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【雑記】・「死・絶望・虚無」

下のテキストを書いて思ったこと。

「自分が憎んで憎んで憎みぬいてきた、先人たちと言っていることが変わらない……」

「イヤな役を引き受けることがオトナの役割」なんていうことは、私は言わない。
というのは、オトナぶってる大人も、少年ぶってる大人も、オトナであろうとするため、「少年」であろうとするためにどこかにウソをついているからである。

人間、聖人でもないかぎりとことん整合性のある行動は無理だ。だから、言っていることとやっていることがチグハグになっていく場合がある。
しかも、オトナというのは「現在進行形で努力してます!」という言いわけが若者に通じにくいものだから、どんどんウソくさくなるというわけだ。

かといって、「オレのこの矛盾を見てくれ。矛盾も含めて、オレだ」ということも、私にはできないだろう。
それには、ある種のカリスマが必要だからである。

大半のオッサンの物言いが虚しいのは、そうしたカリスマ性がないからである。

「信じれば夢はかなう」というのは、その言葉自体はウソだが、
「信じれば夢はかなうというのはウソ」という物言いも、「じゃどうすればいいんですか?」ということになり、
それに対して単に「耐えよ」というのであれば、それは「言葉の届き方」として、何も言っていないことと同じなのだ。

ああ、書いているうちにイライラしてきた。

要するに、自分は若者も、同年代も、老人も、憎くて憎くて仕方がないのだが、
それに対してどうしていいか、わからないでいるのである。

「耐えよ」?

ああ、そうですか(笑)。

続き。これが私の結論。

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