・「夜に蠢く 欲望の迷宮編」 柳沢きみお(2009、グリーンアロー出版社)
実話誌に連載されているマンガの第4巻。
ふとしたきっかけで、それまでの生活をすべて捨て、妻子をも捨て、大出版社のニセ社長として生きることになった主人公の欲望を描く。
中年以降のきみお作品を鑑賞し始めて初心者の私。
考えたんだが、ミドル・クライシス以降の(それ以前の作品はよく知らないので)きみお作品は、ただひたすらに「日常」と「引き」だけで存在しているように思える。
連載マンガの「引き」の問題はなかなかむずかしい。次週に引っ張るテクニックと、その回だけで楽しませるテクニックは、合致する場合もあるが相反する作用がはたらく場合もあるからだ。
たいてい、長寿連載の多い、アベレージヒッターの売れっ子作家は、この「引き」のバランスがうまいのだなと感じた。
いや、バランスなどと言うより、「引き」と「その回の満足度」が一体化しているといった方がいいだろう。
なんでこんなことを書いているかというと、本作はあらすじを紹介することにほとんど意味が無いと思うからだ。
要は中年男の欲望が描かれて、それが作品内で満たされればいいのである。
その欲望は読者の中にも常に存在し、解決されることはなく、いったんはおさまってもしばらくするとまた頭をもたげてくる、そんなものだからだ。
現状の柳沢きみおは、ひたすらにそういう中年男の欲望を描いていればいい。読者は読んでいる間だけ共感し、疑似体験をし、読み終わった瞬間にそれを忘れて日常に戻る。
そしてまたきみお作品を手に取り、自分の寂しさや欲望を思い出して共感し、読後またそれを忘れて日常に戻る……その繰り返しなのだから。
そしていつしか、「老い」というものによって、欲望自体が薄まっていく(実際、最近の「只野仁」の方では老境にさしかかり、欲望さえも持たなくなった者の寂しさが描かれている)。
逆に言えば、若い頃の柳沢きみおのマンガに私が興味を持てなかったのは、提示されたテーマに解決策があるのではないかとか、結論の出ない話を読まされても仕方がないと思っていたからだ。
しかし、柳沢きみお作品には、たぶん最初から結論などはない。自己の「存在」に対する本質的な虚無感があり、そしてここから先が重要なのだが、そうした虚無感は酒や旨い食い物やセックスなどで瞬間的に(あくまで瞬間的に)満たされてしまうということが、そのまま正直に描かれているのだ。
だから基本的に柳沢きみおのマンガは、とくに五十代以降の作品は、始まりはあるしいちおうの結末はあるが、何も解決しないしどうしても持ってこなければならない結末でもない。
客観的に観て「負け組」でもなんでもないきみおが、こういう作品を描けるというのはある意味稀有なことであり、だからこその人気なのだろうなと思う。
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