の作風にほとんどついていけなくなっているような状態で、そんな中、素直に楽しめるいい作品だった。

作者自身も、社会に出よう、一人前になろうというあがきの中からできた作品ということで、そういう作者の境遇が(この表現、あんまり好きじゃないが流行りだから使っておくと)作品全体の「童貞感」とシンクロする部分があった。
が、それが「ドラマ」として読者側にまで敷衍できないのが現代という時代なのだろう。
(この後、ニート、ひきこもり、長期不況などのゴタクはすべて省いて)
それにしても、やっぱりこういうマンガがないと世の中終わりだと思うのである。その作風は、ちょっと藤子不二雄に通じるところがある。
心の底から楽しませてくれたマンガだよなあ、と思う。

12~15巻の感想

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・「ばりごく麺」(3) 能條純一(2009、集英社)

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ラーメンマンガ。
面白いことは間違いないが、3巻の展開は少し強引すぎやしないだろうか?

1~2巻の感想

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・「食戦記」(壱) 中村博文(2009、双葉社)

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文明が崩壊して戦国時代みたいになってしまった世界で、過去の料理方法を継承する「食師」を主人公とした物語。

文明崩壊後の世界と崩壊前の料理(大学イモ、かけうどんなど)の組み合わせが絶妙で面白いのだが、掲載誌がなくなってしまったとか何とか。

続きは読めるのだろうか。

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・「PLUTO(プルートウ)」(6)~(8)(完結) 手塚治虫、浦沢直樹(2008~2009、小学館)

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今頃読了。
結論から言えば、けっこう面白かったし、懸念していた「伏線の回収に失敗しつつ長期化してグダグダになる」という難も逃れたようで、まずはめでたい。

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【雑記】・「夏の……なんとか」

夏が終わろうとしている。

夏ほど、強固なイメージを持った季節はないだろう。

強い日差し、陽炎、潮風、山、川、プール、休み、短期アルバイト、夏を制すものは受験を制す、アイスキャンディー、生ビール、そうめん、

ビキニ、ダイビング、サングラス、セミの声、ラジオ体操、恐竜展、スタンプラリー、そしてまた強い日差し、陽炎。

この間、何の映画だか、映画館での予告編で、「冬は、神様が自然の厳しさを教えるためにつくった季節なのよ」とか何とか言っていて、バカじゃねえのと思った。

常夏の島には神はいないのか? と、大人げないことを思った。

冬のイメージはだれが決めているか、だれかが勝手に決めてる。
夏のイメージはだれが決めているか、やはりだれかが勝手に決めている。

だれかが勝手に決めているものごと。

いちばんイヤな思いをするのが、そんなに近しいわけではない人物の結婚や離婚や葬式にまつわる話だ。

だれか曰く、近場で手を打ったな、とか、考えようによっちゃいちばんいいときに死んだとか。

オイオイ、だれがそう言ったんだよ?

結婚した当人か? 死んだ当人か?

「ダレソレが離婚したって。」
「へー。なんで?」
「性格の不一致、っとしか聞いてないけど」
「『性格の不一致』って、離婚のときにいちばん便利なコトバだよなー」

上記の会話、これ実話。(あ、韻ふんじゃった。)

親や親戚ならともかく、何の関係もないオメーへの離婚の釈明は、
「性格の不一致」でじゅうぶん何だよ!! このボケ!!!!!

他人の人生の節目では、だれもがにわか評論家に「成り下がる」。

「夏」にも同じことが言える。

「夏と言えば、○○だよね。」

そう言うとき、言う当人はそれが個人的見解だとはまったく気づかない。
気づかないだけに、冠婚葬祭にわか評論家よりも始末が悪い。

だいたいがトコ、ヒトのイメージなどというものは貧困な場合が多く、
季節に関して言えば、いつ頃からか大半はメディア戦略に踊らされているだけである。

俗な言い方をすれば、電博の陰謀に乗せられているだけだ。

自分の、自分だけの生はどこにあるのか。
いつもそれを考える。

「夏休み、どこにも行かなかった」と言うと、残念な顔をされる。

それが無性に腹が立って、泣きたくなるがじっと我慢して、

自分は野球帽を目深にかぶって、泣き顔を見られないようにして、
下を向いて、早歩きで歩く。

ビーチサンダルがつっかかりそうになるけど、
すれ違った大人のヒトのカバンに勢いよく当たってしまったけど、
振り返ることはしない。

本当に、いったいだれの人生なんだ? って、心の底から思うよ。

そこに、自分が変態性欲者であることをカミングアウトした市会議員が近づいてくる。

孤独なのは君だけじゃないんだよ、って。

私の方が一歩先を行きました、ってな顔でさー。

だから、それはあんたはあんたの道の先を行ったんでしょ、と。
私は私の道があるから。
そっちに合わせていいという人もいるかもしれないけど、

それはそのついていく人の自由でしょ。

ついていかないことも自由だよね。

夏だからといって、アイス食わなくてもいいよね。

今度はスーパーフリーをグレードダウンしたような、チャラチャラした学生がやってくる。

「空気読めよ」

って。

出た! 魔法の呪文。

この間、ハリー・ポッターを観に行ったら、登場人物の唱える呪文がすべて「空気読め」って
聞こえてきたな。

そんなことを言っているうちに、
夏が、終わろうとしている。

強固なイメージとともに。

結論はない。

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【イベント】・「韓国スーパーヒーロー・怪獣まつり」

スーパーヒーローになりたい……スーパーヒーローになりたい……と呪文のようにとなえて早300年。こういうイベントをやるそうです。

韓国まんがまつりプレゼンツ
「韓国スーパーヒーロー・怪獣まつり」

韓国のスーパーヒーローたちがネイキッドロフトに大集結。
年代ごとに各作品を紹介しながら韓国のスーパーヒーロー・怪獣モノの歴史を概観します。

【出演】韓国まんがまつりメンバー
【ゲスト】JAWMAN

9月5日(土)OPEN12:00 / START12:30
於:ネイキッドロフト
前売:1,200 / 当日¥1,500(共に別途飲食代が必要となります。)

※8月1日からネイキッドロフトにて前売電話予約受付けます。
問:tel.03-3205-1556(Naked Loft)

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【イベント】・「月刊鶴岡法斎特大号 鶴岡法斎生誕祭・妄想36年」

奇跡的に鶴岡法斎の36歳の誕生日にブッキングされたこの企画、せっかくなので誕生パーティーをやりつつ、いままでの鶴岡法斎を振り返り、そして未来の展望を語るという一大濃厚イベント。この日、あなたは歴史の生き証人になれる。

9月20日(日)
OPEN 12:00/START 12:30
料金¥1500 (別途、飲食代が必要となります。)
場所:ネイキッドロフト

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【書籍】・「コティングレー妖精事件」 ジョー・クーバー(1999、朝日新聞社)

コナン・ドイルも「本物だ!」と太鼓判を押した「妖精の写った写真」の真偽とそれをめぐる騒動について描く。

まあ当然と言っちゃなんだが、肝心の写真は著者の書くとおりニセモノではあろう。証拠はいくつもあがっている。
ところが、そのインチキ写真を撮った少女二人のうち一人は「本当に妖精を見ていた」と、著者が信じているという不思議な本である。

正直、著者は当人が思っているほど論理的な人間ではないと思う。そもそも、「観た人がたくさんいるから妖精はいるに違いない、という論法自体に疑問が残る。

しかし、おそらく写真が撮影された現場は「いかにも妖精がいそうなところだった」には違いないだろう。

それを重視するかしないかというスタンスが、人間にとって重要事になりうることが、一生のうち2、3回はあるかもしれないとは思うのであった。

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【雑記】・「『上から目線』の話」

朝日新聞に「上から目線」ということに対する対談記事が載っていると知ったが、過去のものだしネットにも上がっていなかった。

実は前から「上から目線」の問題に関しては気になっていたので、その記事に関して興味があり、読んでみたいのだが図書館などに行くほど時間がない。
そこで、「その記事についてのテキスト」を読みながら私見を書く。

したがって、別に逃げ口上というわけではなく、以下のテキストは該当記事への直接的な感想ではないことはお断りしておく。
なにしろ、全体を読んでいないのだから直接的な感想の書きようが無い。

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【ポエム】MNK20080404改訂

今日は、いろんな人が家にやってきた。
私は、高級な紅茶でそれらを歓迎した。

「こいつらは、影法師かもしれない」

そんな疑問が頭をよぎったが、ふりきった。

おかげで充実した1日だった。

人々はにこやかだった。
贈り物として、クッキーなどを持ってきていた。
さわやかな人たちだった。

彼らが、まさか泥人形のゴーレムだったとは……。
いやいや、そんなことはない。
そんなことはおとぎ話の世界にしかないんだ。

このクッキーが、目をこすってよく見たらただの石のかけらだったことにも、
きっと事情があるに違いない。

冥王星では、生きたワカメに月の石を与えると、なんでも願いをかなえてくれるそうです。

アポロ計画は、その第一段階で頓挫してしまったんです。

とりあえず、月の石は持って帰ってきたんですけどね……。

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【ネットラジオ】・「未来から来たクイズ人間」

明日の夜10時頃から、知り合いのネットラジオに出ます。


アイムラジオ 未来から来たクイズ人間編

2009/08/21 22:00~

しゃべる人
タカツカシンゴ(twitter)
ふぐりボンバー(twitter)
スカラベ(twitter)

ゲスト
新田五郎さん

「出して!!」って頼んで出させてもらいます。
内容も決めてませんし、第一スカイプの調整を明日ぶっつけでするので、思わぬ機材トラブルがあったら私は毎度おなじみノイローゼになって、

「森高千里はロック」
「こんにちは、宇宙人DEATH」
「純粋まっすぐ君」

などの90年代用語を軽くぶちかます所存でございます。

それではみなさん、瞳にキスして、ハートにジャンプ!!!!!

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【書籍】・「幻獣ムベンベを追え」 高野秀行(2003、集英社文庫)

[amazon]

最初は単行本として、1989年発行。
1988年、アフリカのコンゴにあるテレ湖というところに、「モケーレ・ムベンベ」という怪物がすんでいるという伝説がある、と知った著者と当時所属していた早稲田大学探検部の面々が、実際にテレ湖に行って約40日間、ムベンベ探索のために湖を調査したという記録。

「モケーレ・ムベンベ」はおそらくコンビニ売りのUMA本にも載っているであろう(確認はしていないが)、比較的有名なUMA……というか、ビッグマイナーな存在だろう。
しかし、おそらく本書が刊行されてはじめて日本人が多く知るところとなったのではないかと思う。

タイトルだけでは、いったいどういうスタンスの本かはわかりにくいのだが、読み始めて30ページくらいでぶっとんでしまった。
むちゃくちゃに面白い。

とにかく、著者とその仲間たちの行動力がものすごいのである。

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【イベント】・「夏コミ」

日曜日、東N05a
「WAIWAIスタジオ」

新刊:
「ぶっとびマンガ大作戦」Vol.13
今回はいろいろな方にご執筆いただきました。

既刊:
「新田五郎ポエム集」
当たって砕けろと思ったらやっぱり砕けた、ネット上に書き散らかした自称ポエムをまとめた本。

委託:
ねぎ姉さんをまとめた本を委託販売します。

本は15~20冊を持ち込み予定、
余裕があればTシャツも数着持ち込むということです。

8/16(日)西 ち-03b埼京震学舎にも委託していただく予定です。
また、「埼京震学舎」の新刊もWAIWAIスタジオで置かせていただきます。

と学会誌
新刊が出る予定です。

また、
8/14(金) 東 O-45b 「ガメラが来た」
8/16(日) 東 M-37b 「開田無法地帯」

上記サークルで頒布予定の新刊「特撮が来た18」に、映画「ドロップ」についての文章を書かせていただきました。

よろしくお願いいたします。

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【評論とは】・「評論には最後に希望があった方がいい」

このエントリの続きで、あくまでも私自身の個人的な志向で、「一般論としてぜったいこうあるべき」というのではないけど、評論には最後に希望がもたらされるべきだと思うんだ。

狭義の芸術作品の場合、必ずしも希望がテーマでなくてもいいと思う。表現は自由だし、人の心に揺さぶりをかける役割もあるから。「絶望」自体が味わいだったりもするのだ。

しかし、評論を少なくとも単なるエンターテインメントではなく、「実効性のあるべきコトバ」とするならば、「社会の現状はこうなってますよ、こんだけ絶望的ですよ、後は一人ひとりの足で大地に立って生きていってください」だけでは、極端なことを言えば「ノストラダムスの大予言」と変わらないよね。

人間、生活の中でやることは読書前も後もそう変わらない。勉強して、働いて、遊んで、クソして寝る。
それが、不安だけ煽られちゃあたまらんですよ本当。

また、まずまず「まとも」だと思われている評論における、「一人ひとりがしっかり地に足をつけて生きていってください」というよくある結びは、勇気を出して書くが、何も言っていないのと同じことだと思う。

話が逆なんだよ。「一人で地に足をつけて生きていこう」と思っている人が評論を読むんだから。
そうでない人だったら、違うことしてるよね。クラブで遊ぶとか、宗教に入るとか。

「一人で地に足をつけて生きていこう」という結論が、つい安易に持ってこられがちなのは、今の五十代以下の評論家の多くが自分たちのすぐ上の先輩である全共闘世代(何かと共闘したがる世代として解釈されている。本当かどうかは知らない)が大っ嫌いだからで、ここら辺の歴史的経緯を若者はある程度ふまえておくべき。

ハリウッドのエンターテインメントとか、あるいは「サマーウォーズ」とかを観ていると心底思うけど、映画館を出たときに観客が「人間には希望があるかもしれない」って感じていられるように、っていうことに送り手は心血を注いでいるわけだよね。

それほどの熱量というものを(まあ、評論に熱というものが必要かどうかという議論は成立するにせよ)、どれほどの評論が持っているのかという気はする。

単に読者の知識のなさをあげつらって警告して脅かすだけで、読後にみんな神妙な顔になって「状況は悪いけど、生きていかなくちゃいけない」みたいのは、ホント15年くらい前から思っているけどもうたくさんだ。

だって書いてる側は、私の読書体験から言ってもバブル前もバブル中もバブル後も、いつも同じような神妙な顔で書いているわけだから。
バブル前もバブル中もバブル後も、いつも「警告されるべき、胡散臭い世の中」ってのは本当かもしれないけどさ、こちとらの生活実感としてはぜんぜん違うわけじゃん。

そういう深刻ぶりっこが嫌いで、自分はオタク的言説に大きく傾倒していったのだけれども、15年も経つとオタク陣営も似たような感じになってきちゃってね。

本当に、希望について語るのはむずかしいと思う今日この頃ですよ。

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【評論とは】・「評論に必要なのは、文学性」

最近やっと気づいたのだが、評論に必要なのは文学性なのだなと。

どっかの偉い芸能関係の先生が、「歌うように演技しなさい、演技するように歌いなさい」と言ったとか言わないとか(声:びびる大木。チンパンジーの声のびびる大木)。

だから、文学に必要なのはある程度の論理性で、評論に必要なのはある程度の文学性なのではないか。

いやもちろんね、論理性をあまりに放棄すると評論とかレビューというのはどうしようもなくなるという部分はあるんですよ。
ポエムみたいなっちゃうんだよね、それこそ。

でも、あまりに論理性を追及しようとしている人たちに対しては、評論の文学性というものについて考えてほしいし、それが根本的に欠落している人というのは、「正しいけど、無味乾燥」なことしか書けないと思うんだ。

少なくとも、評論はふた昔前のパソコンのマニュアルのような存在ではないよね。

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【ポエム】・「タイトロピョルピョに冬瓜が全面qwertyメッセージ」

ポエム(と私が思っているもの)に関しては、ほとんど自分が書いていることにしか興味がない。

だって、天才のを読めば嫉妬するし、絶望感にかられるからだ。

マネができれば苦労はないが、マネをしてなんとかなるならそれはダメなものだと思うから。

そんなわけで、いろいろと実験をしてみるのだが、

その実験が正しいのか間違っているのかはわからない。

本音を言えば、ぜんぶ正しいと思っていますけどね。

過去に似たようなものがあっても、正しいと思っています。

そんなわけで、今回はエッセイ風というかブログ風というか、

そういう出だしで始めてみた。

当然、シロアリの駆除法などについて

言及するつもりはない。

いや、知ってることは知ってますよ。

私には専門知識がある。

しかし、伊藤美咲がやめろと言っているので、

やめます

さて、

上記の文章の中に、いくつウソがあるでしょう?

答え:1億個

1億+1億

イコール たくさん


ひとつ

ふたつ

たくさん

(もう1回!)

ひとつ

ふたつ

たくさん

(もう1回!)

ひとつ

ふたつ

みっつ!!

できた できたよ
ほら できた

3つの 数まで 数えたよ

「これで、ゼロが発明できれば我々の仕事も一段落ですね」
「そうだな、これで人類をある段階まで進化させる、我々宇宙連合の計画も当初の目的を達成したことになる」

「私はここに残ります」
「おお、よくやるな。サービス残業好きか?」
「ワーカホリックなんです」

こうして地球に残った宇宙人が、後のキリストである。

(今週の感想戦)
いや~いかにも70年代後半チックなSFオチにできて、
満足しております。

MAN-ZOKUしております。

「私、下ネタ嫌いなんです」

いつぞやのM-1グランプリの、ある大師匠の審査員のコメントでした。

(了)

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・「包丁人味平」 牛次郎、ビッグ錠((1974〜78、集英社)

週刊少年ジャンプ連載。
少年・青年マンガの定番企画のひとつとなった「料理対決もの」の元祖的作品。
が、単行本で読むのにずいぶん時間がかかってしまった。

詳細は以下に。

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・「オバケのQ太郎」(1) 藤子・F・不二雄大全集(2009、小学館)

Obaq01
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藤子・F・不二雄の全集が刊行されることになり、ながらく絶版だった「オバケのQ太郎」が、どうやら相当数、全集におさめられるようである。
この単行本はその第1巻。少年サンデーに連載された旧オバQが収録されている。
今現在のギャグになれた人が読んでどう思うかはわからないが、少なくとも私は感動した。

以下は、ただの自分語りです。

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【雑記】・「人間万事塞翁がノイローゼ」

夏コミが近づいている。
もともと、そんなにコミケにシンパシーを感じている方ではなかった。
だが受け入れてくれる方、受け入れてくれる方、と歩んでいくと、そこにはコミケくらいしかなかったよ。
やはり米澤さんは偉大だと、あらためて思う。

で、何が気になるかというと本の出来なのである。
昔は、必ず即売会前にできあがったものを印刷屋さんに自宅に送ってもらいチェックしたものだが、最近どんどんズボラになり、その魔力に逆らえずに直接搬入にしている。

しかし、これは要するに「当日一発勝負」ということである。
別の言い方をすれば「完璧に印刷屋さんを信頼しているからこそできる行為」で、

もちろん人間だからミスはだれにでもあるが、

私も多方面にお願いして原稿を書いてもらったのでよしんば印刷屋さん側の理由でトラブルが生じた場合、申し訳が立たぬのである。
ああ、不安だ。

と、不安ばなしだけではどうかと思うので別の話を書く。

たまたまある件について検索していて思ったのだが、
それほどひねくれていない一般人は「ご近所同士の絆」などをまだ信じているようだ。
(Yahoo!知恵袋のある項目を見て思ったこと。)

しかし、そんなことを言っている人間が真っ先に裏切ったりするからな。

まあ、何も考えてないから一般庶民、なんだけど。

とにかく、おらぁ安易にそういうこたァ信じねェ。

もちろん、安易な絶望も信じないが。

ときには絶望したくなる日もある。

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【イベント】・「夏コミ」

日曜日、東N05a
「WAIWAIスタジオ」

新刊:
「ぶっとびマンガ大作戦」Vol.13
今回はいろいろな方にご執筆いただきました。

既刊:
「新田五郎ポエム集」
当たって砕けろと思ったらやっぱり砕けた、ネット上に書き散らかした自称ポエムをまとめた本。

委託:
ねぎ姉さんをまとめた本を委託販売します。

本は15~20冊を持ち込み予定、
余裕があればTシャツも数着持ち込むということです。

8/16(日)西 ち-03b埼京震学舎にも委託していただく予定です。
また、「埼京震学舎」の新刊もWAIWAIスタジオで置かせていただきます。

と学会誌
新刊が出る予定です。

また、
8/14(金) 東 O-45b 「ガメラが来た」
8/16(日) 東 M-37b 「開田無法地帯」

上記サークルで頒布予定の新刊「特撮が来た18」に、映画「ドロップ」についての文章を書かせていただきました。

よろしくお願いいたします。

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【アニメ映画】・「サマーウォーズ」

公式ページ

監督:細田守、脚本:奥寺佐渡子

いやーものすごく面白かった。一食抜いても観に行った方がいいと思います。

私個人の鑑賞ポイントは、「親戚同士」というか「大家族的な集団」を、2009年にどう描くかにあった。
悪い意味でノスタルジーに走ったり、逆に個人主義的観点から存在しない大家族を描いたり、そういうことはいっさいなく、とにかく「そこにいる人たち」としての存在感で押しきっていく、そういうところが実に頼もしかった。

細田監督は、仲間や地縁・血縁や、逆にそこから離れていこうとしている者、「みんなといること」と「孤独であること」の振れ幅に敏感である人のように思う。そういうところが、本作が「仲間、連帯」の方に針が振れていても安心して見られる一因であるのだろう。

以下はまあ、読んでも読まなくてもいい話。
「家族が自分たちを守る」ということと「世界を救おうとする」ということには、どんな状況でもある地点でぜったいに乖離が生ずる。これは普通にどう考えてもそうで、「仲間でも何でもない人同士が、当人のあずかり知らぬところで関わっている」のが近代社会である、とも言える。

70年代以降、エンターテインメントの世界では「個人主義」と「家族的連帯」が、たいていの場合結びつかないままにそれぞれがユートピアとして描かれることが多くなった。もっとも、60~70年代、世界を一枚岩として把握できると感じたこと自体が間違いだったのかもしれないのだが。
(ちなみに、両者を結びつけるのがときおり「恋愛」という要素なのである。)

本作では「家族の連帯」が「世界の連帯」にまで果たして至れるのか、というところを実にうまく、映画的快楽として描いているのでそこら辺に注目して観ると……まあ私はいいと思うな(そこが本作のテーマというわけでもないんだけどね)。

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【雑記】・「そう言えば身辺雑記風エッセイって書けなくなったな」

書けなくなったなー。
だって、プライバシー見せるのいやだもん。
同じことを何度も何度も書いているが、他人の日常生活を知ったら大まじめに説教してくる人がいたりして、とかくこの世は住みにくいのである。

だいたい、ネットって監視社会化してるよ。
ミクシィなんて、ログイン時間がわかるから、少なくとも「ミクシィを覗いている」っていう事実はぜったいにわかってしまうわけでしょ。まあ携帯からも見られるから、その人が家にいるかどうかはわからないとしてもさあ。

twitterもそうだよ。あれって、自分の日常を晒している人じゃないと使えないよね。かなりあけっぴろげにしている人じゃないと使えないと思う。

しかも、もともとのコンセプトは「今、自分が何をしているか」を伝えるということでしょ。
なんでそんなことしなきゃいけないのかな~、っていうかむしろ知られてない方が面白いと思うんだけどな。
いや、面白くはないか。でも行動のあがきはいいと思うけど。

話はどんどんそれるが、けっきょくネットとかメールって、頭のいい人がどんなにあがいてもワンフレーズ化していくんだよ。
なぜか。
そりゃ普通人はそんなに長い文章、書けないからです。

んだからけっきょく、ケータイ小説などを通じてのコミュニケーションもそうだが、あらかじめ「そういう人同士」の集合無意識があって、その膨大な共有化されている情報プールがあってこその、ワンフレーズコミニュケーションなんだよね。
それを、冒険家とか民俗学者みたいな感じで、威勢のいい大学の教授とかが入ってって、探検して、それについての本出してみたいな。

むろん、下部構造(ある種の人同士の集合無意識)と上部構造(ワンフレーズのコミニュケーション)というのはお互いに影響しあっている。
でも、けっきょくポケベル持ってた時代はポケベル、でそれが今では携帯になって、それとはまた別にtwitter使える人は使って、というね。

どうしてもその中にどっぷりと入りたければ、集合無意識が容認してくれるかどうかという「儀式」めいたものがあって、よくわかんないけど不良だったら初めて会ったやつ同士でケンカしていきおいがあった方を仲間にしてやるとかさ。
もうちょっとお勉強している人だと、もうちょっと陰険な儀式というかテストみたいなものがあって。
容認されない人たちは「ぶぶ漬けでも食べていったら?」ってやんわりとお引取りいただいて、あとは仲間同士でクスクス笑ってるみたいな。

でも、完全に集合無意識(とか書いたけど、別の言い方をすれば「共有されうる文化」ですよね)を同じにできない人たち同士だと、ずっと誤解とかすり合わせ、レギュレーションの問題が出てくる。

それこそ、水道の使い方とかエアコンの設定温度まで。

まあどうでもいいや。
時間がなくなったのでオシマイ(地球がオシマイ)。

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【ポエム】・「ひょっとこ師たち」

バイトをすることになった。

バイトの内容は、ベルトコンベアに乗せられて流れていくひょっとこの、
お面の眉毛を次々と書いていく、というもの。

ちなみに、ひょっとこのお面にとって最も重要な「とんがった口」は、その道のプロが接着する。
こういう人は仕事場に2、3人いて、バイトと違って非常にプライドが高い。

バイトは午前9時に集合というのが決まりで、1分でも遅刻したら時給を減らされる。
ところが、ひょっとこのとんがった口を接着する人たちは、午前11時頃、のんびりと出社してくる。

手には、スターバックスのコーヒーか何か持っちゃって。

バイトはテキパキしないとすぐ怒られるが、ひょっとこのとんがった口を接着する人たちは、
午前11時頃に出社してからも、さらに30分くらい、タバコを吸う休憩所みたいなところでダラダラし、
午前11時半を過ぎたところで、
「そろそろやるかあ」
などと言いながらそれぞれが配置に付く。

それまで、午前9時からバイトが眉毛を書いておいたひょっとこのお面が山積みになっている。
それを、「ひょっとこのとんがった口を接着する人」たちが手に取り、
次々ととんがった口を接着していく。

その手際は目をみはるようで……なんてことにでもなればバイトの連中も黙っているのだが、
どう観ても「おれでもできんじゃねえの?」程度の手際なのが恐ろしいところだ。

中には接着したひょっとこの口がズレちゃっているものがある。

検品をするのはまた別の係の人の役目で、
それはウチの工場では一名。
やせぎすで頭の禿げ上がったおじさん(正社員)がやっている。

が、どういうわけか「ひょっとこのとんがった口を接着する人」たちに、この人はかなり遠慮がちで、
バイトの我々にはかなり率直に物申してくる。

「どうしてそんなに『ひょっとこのとんがった口を接着する人たち』は、優遇されているのか?」

疑問に思って、仕事帰りに資料室に寄り(そういうところがあるのである)、
「日本ひょっとこ史」
という本を読んでみた。

「日本ひょっとこ史」によると、
ひょっとこのお面の製作を各部位によって分担することにしたのは、
明治時代に入ってから。

西洋から帰国したひょっとこ師(ひょっとこのお面をつくる職人)が、その方式を取り入れたのだという。

彼が近代ひょっとこの父・タコヤキ三太郎である。
(ちなみに、タコヤキ三太郎はたこ焼きの歴史にはまったく関係がない。大学のゼミの試験でここを間違えると確実に単位は取れない。)

ここからがややこしい。
タコヤキ三太郎の娘婿である、セクシュアリティ二郎は、日本ひょっとこをますます発展させるため「日本ひょっとこ学院」を設立。
タコヤキ三太郎はこのことをよく思っておらず、ひょっとこ師の育成はあくまでも従来の徒弟制度によるものであるべきとした。

このため、「分担制度を導入したにもかかわらず、学校の設立と徒弟制度が両立する」というおかしな状態になり、「日本ひょっとこ学院」では「ひょっとこのとがった口の部分」だけの修得が許され、他の部位はまったく別の育成システムにより修得されるという、ねじれ現象が起こってしまったのである。

「ひょっとこのとがった口の部分を接着する人々」のプライドが高いのは、「日本ひょっとこ学院」を卒業しているという誇りと、その反面、「ひょっとこ製作のすべてには関われない」というコンプレックスから来たものであるようだ。

とまあ、そんなことを知っても仕事に変わりがあるわけでなし、私はバイト仲間とはつるんだが、プライドの高い「ひょっとこの口の部分を接着する係」の連中とはあまり関わりを持たなかった。

ある日、「ひょっとこの口の部分を接着する係」の一人が機嫌が悪く、すごい勢いで怒鳴られたことをきっかけに、ますます私は彼らとは疎遠になっていった。

そんなこんなで三ヶ月。

ある日、スーツ姿の男たちが数人、「視察」にやってきた。
いつもは午前11時半頃、のんびりと出社してくる「ひょっとこの口の部分を接着する係」の者たちも、この日は午前9時に出てきていた。

スーツ姿の男たちは、「ひょっとこの口の部分を接着する係」よりももっとプライドが高そうだった。

彼らこそ、「ひょっとこの口の部分を接着する係」よりも位の高い、「ひょっとこの口の部分そのものを製作する係」だったのである。

「ひょっとこの口の部分そのものを製作する係」になるのは非常にむずかしい。「ひょっとこの口の部分を接着する係」を10年以上勤めた後、何回も厳しい試験をパスしてやっとなれる職業なのだ。

この日ばかりは、「ひょっとこの口の部分を接着する係」の連中も頭が上がらないと見えて、神妙な顔で「ひょっとこの口の部分そのものを製作する係」の男たちのアドバイスを聞いている。

なんでも、「ひょっとこの口の部分そのものを製作する係」から嫌われてしまうと、生涯「ひょっとこの口の部分そのものを製作する係」になることはできないそうだ。
「ひょっとこの口の部分を接着する係」の一人、三十代半ばのS氏は、何かのきっかけで嫌われたため、もう「ひょっとこの口の部分そのものを製作する係」にはなれないのだそうだ。

彼だけが、プライドの高い「ひょっとこの口の部分を接着する係」の中でも妙に気さくで、休憩室でもバイトに話しかけたりしていたのはそれが理由らしい。

私も、彼から「子供がまだ小さい」とか「あと何年したら一軒屋を借りられる」とか、話を聞いたことがある。
彼がどうして「ひょっとこの口の部分そのものを製作する係」から嫌われたのかよくはわからないが、他のバイト連中の話によると、ひょっとこのお面の口の部分の角度に関して、かなり斬新な問題提議をしたかららしい。

このため、嫌われてしまい出世の道は閉ざされてしまったが、しっかりと「ひょっとこの口の角度」に関しては検討されたそうだから、この業界が抜け目がないということなのか、それとも技術に関しては健全というべきなのか。

そんなこんなで、さらに半年が経過した。

私は、けっきょくこのバイトをやめてしまったのだが、それは半年経って、ある光景を目にしてしまったからなのだ。

何かの拍子に、完成したひょっとこのお面を出荷するためのトラックに同乗したときのことである。
イレギュラーな手伝いでバイト代は良かったが、あれ以来、別にひょっとこのお面に興味のない私でさえ、やる気をなくしてしまったのだ。

出荷先にトラックを止めると、そこはだだっぴろいゴミ集積場のようなところで、昔の竹の子族みたいな派手なかっこうをして、顔に蛍光色のペンキみたいなものを塗りたくった若い男女が何百人も踊り狂っていた。

音楽のジャンルはよくわからないが、とにかくすごい音量だった。

彼らはトラックの荷台から次々にひょっとこのお面を手に取ると、地面に叩きつけて割り始めたのである。

「ひょっとこお面叩き割り祭り」……これが、現在のひょっとこ産業を支える最大のイベントだったのだ。

彼らはどんなふうにひょっとこの口が接着されているかなど観もしないし、ましてやひょっとこの口の角度など気にしてもいない。

ただ、ひたすらにひょっとこのお面を割り続けるのだった。

私は、工場でのいろんな人のことが頭に浮かんだが、何も言えなかったし、何を言う資格もないし、後で工場の資料室に帰ったら、このあたりのことは、

「ひょっとこお面叩き割り祭り問題を考える」

というテーマで、何冊も著作が出ていることを知った。
NHK特番の録画ビデオまで、資料室には置いてあった。

みんな、何もかも知っていて、自分の立場で仕事をしているのだった。

まあ、それでもどっちみち、私はこのバイトをやめた。

明日から、私は「おかめのお面製造工場」で働くことになる。
(了)

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【ポエム】・「サマーアンビシャス・ホリデー」

サマーアンビシャース
ホリデー
ゲッチュ ワッツニュータイム フォーリンラブ

入道雲
手のひらの上に乗せたら

アイスクリームじゃないよ
超・アイスクリームさ

ビーチサンダル 蹴り上げて
表でも裏でも きっと晴れ

サマーアンビシャース
ホリデー
ゲッチュ ワッツニュータイム フォーリンラブ

あの子を おどかすためだけの怪談
コンビニの立ち読みで仕入れ
花火買うの忘れて
走るのも楽しい

どっちのカップ焼きそばがうまいかなんて
チューブトップとタンクトップのどっちがいいかなんて
論争しているうちに 夏は逃げちゃうよ

まあそんなこんなで やっと手に入れた
特注のフィギュアは 特注じゃなくて
ヤフオクで 希望落札価格は100円だった

漫画喫茶の特等席は 見知らぬデブに取られ
帰りにはスコールみたいな大雨 都会の気候は変わったのさ

ヒート・アイランド だれのせい?
たぶん 地球を荒らした ぼくらのせい

あの子が行ったリゾート地
子供の物売りのはらわたは きっと煮えくりかえっているだろう

そういえば宿題すら思い出した

むずかしい数学の宿題
担任の教師が出した宿題

あの教師のかみさん
すごいブスだって知ってる

近所の壁を見るたびに
壁のシミからその顔を連想する

どんどん日が暮れてくる
テレビは大家族が離散するという特番
それが終わったら アフリカの信じられない飢餓が暴かれた

テレビを消したら おれの顔が映った
52歳の おれの顔には
年齢とともに きざまれたシワすらない

白髪には似合わなくとも
Tシャツを着続けるしかない

それが……夏

それが 夏だ

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無題

流線型の新型列車が通るよ。坊や、手をふってごらん。そう。新型列車は、超高速で通り過ぎるけど、乗組員は坊やが手をふっているのを見ることができるんだよ。

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