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【書籍】・「と学会年鑑BROWN」 と学会(2009、楽工社)

Nekanbrown
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雑多な、トンデモ本、グッズ、映像などを集めた本。
「ホームレス中学生」田村の父が、超能力によって探し出されたというのがウソであるという検証記事が入ってます(まあ田村も大変だとは思いますが……)。

いつも思うが、年鑑の感想を書いてくれる人ってほとんどが超常現象のデバンキング目当てな気がする。
それでもいいけど、サラリと重要なことが書いてあるシリーズなんですよ。

で、今回は少年犯罪とゲームの関係を扱った「少年たちは電気羊の夢を見るか」と宗教方面から「ダ・ヴィンチ・コード」にツッコミを入れた「ダ・ヴィンチ学園 身体検査の巻」が、知的好奇心をくすぐられて面白い(他にも面白い記事はたくさん載っていますけどね)。

で、それをふまえた上で、「ダ・ヴィンチ・コード」へのツッコミに関する、「伝奇小説」全般の問題(?)について触れてみたい。

……といっても、伝奇小説のファンの間ではすでに指摘されていることかもしれない。
それは「伝奇小説において、仮説、珍説、奇説の妥当性はどこまで重要か?」という問題である。

というのは、SF作品においては科学考証がどんなレベルのSFでも(スペースオペラでも、ラノベでも)いちおう検討されるのに対し、伝奇小説、伝奇SFではそこがあまり問題になっていないように感じるからだ。

たとえば、「上杉謙信は女」というのは単なるヨタ話だと思うが、この「上杉謙信は女」という説を、ある程度リアルに検討したうえで書かれた小説に、その「ヨタ話の度合い」がどの程度関わってくるかということだ。

「ダ・ヴィンチ・コード」が問題となったのには理由がふたつある。

ひとつは「この物語は真実です」的なことを書いた点。
もうひとつは、扱ったのがイエス・キリストであったという点だろう。

日本の伝奇小説の場合、まず「この物語は真実です」というようなことはない。
次に、イエスのような宗教タブーを扱う場合も、たぶんほとんどない(天皇を扱ったものはいくつもあるが、ダ・ヴィンチ・コードほど大胆な扱いをしているものは少ないと思う)。

だからこそ、日本の伝奇小説は少なくともダ・ヴィンチ・コード並みの騒ぎにはならなかった。

しかし、日本の伝奇小説、伝奇SFがたとえば「ムー的なもの」を日常的に信じさせることにひと役買ったと言えないこともなく、珍説・奇説の虚実皮膜の問題は非常にややこしいと言わねばならない。

別の話で、「テレビで霊や超常現象の番組をやらないでほしい」と、どっかの団体が抗議したと聞いたことがあるが、この辺も線引きはむずかしいと思う。
こういうとき、人間はそれと気づかぬうちに、日常的に虚実皮膜の世界に生きているのだな、と感じる。

やはり、「死んだら墓を立てない」と言って悦に入っている大槻教授は無粋だし、話にならんと思ったりするのである。

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