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【雑記】・「ひとりごとターイム2」

くまくま大作戦。読まなくていいです(くまは出ません)。

いやはや、ネットウロウロしていて「何かやろう」としている人に、冷や水だけぶっかけることに血道を上げる人、というのは本当につまらないですねえ。

私も、私の意見として責任を持つ発言をするなら、「中庸」を意識したつまらないものになるとは思います。

でも、それと人の足をひっぱる(というか、足をひっぱってる意識もないか、逆に、ブログになんか書くだけで「足をひっぱった」と満足しちゃってる状態)ってのとはまた違う話でね。

今の世の中、マジメに、ガムシャラに働けば、たぶん餓死はしないはずですよね。
というより、マジメに、ガムシャラに働けば、餓死しないなんていう最低レベルではなくて、
酒を飲んだり、ちょっとした一泊旅行に行けるくらいの余裕はおそらくあるはずです。

でも、すごい今の世の中に閉塞感、あるでしょ。私はありますよ。

でもでも、「閉塞感、あるなあ」って言ったとしたらどうなるかというと、

「マジメに、ガムシャラに働けば、ちょっとばかり楽しいこともあるんだから贅沢言うな。それと健康なのに、マジメに、ガムシャラに働けないのはオマエの責任、自己責任だ」って言われるわけですよね。

もう、そこに反論の余地、ないわけですよ。
で、閉塞感の理由のひとつは、「閉塞感あるな、って主張したらたちまち反論できない完璧な正論を言われる」ということなので、

無限ループなんですよ。

うわあ、大発見!!!!!

で、無限ループだということはどういうことかというと、その膠着状態から抜け出せないということなので、閉塞なんですよ。

……ということが永遠に続くんです。

だから、なんかエラソーに、しかもヒマなのか膨大な量のテキストを更新して、それでなんか叩きやすいところをねらってわざわざ「正論」をかまして潰そうとしているブログとか観ると、

「……ああ、この人もまたオレの閉塞感にひと役買っているな」って、思っちゃう。

まあ、だいたいユーモア精神がないからそんなことやってるんだろうけどね。

物事の閉塞感を打開する有効な手法が「ユーモア」であることは私もずいぶん前からわかっていて、
確かどっかで主張したこともありますが、

実は「ユーモア」を解するかどうか、というのもその人それぞれの「センス」という、努力や根性ではどうにもならないところに還元されてしまうところが、ネックなんですよねえ。

たまに、小島よしおに「芸がない」とか言って本気で怒って、一方でM-1の詳細な分析とかをしているお笑い評サイトとかがありますが、
そういうのも「閉塞感」をつくるのにひと役買ってるんだよねえ。

私がオモテでお笑いに関して書くのを極力やめてしまったのも、そこにあるんだけど。

まあ、だれかがやらなければならないとは思いますよ。お笑い評は。

いくら「だまって観てりゃいいのに評論家ぶりやがって」って言われようが、ジャンルが成熟していく上で、批評の言葉が充実していくというのは、いい悪いとは別に不可逆的なことですからね。

不可逆的な進行ならば、まともな人が出てきてまともなことを言った方がいい。

ただ、私はもう面倒になったので、ちょっと降りかけてる。
だってさあ、笑いたいからお笑い観るのに、お笑い観て論争とかするの、疲れるんですよ。
もちろん、やりたい人を否定はしませんが。

強調しておきますが、ひとつのジャンルがコトバによる分析によって腑分け・解体されていくのは不可逆的なことで、そういう分析に耐えられないジャンルというのは滅びるしかないし、滅びてもいいとさえ思ってます。

それで手品のタネを明かされたような顔を(送り手に)されては、困るんですよ。

ただし、「言葉による腑分け」が、逆に物事を窮屈にする場合がある、ということを、論者は理解しておくべきだとも思います。
逆に、もっとそのジャンルを豊かなものにしていかないといけない。

だから、テレビという鵺みたいな装置の中にあってですよ、小島よしおを下げてM-1を上げるような、そんなくだらんスジ論はいいかげんやめていただきたいということですよ。

まあ、特定のだれかがいるわけではありませんが。

本当に窮屈だなオイ!!

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