【雑記】・「サザンのことなど、つれづれに」
カツヤなんとか、って人いるじゃないですか。具体的に言うとラジオの「ストリーム」でコーナー持ってる人ね。
私も、「ストリーム」のポッドキャストを聞き始めてから数ヶ月はマジメに聞いていたんだけど、ある時期からこの人のコーナーはまったく聞かなくなってしまった。
その「聞かなくなった」核心的な理由はおいておくとして(私、政治と宗教の話はなるべくしないから)、ちょこちょこ気になる発言があった。
決定的になったのは、「小池百合子はアキバ系のオタクが支持するだろう」って半笑いで言っていたこと。これとセットなのは、石破ナントカっていう国会議員(現・農水相)に関して「オタクだから信用できるんじゃないか」と言っていたこと。
まず最初の発言に関してだが、そんなわけないだろう!! ふざけるのもいいかげんにしてほしいよ。なんで「ふざけるな」って思うかっていうと、まあ説明はしません。めんどくさいから。
次の石破サン(確か、当時は防衛大臣ではなかった、降りた後だったと思う)に関してだが、これは「学究肌」という、いわゆる「アキバ系」よりはどちらかというとオタク第一世代的な印象を、単に表明しただけということなのだろう。
が、それにしたって飲み屋で話してんじゃないんだからさ、専門なんだろうから、もうちょっとちゃんとやってよ、と思った。
で、このあたりから私の興味は、この人の趣味、「教養」に関するスタンスへと移っていった。なんでも、料理屋のプロデュースをしたり、食に関する本も出したりしているという。それと、今は聞いてないから知らないが一時期、「ストリーム」ではサザンオールスターズの大ファンということで、毎回サザンの曲の解説をしていた。
ウィキペディアを観たら、大学では少女マンガ研究会に所属していたというが本当か!? ちなみに1960年生まれだから、同世代的にはオタク第一世代(別の言い方をすれば、全共闘世代のオニイサン、オネエサンの行動を観て育った世代)だ。
これらの情報だけをもとに勝手にプロファイリングしてみるのだが、まず少女マンガ研究会に所属していたということは、多少オタク的な人たちとも付き合いはあったのであろう。この世代の男性が「少女マンガを読む」ということは、今とまったく意味合いが違い、それだけで「進んでる」ことだったのだ。「オタク的」というより、サブカルチャー的行為である。
言動が右寄り、全共闘世代を毛嫌いするというのも実はこの世代にはよくあることで、まあそんなもんかなという感じ。
不思議なのは、サザンや「普通にうまい店」などの「メジャーなもの」を何のてらいもなく解説していること。この人世代でも、多少サブカルチャーのたしなみがある人の場合、恥ずかしくてこういう展開はできない場合が多い。
この人は大学時代にオタクでメンドクサイ人や不毛な人がいるのを観てそこから決別し、かといってサブカルチャーに耽溺もせずに来たのではないかと推測する。
二十代後半にバブル期を体験しているので、仕事で忙しいかたわら、オネエチャンをくどくためにうまい店を探したり、メジャーな情報にアンテナを張ったり……という行動様式から現在に至るのではないかと思う。
……たぶん当たってると思います。だって今さら、「サザンを語る」って何なの!? って思うじゃん。「あえて感」すらなく。しかも、音楽全般の文脈じゃない語りだから。「サザン」しか知らないっぽいからね(軍歌にも詳しいらしいが、この辺は60年生まれらしい。自分の思春期の頃の新左翼的風潮の反動で、こういう趣味を押し出す人は珍しくはないから。が、まさか軍歌からの文脈ではなかろう)。
まあ何が言いたいかというと、この人の、バブル期あたりまでの文化的感性……メジャーなものを何の葛藤もなく受け入れ、マイナーな立場からのルサンチマンが欠如している……ということに、私がどこかイラッと来るということなんですよ。
ああそうですか、表街道歩いてきてよかったね、みたいな。
でだ。
マキタスポーツのブログを読んでいたら、以下のようなエントリがあった。
私はサザンには詳しくないんだけど、おそらく「サザン論」としてはいい出来なんだと思う。
せめてこれくらいのことは言ってくれないと、カツヤサン、と思ってしまう。
「サザン論」が成立するとしたら、「なぜサザンがこれだけ一般人に浸透したか?」というのが第一に来るに決まっているからである(と、私は思う)。
なお、「メジャー性とは何か」を語ることは大衆を語ることであり、大衆を語るということは「教養とは何か」を語ることである、ということを、マキタスポーツはわかっている。
以下のくだりがそうだ。
「教養」という“無駄”を享受出来るのは裕福な階級の人々がやることで、または、極度の貧困や差別という“逆の特権”を有した者が不良性のツールとして切実に体現していくもの。 いずれにせよ庶民は、例えば「キャロル」をやるにも“お高い感じ”、あるいは、相当の背伸びが必要だったのであり、動機を探さなければいけないものと思っていた。
まったくそのとおりで、このような「教養のあり方」が、80年代以降は一億総中流意識やら何やらのために大衆化していくという過程がある。
言わば、オタク論で言うなら「サザンのメジャー性」と「コミケの(80年代の)マイナー性」はアンダーグラウンドとオーヴァーグラウンドという意味で表裏一体なのである。
それを、カツヤなんとかみたいに「いや~、サザンっていいよね~」とか無邪気に言われてしまうと、「ああ、あなたはそれで通る世界で生きてるんですね。ではさようなら」と思ってしまったりするのであった。
どうでもいい補足
それにしても、サザン・オールスターズについてちょこっとネットで調べたが、70年代にそうとう新しいことをやってたんだね。完璧に「サブカル的」なことをやってた。
だけれども、今サザンを「サブカル」だと思う人はまずいないだろう。このあたりには、おそらくサザンメンバー(もしくは桑田)の悩みやそれを解決するための戦略があったと思われるが、今の私はそれを探るほど手が回らない。
なお、サザンの評価の定着には「いとしのエリー」と「チャコの海岸物語」、とくに「いとしのエリー」という「泣きの名曲」があることがおそらく絶対的に必要だったと思う。
日本人は根本的に「徹底したおふざけ」を理解しないからだ。
また、もうひとつには彼ら(とくに桑田)が「茅ヶ崎」という、東京から微妙にはずれた土地を立脚点にしていたこともメジャー化の理由としてあげられる。
チェッカーズも、戦略として「都市っぽさ」を微妙にはずしていたというが、これが桑田が東京生まれで、学習院でも出ていたらまた違っていたのではないか。
さらに、1982年という、メジャーデビューしてからかなり早い時期に、桑田がメンバーの原由子と結婚したということも、バンドを磐石なものにしたと思う。
当時、歌詞の内容からして桑田は「そうとう遊んでいる」と思われていたのであり、当時の日本人からすれば、それは憧れではあるが、実際にそばにいるとウザい人間像でもあった。それを、桑田は「歌詞では過激なことを歌うが結婚は案外フツー(職場結婚的)だった」ということで、より「普通の人々」の支持を得ることになった。
最近の話で言えば、つんくがハロプロメンバーにはいっさい手をつけず(本当のことは知らないが)、一般女性と結婚したエピソードにも通じる。憧れと嫉妬は紙一重だからだ。
庶民って、本当に恐ろしいですね。
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