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・「聖☆おにいさん」(3) 中村光(2009、講談社)

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休暇をもらって下界の日本の立川市で二人暮らしをしている聖人・イエスとブッダの日常。
「このマンガがすごい!2009」のオトコ編でぶっちぎりで1位だったらしく、そのためかえって語りにくくなってしまった。

・「このマンガがすごい!」がらみの話
まあ、本作の内容に関しては1~2巻の感想を読んでください。

さて、「このマンガがすごい!」の存在意義の話から始める。
結論から言えば、こういうのは必要悪だから、あっていいのだ。

マンガも数が増えてきて、しかも雑誌は売れないのに単行本は売れてる、みたいな状況があるらしい。
この場合、「雑誌で面白いマンガをチョイスして単行本を買う」という、それまで正規とされてきたルートが活きていないわけだから、ランキングの本があった方がいいと思う。

SF、ミステリ、映画などのジャンルは、まずとりあえずの「権威」があり、それを仮想敵にして別の価値観とかランキングができあがってきた経緯がある。
たとえば「このミス」や「映画秘宝」は、それまでのミステリ、映画の固定概念への不満からできたものだったと記憶する。

そして、よくも悪くも、マンガだけがそうした権威からほぼ逃れてきた。理由はいろいろあるだろうが、そのようなところからは「読む側」の価値観の構図は非常に見えにくい。それならば、「仮想敵」としてのランキングがあった方が、アンチの考えも明確になって、わかりやすくなる。

それと、「このマンガがすごい」のラインナップが「オシャレすぎる」という意見もネットでたまに観るが、ムックはもともと販促に貢献しなければ意味がないと思う。「普通に売れている作品」は、数字として純粋にその姿が現れてしまっている。それならば、多少マイナーなものを紹介した方が、出版物の意義はあるかな、と思う。

あえてメジャーな作品を取り上げて、まがりなりにも文章を書くなら、単なる「こじゃれやがって」という不満ややっかみを越えるものでなければいけないのではないか。
少なくとも、私は「名探偵コナン」や「ナルト」をランク入りさせて、なおかつ意義のあるテキストを書ける自信はないよ。

同じメジャー同士、どちらが価値があるか? そしてその価値観に、自分が責任を持てるか? というところにまで斬り込まないと、メジャー作品というのは「発行部数」という絶対強固なランキングがすでに出ている存在だから、それについてのテキストはかえってむずかしいのだ。

・お笑いメソッドの話
この間、知り合いに「なぜこのマンガにはお笑い用語が頻発するのか?」と言われて、なるほどと思った。
だって、3巻の最初の数ページの段階でブッダが「返しに困るギャグだなー」なんて言ってるんだもんね。

そういう言葉遣い(ムチャブリ、とかハードルを上げる、とか)があまりに無邪気に出てくるので、お笑いファンの私でもちょっと気恥ずかしくなってしまうのだが。

だが、である。

けっこう、昔からそういうことは現実としてあるんだよねえ。
「寿司屋で客が、寿司屋用語を使うのは恥ずかしい」というのは、グルメマンガや、あるいは私も実際にお寿司屋さんから聞いた話ではある。
客がプロの内情に踏み込むというのはヤボなことではあるのだが、実はプロ側も、自分ところの事情を客側に小出しにして釣ってきた、という歴史が(業界にもよるが)、かなり前からはっきりとあるのである。

たとえば、前にも書いたけど職人のまかないを客に出す店とかね。「本末転倒だろ!!」って思って大笑いしたが、実際うまいのかもしれないし。

「お笑いメソッド」を客側に提示することによって、バラエティの幅を広げたのはとんねるずと明石家さんま、そして島田紳助でもあるし。

「まかないを客に出す店」はメジャーではないかもしれない。今後なくなるかもしれないが、もはやテレビバラエティはさんま・紳助メソッドで回っているといっても過言ではない。すなわち、それがスタンダードになってしまったのだ。

この流れは、もう止まらないだろう。

「聖☆おにいさん」とは何の関係もないが、この話、もう少し続ける。

以前、山田五郎がどこかで言っていてものすごく面白かったのが、「ブランドもの」についての話である(前にも書いた)。
「ブランドもの」というのは、もともと少数のお金持ちのためのものだったのが、それを大衆向けに売らないと成り立たない、というジレンマを、最初から持っていたというのだ。
たとえばエルメスは、皇帝とかを相手にした馬具工房だったという。それがやっていけなくなったからバッグとかつくってるんだから。しかしおそらく、エルメスの重大な価値は「いろんな意味で老舗」ということだろう。

こういう構造はどこの分野にもあって、もともとごく少数の人たちのためだけにつくっていた商売を、それだけではやっていけないというので一般大衆に開放してしまうのである。

たぶんお茶とかお花とか武道とか三味線とかもそのような経緯で「一般の人が教わる」ことになっていったはずで、必ずしも近代的な大量消費社会でだけ起こる現象ではない、ということは留意しておく必要があるだろう。
(格闘技マンガで「秘技」とか「奥義」とかが出てくるが、たとえばフルコンタクトの空手が現在のように隆盛なのは「直接当てる空手」を、それまでなかったところで一般人に教える、というアピールをしたからだ。しかしフルコンタクト空手に「奥義」的なモノはないかというと、たぶんあるだろう。そんなような話である。)

ま、それにしたって「聖☆おにいさん」におけるお笑い用語の使い方はちょっと無邪気すぎる気はしないでもないわけですが。

本作についてひと言だけ書いておくと、ユダとディーバダッタの比較というのはすごい面白いと思った。

1~2巻の感想

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