・【マンガ雑誌】・「別冊パチスロパニック7」9月号(2009、白夜書房)
三号変則集中連載で、原作:鶴岡法斎、作画:張慶二郎「アルケミーの羊」の第三回が掲載。
要するにいちおうの完結編ですね。
書けない小説家・成田優一は、目まい、眠気、脱力感、幻覚といった体調不良に苦しむ。しかしその原因はわからない。
彼の中で普通に存在しているのは、漠然とした不安感。しかし、それでもスロットを打つことはやめられない。
かといって「スロットを打つと病気が持ち直す」というのでもない。むしろ逆で、当たっていると病状は悪化する。それでも、体調不良のときには奇妙に当たるのでやめることができない。
そこに、佐倉フミという、彼の小説のファンだという女性が現れて……。
というのが前回まで。
ここからは私が思ったこと、読み取ったことなので間違っていたらゴメン(だれにあやまっているのか?)。
物事には常にいい面と悪い面、ラッキーを運ぶ側面とアンラッキーを運ぶ側面がある。要するに両義性だ。
三話まで読んだ感想としては、この物語ってすべてこの「両義性」で成り立っているなあ、と。
「病気なのにすごいスロット能力を発揮する」でもなく、「すごいスロット能力の持ち主の弱点が病気」というのでもなく。
スロットに本気で打ち込もうと決心するのでもなく、スロットを通じて本当に自分のやりたいことを思い出す、というのでもなく。
「真の愛」に目覚めるでもなく、偽りの愛に身をゆだねるでもない。
そもそも、成田がスロットに夢中になっちゃったら小説をますます書かなくなってしまうかもしれない。けれども、今の成田にはスロットでさえ、楽しく打つことが重要なことかもしれないとも思わせる。
で、もちろんその「両義性」というのは達観したソレではなく、錯綜した、ゴチャゴチャな、日常のどうしようもないいろんなことの中で生きていくうえで、どうやって人生にとって「いいこと」を51パーセントにして、「悪いこと」を49パーセントにするかみたいな。
いいことが少しでもまさっていればそれはいいことなわけで。
それが積み重なっていけば、だれもが感じる絶望感多き人生、何とかなるんじゃないか、というような。
それも自己啓発的な「こうなんだッ!!」っていう感じじゃなくて、ジワーッと、人間の生、生きることの意志を肯定しているようなね……そういう感じがするんですよね。
以前の連載「crossover」の最終回を読んだときにも感じたんですが、何かが終わったとき、人の心の中でも何かが終わるけど、違う何かは変化し、しかし確実に先送りされていくでしょう。それは希望かもしれないし、絶望かもしれないし、もっと違う別の感情かもしれないけど、人の日常というのはそういうものであると。
なんか、すごいそういうのを感じるんですよね。
これは三号続けて読んでよかったと思いましたよ。本当に。
以下は私、僭越ながらおまけというか。
これで鶴岡さん原作のマンガを、いろんなタイプ、かなりの数読んできたんですけど、
・短編
・中篇
・長編
・長編の中の1エピソード
・伏線を活かす
・伏線など追っていない読者向きに長編を書く
・きちんと最終回で物語を終わらせる
……っていう、マンガ原作を商売として書いていくためのひとおりの技術がすばらしいと思います。
(職人的なものなのか、毎回苦心しながら執筆されているのかは知らないのですが……。)
短編はうまいけど連載したらアララとか、その逆とか、ぜったいないと思うのでマンガ出版社のヒトたちは注目しておいた方がいいですよ。
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