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【お笑い】・「アメトーーク!の批評性、あるいは魔法は簡単にはとけません」

「吉本うらやましい芸人」ということで、「吉本は人数が多いし、ネットワークが半端じゃないのでテレビに出たときに団体芸ができる」ということをうらやましがる、非・吉本芸人がおおぜい出演する、という内容(テレビ東京の「ゴッドタン」とのからみもあるらしいが私はそっちの方は未見)。

で、この回って、「ひな壇芸人」、「芸人ドラフト会議」から続く流れだと思うんですよね。
もともと、「アメトーーク!」という番組が、芸人をさまざまなくくり(「ガンダム芸人」や「ジョジョ芸人」や「家電芸人」など)で振り分け、プレゼンしてもらうという形式でブレイクしたのはだれもが認めるところだとは思う。

が、その「くくり」にもいくつかパターンがある。「自分の趣味、好きなもの」を扱うのが普通だが、現状のテレビのお笑いやテレビバラエティそのもの、ひいてはこの「○○芸人」そのもののパロディまでもが登場する。

「○○芸人」のパロディが「油揚げ芸人」の回だろう。なんで油揚げなの? と思うが、「○○芸人」という形式そのもののパロディだと思えば納得が行くし、またこの手の無意味カテゴリが他にはあまりないのも、それがパロディだったからゆえだろう。

そして、もう一方の「趣味、好きなもの」とは別の流れが、「ひな壇芸人」、「芸人ドラフト会議」、あと確か有吉が、一発屋について語る、ってのがあったよね? そういうやつ。そして今回の「吉本うらやましい芸人」につながってくるわけだ。

まあ、有吉の一発屋体験の件はおくとして、他の三つは、ほとんど現状のテレビバラエティの構造を暴こうとするような、挑戦的な企画だと自分は考える。
「吉本の団体芸の基本は吉本新喜劇にある」というのは間違ってはいないのだろうけど、あれは「新喜劇」という枠内でのお約束だから「テレビバラエティ」に直接的に影響を与えるものではない。
が、「なんとなく横のつながりがある」とか「先輩後輩のつながりが強い」、さらには「バラエティの司会をつとめることが多い芸人が直接の先輩である」ということなどは、テレビバラエティの流れを(絶対的なものではないにせよ)決定づける大きな要素のひとつではあるだろう。

それはすでに、「お笑いを通してお笑いを批評している」行為といっても過言ではない。そして、特筆すべきは、そうした行為にも関わらず、たぶん何も知らない視聴者にもじゅうぶん「笑い」として成立しているということだ。

これは、何も知らない人にとっては普通の笑い、ちょっとひねくれた人にとってはキャンプ的な、ツッコミ不在のひねた笑いのように見えるという二重構造を提供した片岡飛鳥演出にも通じるものがある。

ここでアメトーーク!という番組の地肩の強さを評価すべきか、あるいはその批評性を評価すべきか考えた場合、私としては、「その批評性にも関わらず、お笑いが解体されきらない」ということの面白さに注目したい。

あまりにも構造が明らかになりすぎる、あるいは批評性が強くなりすぎるとジャンルとしての地肩が弱くなってしまう、ということがありえる。たとえば「プロレス」は「総合格闘技」という存在が批評の機能を果たしてしまい、ジャンルとして弱くなってしまったし、一時期は「メジャーリーグのベースボール」が批評として機能してしまって日本のプロ野球も危なかった。

しかし、お笑いというのは解体しようとしても、どこかに必ず「ベタ」なるものが残るという不思議なジャンルだと思う。
そもそも「笑い」そのものが一種の批評だと言えるから、外部の目や批評をも取り込んでまた笑いに変えてしまうという強みを持っているのだ。

つまり、「批評」の手にかかっても簡単には魔法がとけないのが「お笑い」のすごいところではないかと思う。

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