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【映画】・「バッド・ムービー・アミーゴスの日本映画最終戦争2007-2008 邦画バブル死闘編」 柳下毅一郎&江戸木純withクマちゃん(2009、洋泉社) 

Badmovie
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「銀色のシーズン」や「少林少女」など、映画ファンでもまず観に行かない邦画バブル下の映画群に関して、「ガース」、「エド」、「クマちゃん」という人の三人が、各映画ごとに鼎談する形式の本。

オビには「ダメ日本映画58本メッタ刺し!」と書いてある。
まあ、そういう本です。

・その1
役割としては、「エド(江戸木純)」の基本的な、脚本だとかカット割りだとかの技術的な批判に、
「ガース」が「映画とは」みたいな本質論的なところを乗っけて、
それを「クマちゃん」がうまく回していく、みたいな役割分担、かな。

全体が「罵倒芸」なので、連載で1話1話読むならいいんだろうけどまとめて読むと、疲れた。私ももう若くないなあ。

江戸木純の批判は映画人としてはまっとうなものだろうとは思うが、それは「映画人」としてであって、そこからの広がりはよくも悪くも、少ない(こういう正統的な「お説教」が、無効だとは言わないが)。
だから「テレビ界ってやつぁ」とか「お笑い芸人ってやつぁ」とか「演劇人ってやつぁ」とか、「ヒップホップ? 知らねーよそんなもん(笑)」という批判がところどころに出てくる(日本のHIPHOPを扱ったドキュメンタリー映画が紹介されている)。

たぶん、映画を、映画だけを愛しているんですね。

で、そこにガースがかぶせていく。ガースはたぶん、江戸木純の批判がある種の紋切り型というか教条的であることをわかってて、その上で発言してる。

本書は基本的に、「テレビ業界の映画界への介入」への危機感が底流にあるんだけれども、2007~2008年には「ケータイ小説の流行による、安易なティーン向けメロドラマの映画化の多さ」という別の側面もあった。
が、そっちの考察はちょっと手薄。
「ケータイ小説」が実際に売れて、読まれ、そこに興業的な見込みがあって映画化されている状況にそのまんま、「エド」氏にかぎって言えば「映画秘宝」的な教養主義、啓蒙主義をかぶせてあるだけだから、言ってもしょうがないことの羅列になってしまう。

・その2
もうひとつ思ったのは、前にも書いたけど「だれが脱いでる」とか「脱いでない」とかで、どうでもいい映画に関してどこまで許すか決めているようなことが冗談として成立するという雰囲気は、もうやめようということ。
「僕の彼女はサイボーグ」の綾瀬はるかにしたって、いくらおっぱいがよく撮れていると行ったって生乳出してるわけじゃなし。
そこで「男の無邪気さ」をアピールされてもなあ、というのはある。

また大枠で言えば、宮沢りえのヘアヌードに伴うヌードバブルの崩壊や、ネットできわめて安価に(もしくはタダで)女性のハダカが観られる時代にあっては、「キレイで知名度もある女優さんが脱ぐ」って、ほとんどないことなんじゃないかな。
だから、「夏帆や長谷川京子が脱いだらもっと評価したのに」みたいのは、いやいやいや、ぜったい無理だから!! って思うだけだよなあ。

・その3
あと、本書では「なんだか知らねぇけど業界に変なやつが参入してきたよなあ」みたいな他ジャンル批判があるでしょ。
邦画バブルは、演劇出身の三谷やクドカンや、あるいはお笑い芸人の松本や劇団ひとりが映画に関わったということでもあるから(いや三谷、クドカンはその前からいるけどメジャーな存在として大きく関われた、ってのはあるから)。

そこに、「映画の文法は他のジャンルと違うんだよ!」って言うのは正論もド正論だとは思うけど、逆に他ジャンルに関する知識を意図的にシャットアウトしてる、ってところもあるよね。
そのような行為は、もはや彼らの年齢とかサブカルにおける役割的に許されないだろう。
ガースはそこんところをわかっているようだけど、江戸木純はもっとずっと無邪気にやっちゃってるなあ、と。

紹介されている映画の1本、「R246STORY」というオムニバスの中に「DEAD NOISE」という日本のHIPHOPのドキュメンタリーがあるという。
まあ、私も観てないんで本当にヒドい作品かもしれないけど、もちろんその映画がヒドいからといって、日本のヒップホップがダメかというとそれは普通に考えても別問題じゃん。

でも、映画内のラッパーとかを「奇矯なふるまいをする変わった人」として珍獣扱いするというスタンスに、「ああ、またコレか」って思っちゃったのも私の心の中では事実、ですよ。

少なくとも、サブカル内での新規参入者への「なんだかわけがわかんないのが来ちゃったよ」的なふるまいは、私はもうけっこうです。

・その4
「映画にテレビ局が介入することの弊害」というのはよくわかったけど、でも、それと「映画とテレビドラマはどう違うのか」というのはまったく別の問題だから、もうちょっとそっちを取り上げてほしかった。

私が興味があるのは「じゃあ、志の高い人間がテレビドラマをつくったら面白くなるのか」ということだからね。

「テレビでやってたら腹も立たなかった」というような言い方はさ、まあそれも映画を表現するときの的確な表現ではあるんだけど、でも「テレビドラマの独自性とは何か」って話にはなっていってない。
そこがある程度明らかにならないと、「志の低いテレビ界&代理店VS映画界」という印象だけが強く残ってしまう(まあ、ここでもガースはジャック・バウアーの「24」などを例に出して、テレビドラマの価値を救い出していますけどね)。

いろいろ書いたけど、今後も続けていってほしい企画ではある。
私だって知らないで「少林少女」とか観るの、イヤだから。

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