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【お笑い】・「品川」

人気者なのに愛されない芸人・品川祐の「がむしゃらなリアル」(日刊サイゾー)

「お笑いについて書くのやーめた」と言いつつ、思いついたら書く。

リンク先は「品川はなぜ嫌われつつも人気があり、人気がありつつも嫌われているのか」という話。

 そして、品川が嫌われる最大の理由も、そのリアリズムにあるのだと思う。現実を踏まえて一歩一歩地道にキャリアを重ねる彼の生き方には、夢がない。一般の視聴者の多くは、テレビに夢や憧れを見いだそうとしている。テレビの世界は、圧倒的に美しい俳優やアイドル、天才的な運動神経を備えたアスリート、爆発的に面白い天才芸人たちで満ちあふれている。そんな中で、戦略的にこつこつと努力を重ねて成り上がってきたような品川の泥臭い芸風は、決して愛されることはない。

じゃあ、「なんで似たようなスタンスの土田は品川のように思われていないのか」という疑問が残る。

その1
そもそもが、芸人やタレントと言えど食っていかなければならないのだから、「食うために」意にそわない仕事をしたり、安きに流れたりといった人たちは品川だけではない。

品川が嫌われつつも人気があるのは、「リアリズムで動いているから」ではない。
「自分はリアリズムで動いている、ということを自己言及しているから」である。
そのアピールが鼻につくのだ。

「ひな壇」うんぬんの話で行けば土田もまったく同じようなことをやっていると思うが、「こんなに一生懸命やってます」、「こんなにがんばっています」という自己アピールはしていない。一歩引いた芸風である。
逆に、品川は前に出るから。
ま、真相はそんなところだろう。

なお、「品川とひな壇」をめぐっては、彼(と土田だったか?)が「ひな壇芸人」という役割をテレビ番組「アメトーーク」でバクロしたことによる「楽屋裏の提示」が問題になる場合がある。
人はいったん、楽屋裏を提示されてしまうともうそれまでのような見方ができなくなってしまうからだ。

しかし、テレビのお笑い、バラエティの歴史は自己言及、楽屋裏ばらし(あるいは楽屋裏をばらしていると視聴者に思わせること)で成り立ってきた。少なくとも80年代のマンザイブーム以降はずっとそうなのだ。

段階的な「楽屋裏ばらし」の過程にあって、品川(と土田)は、その長い歴史の中に名前をひとつくわえたにすぎない。
似たようなことは、お笑いマニアに批評ツールを提示したサンキュータツオの「手数論」にも言えるのだが、

手のうちをバクロされたら滅びるようなジャンルは、滅びてしまえばいい。
それは、ジャンルが必ず通過しなければいけない儀礼ですらあると言える。
しかし、お笑いもバラエティも、そんなことは意に介さずにこれからも続くだろう。

その2
品川の話に戻る。
「品川はリアリスト」という評だが、それも疑問である。やっていることはリアリズムでやっているのかもしれないが、彼に夢がないわけはないではないか。
夢がなければ芸能人なんてやるわけないよ!!

たぶん、実際に会ったらすごい人なんじゃないかとも思うよ。夢もいっぱい語ってくれると思う。
むしろ、「自分のやり方(ひな壇での立ち居振る舞いなど)を提示してしまった」ということで言えば、彼は正直なんだよ。

中山ヒデと比較したらわかるだろう。
ヒデは、自分なりの方法論はたぶんぜったいに提示しないよ。
そしてもちろん、ヒデにだって夢はあるはずだよ。

でも、ヒデの夢に我々がシンクロできないんだけなんですよ。

私はむしろ、「芸人は反体制」、「芸人はパンク」みたいな幻想が、品川を(多少、お笑いをよく観ている人の中の、一部の人に)「つまらない芸人」というイメージで観られる原因になっていると感じる。

たぶん彼は、お笑い飽和状態の中で夢中で泳いでいるにすぎなくて、そこに才走った自己言及が入っているだけだという気はするね。

品川がもう一段飛躍するには、どこかで大失敗すべきなんじゃないかと思う。
でもそれは、彼の美学が許さないだろうなあ、とも思うね。
そして、美学がある、ってことは、やっぱり夢があるってことなんだよ。

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