【訃報】・「ジョン・A・キール」、あるいは「キール発 根本敬行き」
心臓発作で死去、79歳。
私にしては非常に珍しく、訃報について2回連続で書く。
このようなときでもなければ、浅学な私がキールについて(体系だった超常現象に関する知識が望まれるにもかかわらず)書くことは不可能だからだ。
なお、ミクシィ日記に書いたこととは違った角度で書きます。
ジョン・キールがもっとも一般的に有名なのは「モスマンの黙示」[amazon]を著した、ということだろう。
テレビの超常現象スペシャルなどで定期的にあらわれる人気UMA、それが「モスマン」である。
・その1 狭義の超常現象がらみで
1966年頃、アメリカはヴァージニア州ポイント・プレザントで複数の目撃例が報告されたというUMA、モスマン。
要は「蛾人間」ということだが、興味深いのはUFOとの関連性が漠然と示唆されることである。「3メートルの宇宙人」であるところのフラットウッズ・モンスター同様、リトル・グレイが浸透する以前の、「怪奇」の香りを濃厚に漂わせたUMAであると言える。
そして、その怪奇色は、キールの筆に拠るところが大きいのではないかと思う。
「フラットウッズモンスター」がもはやノスタルジーの対象になってしまっているのに対し、「モスマン」の方は2002年に「プロフェシー」[amazon]という映画になっていることからもわかるように、まだまだ「恐怖の対象」として現役のようである。
私が読みかじったさまざまな本によれば、かつてUFOと怪物、ビッグフットなどが関連づけられていた時代があったらしい。70年代半ばくらいまでか。
それ以降のリトル・グレイに関する都市伝説は、墜落円盤を政府が隠蔽しているなどの陰謀論がらみであまりにも整理されすぎてしまい、伝説としての魅力を失ってしまった感がある。
メン・イン・ブラックに至っては、SFコメディ映画「MIB」によってイマジネーションの息の根を止められてしまった。
が、モスマンは「UFO」との関連を保ちつついまだに「UMA」とも連関し続けている。
UFO、UMAの都市伝説が心霊現象と違うのはどこかというと、「確固たる何か」が存在するかもしれないという大前提がありつつ、その「何か」が決して出て来ないという点にある。
もちろん、円盤の着陸跡や写真といった「物証」が出ることもあるが、調査・研究すればそれは瞬時にガラクタへと変貌してしまう。そしてまた、あてのない「確固たる何か」探しが始まる。
ソレは、目の前にぶら下げられたにんじんを永遠に食べることができないことと等しい。
逆に、心霊現象の世界は物証などなくてもかまわない。英米の心霊研究では「物証」を求めているようだが、日本人にはその感性はよくわからないだろう。だからこそ、少なくとも日本で心霊現象の伝説が古びることはない。
つまり、UFO伝説を永遠に保持していたいなら、「確固たる何か」を永久に宙吊りにするしかない。手が届きそうで届かず、届かなそうで届くかもしれない、というふうに。
その試みの、かなり初期からの提唱者の一人が、キールなのでは、と浅学ながらにして思う。
・その2 無意味の意味、意味の無意味について
キールのユニークなUFO観、超常現象観を著したのが「UFO超地球人説」という著作らしいのだが、かなりのレア物件で簡単に読むことができない。私も読んでいない。
そこでウィキペディアを頼りにして、「超地球人説」とは何か観てみよう。
キールは、UFOとは、宇宙由来の存在ではなく、我々に知られずに地球に生息している非-人間的もしくは心霊的な知能存在(彼はそれを“超地球人” と名づけた)が、「UFOとは宇宙人の乗り物である」という誤った信念を広めるために、長期間にわたって繰り広げた壮大なペテンであると主張する。例えば、中世ヨーロッパの妖精伝承、吸血鬼伝説、1897年に目撃された謎の飛行船、1930年代に出没した謎の飛行機、ミステリアス・ヘリコプター、UMA など異常な生物の目撃例、ポルターガイスト現象、光球やUFOの目撃例などの超常現象が全て欺瞞であるというのだ。彼ら(超地球人)は、宇宙船に乗った宇宙人として姿を現し、わざと墜落して見せたり、故障した宇宙船を修理しているところを目撃させたりして、「UFOは宇宙人の乗り物である」という誤った信念を人々に抱かせようとしているのだとキールは主張した。
まあ、はっきり言ってこのくだりだけ読むと、狭義の超常現象に関しては「何も言っていないに等しい」ように一見、感じる。
だって、「超地球人」なんて検証のしようがないのだから。
しかし、いちおう説明しておくと「データを大量に集め、そこからもっともらしいものをかき集めていけば真実にたどりつける」という、既存の超常現象観に強烈なアンチテーゼを叩きつけていることがわかる。
しかも、「異次元のことだから、けっきょくわからないよね」と言っているのではなく、「壮大なペテン」という、あくまでも「仕掛けた何者かが存在する」、何者かの「意志」を前提としている説になっている。
で、私のキールの「超地球人説」の「超常現象の説明原理」としての興味は、ここまでである。
そして……。
「超地球人の壮大なペテン」という概念は、根本敬がかつて言っていた、
「神様っていうのは、カタギじゃない」
発言に通じるものがあると思う。
要は、おそらく大局的に観て何の意味もない一人ひとりの人生、逆に言っても同じだけれども、その個々人一人ひとりにとってしか意味を持たないがゆえの不条理が巻き起こる人生。
それにどう解釈を加えるか、という点において、日本の前近代的感覚、土着的感覚からアプローチしようとしているのが根本敬で、
おそらく意図的に西欧的価値観にアンチテーゼを突きつけようとしている、当の西欧の人物としてキールがいる、という図式を、自分は思い描いている(その点、好きだけどコリン・ウィルソンはちと無邪気すぎるよね)。
幻想、幻視、幻覚を見せるのは人間自身で、
その辺はもう、自分はおおかた決着がついちゃってるんじゃないかと思っている。
むろん、1パーセントか0.1パーセントか、本当の本当に不思議な現象というのは残るかもしれないけど、
それは「不思議」といっても本当に「ただの不思議」である。
それに、人間として対峙したときに何の意味があるのか、あるいは意味が無いとしてもどうそれを受け入れていくか。
自分の人生に組み入れていくか、が自分にとっては重要なのだ。
キールは、亡くなった年齢からしてもとっくに現役は引退していたのかもしれないが、それにしても彼が書いたものの中に何かヒントがあるはず。
「怪力乱心を語らず」をあえて無視し、踏み外し、壮大に迂回してたどり着いたところに、人生の真実があるかも……。
別の人の、シンクロニシティの研究なんかもそうなんだけど。シンクロニシティというのは、けっきょく無意味な人生に意味づけをしていくことから起こる現象なわけだから。
キール発、根本敬行き。
そんな幻想を抱いている今日この頃なのであります。
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