【雑記】・「グラビアアイドルについて、適当に。」
ふと思いついたので、書いてみる。
どうせまた、私のことだから「素人の視点で何を書くか」ということになるだろう。
・その1
私にとっての、グラビア評における仮想敵はリリー&みうらの「グラビアン魂」[amazon]である(正確には、「グラビアン魂」と一時期同時に「SPA!」でやっていた、文化人がらみのコンセプチュアルなグラビアも含む)。
グラビアアイドルというと、それこそアグネス・ラムの時代からいるわけだが、今で言うところの「グラビアイドル」は90年代前半の雛形あきこの活躍あたりから始まるだろう。
フジテレビビジュアルクイーンが92年から始まっていて、94年に雛形あきこが選ばれているのだ。
しかも、今ウィキペディアで調べたら「ビジュアルクイーン」という企画は2002年に終わっているそうである。グラビアも冬の時代なのか?
雛形あきこは、グラビアアイドルとしての全盛期にイエローキャブに所属していた。
当時の野田社長がインタビューで語っていたコンセプト「ぜったいヌードにはさせない」、「だんだんと服を着ていく戦略」というのが現在、他事務所のグラビアイドルに関しても基本的に生きているし、純正アイドル雑誌「BOMB」が、雛形あきこを皮切りに水着アイドルを表紙にして巻頭特集も行うようになったと記憶している。
で、自分も90年代の終わりから2000年代の半ばくらいまでは、「グラビアアイドルを語る」ということに何らかの意味が見出せるのではないかと思った時期もある。
が、夢(?)は無残にも崩れた。理由は二点。
・当人の努力があまりにも見えにくい
・評論が言葉遊びに堕しやすい
前者に関して言えば、けっきょくその帰結が、熊田曜子の激ヤセ、若槻千夏の休業、小向美奈子の放言につながっているような気がする。
とくに熊田曜子は象徴的。前から「グラビアイドルというだけでバラエティやクイズ番組などで、バカな回答を要求される」と不満を漏らしていた彼女は、グラビア仲間とバラエティのための勉強会を開いているという噂もあった。
しかし、結果的に大々的に売れたのは「おバカ」タレントか、その真逆の「エロかしこい」優木まおみであった。
そもそもが、「だんだん服を着せて売って行く」という野田社長の構想自体が、うまくいったとは言いがたいと思う。これはたとえ大義名分としてであっても、「いつまでもいつまでも歌い続けたい」という夢を抱くことが「アリ」な「アイドル歌手」とは大きく違う点だ。
いわば、道なき道を、破滅承知で突っ走るアメリカン・ニューシネマ的たたずまいがグラビアアイドルの常態であって、それに関してあれこれ言うことが、虚しいことのように思えてきたのだ。
後者の「言葉遊びに堕しやすい」という件について言えば、前者についてのこととかぶるのだけれども、グラビアアイドルはアイドル以上に、「当人が発したいこと」と「最終的に結実するメッセージ」の乖離が激しいから、評者が「どんなことを書いても可能」ということになってしまう。
たとえば「小倉優子こそ最後のピュアな処女だ!!」でも「小倉優子こそ今世紀最大の娼婦だ!!」でも、両方成り立ってしまうところがあるのだ。
よほど「遊び」ということに注意深くないと、書いても意味が無いな、と思ってしまったのだ。
・その2
「グラビアン魂」の話に戻ると、あれがまあ、最大級、商業的に成功しているグラビアアイドル評だと思うんだけれども、話者二人の対象への距離感が、遠すぎるんですよ私から観ると。
二人がサブカルを引っ張ってきた立役者だと考えると見えてくるものもあるがそれまた別の話で、グラビアにとってそういう「対象との距離感」が必要なものかどうか、自分にはぜんぜんわからない。
っていうか、「SPA!」において、「今さらグラビアでもないだろう」と思っている三十代以上の読者の心の壁を取り去る以外の意味は、ないわけでしょう。
雑誌の性質上、そうしたエクスキューズが必要なのはわかるけど、果たしてムックにまでするほどのものなのかな? っていう疑問がすごくある。
オジサンの照れ、みたいなものも読んでいて暗澹たる気持ちになる。3周くらい回ってグラビアが「おしゃれ」なものになっている。それがイヤだ。
だから、「グラビアン魂」が、グラビアアイドル評の帰結なのだとしたら、私は何も語らないでもいい、と思った。
amazonの、名もなき人たちの真摯なレビューを観ている方が、ずっといい。
・その3
……と言いつつ、今後のグラビアイドル評に関してヒントだけ示しておこう(偉そう)。
そもそもが、90年代以降の広義のアイドル(アイドル論ではなく「アイドル」)には「非処女イメージの浸透」という大テーマがある。おそらく、日本人のDNAに仕込まれている大テーマである。
たとえば「モーニング娘。」は、後藤真希という存在を入れることによって、「非処女イメージのアイドル」を大展開するかに、一瞬見えた。
しかし、娘。は四期加入によって結果的に処女イメージを強化したし、ソロデビューした後藤真希は神格化されていってしまったし、最終的にはハロプロに新規参入した子たちの低年齢化によって、完全に「処女路線」で固めていった。
最終的には藤本美貴に「約束を破った」とまで言わせてしまうのである。
エイベックスに移る前後の後藤のセクシー路線は、「非処女イメージ路線」の巻き返しとも言える。
一時期絶大な支持をされた倖田來未も、「羊水」発言で大幅に後退してしまった。
エリカ様はイメージが問われる以前によくわからないことになってしまったし、リア・ディゾンはできちゃった婚。
Perfumeについてはまだわからないが、現在のところ、熱愛報道が出た場合のイメージダウンはまぬがれないだろう。
あるいはまた、ネット上でほんのちょっと話題になった「かんなぎが処女かどうか」に関しても、同じカテゴリの問題であると自分は考える。
そのようなアイドルシーンにあって、はっきり言ってライトではあるがポルノそのものを提供しているグラビアイドルの多くが今後どのような路線に行くのか、という見方ができる。
もう少しはっきり言ってしまうと「処女性(アイドル)」と「ポルノ」の結節点がグラビアアイドルなのである。
アイドル全般の地盤沈下は、おそらくインターネットの普及による「ハダカの価値の下落」と無縁ではない。
ということは、最終的にポルノが解禁されればアイドルは消えるのか。たぶん消えると思う(そういう意味ではMUTEKIレーベルの存在は重要である)。
アイドルでもあり、ポルノでもある、両者から引っ張られたギリギリのバランスの上に成り立っているのがグラビアアイドルなのだ。
そのような読者の「視線」が交錯した、その交点に浮かび上がってくるのがグラビアアイドルだから、一過性だし、はかないし、むしろ「グラビアイドル」というよりも、一回一回のグラビアのみに浮かび上がってくる青春の幻影(銀河鉄道999的に言えば)が、グラビアアイドルだ、ってことを踏まえれば、何かが語れるかもしれない。
なお、「非処女」系のグラビアアイドルとして代表的なのは相澤仁美だろうが(まさか処女だって公言してないよね!?)、私は「汎用性の高さ」、「恐さ」としては優木まおみを推さざるを得ない。
優木まおみは、アナウンサー志望で、J-POPの歌手でもあり、それらを経てグラビアアイドルになった。
女子アナを見ながら、あるいはJ-POPの歌手を見ながら「水着にならねえかな~」とはだれでもが思うことで、それを体現しているのである、ってのは書くまでもないことだが。
で、優木まおみはテレビのバラエティでも、踏み込んだ恋バナや下ネタに乗ってくることがあり、それで現役グラビアアイドル、というのはかなり珍しい。
要するに「処女か娼婦か」という二元論を越えているところがあるから、すごいと思うのだ。
まあ、そうしたスタンスにしたって、非常にはかないものだが……だからグラビアイドルについて書くのはむずかしいのだ(冒頭に戻る)。
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