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【雑記】・「さらなる補足!!」

下のエントリの、さらなる補足。
よく考えたら、若い人がわからないことが多いだろうなあと思って。

最近は思わせぶりなことを書いても誤解されるだけだとわかってきたので。

・その1
まず、自分には80年代後半あたりまでの呉~浅羽ラインの問題認識と、あとは西部邁あたりの大衆論・大衆蔑視というスタンスが、現在の状況認識でも有効であり続けていると思っているということ。

だから東浩紀が「動物化」と言ってもまったくピンと来なかった。
宮台真司、東浩紀あたりの議論がなんで不毛な感想を呼び起こしてグダグダンなることが多いかというと、「ものすごく頭のいい人」と「なーんにも考えていない人」を意識的にか無意識的にか混同させて論じているから。

だから「頭のいい人にとってはこうだけど、何も考えていない人にとってはこう」という二重構造が常に、永遠に生まれ続けてしまう。
とくに東浩紀の「動物化」論がもてはやされた原因のひとつは、知識人が一般大衆を把握しきれなくなって、その説明ツールとして重宝されたという側面が大きい(宮台の女子高生論も同じ)。

で、その背景には「一億総中流化」という90年代初頭くらいまでの意識と、70年代くらいまでかろうじて有効だった教養大系(知識人が自分に誇りを持てるような教養大系)が不確かなものになってしまったという経緯がある。

宮台「女子高生論」と東「動物化論」は、知識人と一般人の差が曖昧になってしまった、90年代以降の状況を、知識人が説明するときの便利なツールであったというのが、私の認識(「動物化」に関しては「勘」として観るべきところもあると思うが、問題が微妙すぎるので置いておきます)。

(なお、東・宮台は、中流幻想崩壊後の格差問題には敏感だと思う。そこはさすがだな、とは思います。)

・その2
さて、で、もっと根本的な「なぜ呉~浅羽ラインなのか」ということなのだけれども、
80年代中盤から後半あたりで、「自分は少なくとも他の連中よりもモノを考えている」と自認する人たちの多くは「別冊宝島」を読んでいた。
むろん、もっと頭のいい人はもっと違う本を読んでいたかもしれないが、それはまた別の話。

「別冊宝島」の具体的なブレーンを知らないのだけれど、80年代のそれは明確な色を打ち出していた。
それはぶっちゃければ、「ヒダリに疑問を呈しつつ、アクロバティックにミギにも至らない」というようなスタンス。ちょっと乱暴すぎるが、完全に右傾化していたわけでもないのでこう言うより仕方がない。

で、80年代中盤から後半にかけてはヒダリ的な言説が極端に力を失っており、ソビエト連邦では毎日食うメシもろくにないみたいなことが連日テレビでも放送されていたので、「自分はこういう考えだ」と主張しない若者でも、この「ヒダリを疑問視しつつ、アクロバティックにミギにも行かない」というスタンスとなった。

(もちろんそうじゃない若者もいたが、私の周囲には上記のような人が少なくなかった。)

そういう考えの、牙城的な雰囲気が当時の「別冊宝島」にはあった。呉智英も浅羽通明も確か執筆しているし、たぶん共通の名編集者がいたのだと思う。
「宝島30」という雑誌が、それらの思想的な部分をもっと煮詰めた感じだったね。

・その3
で、その「宝島30」の連載からスタートしたんじゃなかったっけ? 「トンデモ本の世界」は。
執筆者のスタンスはそれぞれ違うので一概には言えないが(当初は柳下毅一郎も入っていたというし)、雑誌内の立ち位置としてはあくまでも教養主義的なおもしろ記事、というような感じだったと思う。

(「トンデモ本の世界」単行本の担当編集者は、80年代、90年代には新保守主義者だと思われていたらしい町山智浩だし。)

だから、少なくとも商業出版にあたっては、呉~浅羽的教養と「トンデモ本の世界」は同じ場に存在してた。

だけれども、とくに呉智英の言うように「擬似科学、オカルトに関する理論武装は最小限にして、他のことに打ち込みなさい」ということを実践すれば、ぜったいに「トンデモ本の世界」を書けるようなところには行き着かない、はずだ。

これは、やっぱり矛盾、というかある種の齟齬、だと考えていいと思う。

前のエントリで書くのを忘れたが、もともと浅羽通明はオカルト大好きで、そこから「転向」した。普通、それまでオカルトにハマった人……ビリーバーの「転向」は徹底的な批判に回る、というものが多かった。

しかし、オカルト・擬似科学の扱いとして「トンデモ本の世界」は、それまでにない独特のものを持っていた。

で、別に批判的にオカルト本を何百冊も読もうが読むまいが、あるいはそういう人間が100人現れても1000人現れても世の中は変わらないと思う。
じゃあなんで(呉的に言えば)そういうことをしてはいけないか、と言えば、
それはそんなことばかりにかまけていたら、呉智英の推奨する教養に、多くの人がたどりつけないからである。

それを自分は「主要打撃論」と呼んでみた。
主要打撃論という言葉、ちょっとググったかぎりでは単独で説明文がないのだが……有名な言葉ではないのだろうか? 「社会民主主義主要打撃論」という言葉はたくさん出てくるのだが。

私がこの場合、使っているのは「自分の目的を達成させるために、『敵』を撃つよりは、自分のライバルとなる存在を叩いた方が有効である」という意味のことである。
実際の主要打撃論が、直接的なテロ、内ゲバ行為に関連してくるものかどうかは忘れたが、理念上は「自分の主張を言うよりもライバルをけなした方が有効な場合」は多く存在するし、そういう言説も多く目にするものなのだ。

なお、論争などでは「敵を叩くよりは似たような立場のやつを叩く」ということは一般的に行われていることなので、その辺を注意してみると興味深い場合もある。

・その4
呉~浅羽ラインの、80年代の後半まではせいぜい1万人くらいしか支持者がいなかったであろう言説は、大枠では小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」によって広く大衆の知るところとなる。
呉智英はマンガ評論で以前から小林よしのりを評価していたし、浅羽通明もそれに近かった。

そして、ゴーマニズム宣言そのものがカウンター的な意味あいから、定番の「ゴー宣的なもの」として定着化していくにしたがい、その後、どういう経過かは知らないがそれらの考え方は薄められたり、極端にミギに寄ったりして「ネットウヨ」の思想と(たぶん結果的に)合致して行く。

それまではカウンターだった言説が、今ではまずまず、当たり前のように語られていくようになったのだ。

最近はそうでもなくなったが「ゆとり批判」がネット上では軽口としてすぐ出てきたが、「ゆとり批判」の裏返しは「詰め込み教育肯定」である(「またゆとりか」とか言っている人たち全員がそうかどうか知らないが)。
実は私も大枠ではそっち派だが、それまでの一般的な言説が「詰め込み教育批判」、「受験戦争批判」だったことを考えると、言説のメジャー度が逆転してしまっているのが現在なのだ。

しかしだ。あくまでも呉~浅羽ライン、あるいは別冊宝島がうったえてきた主張・言説は、カウンターだと輝くが、メインになってしまったらただのオッサンのお説教に堕する場合がママある。
だって、当たり前のことだからだ。

別に、親や学校の先生ならお説教がつまらなくてもいいのだが、私はブログなどに書かれる文章はエンターテインメントになっていなければならないと思う。
そこはひねって提示しないと、単なる嫌味な人になってしまうのだ。

なんで「単なる嫌味な人」になってしまうかというと、それは前に書いたことに戻るが、人間は完全ではないからだ。
必ずお説教のときに自分の何かを棚上げせねばならず、その「棚上げ」の行為自体が、私にとってはとてもカッコ悪く思えるからだ。

・その5
その「カッコ悪さ」を回避する第一の方法は「奇人変人、狂人になる」ということである。
根本敬の「因果」な仕事などは、すべてそれらに直結する。

が、そうとうの覚悟と才能がないとできない仕事である。

だから却下。

もうひとつ考えられるのは、上記にあげたような、だれかとだれかの主張や考えのさまざまなズレや行き違いを指摘したり、交通整理をしたりそれらを合体させて何らかの解説を試みるという行為しかないのではないか。

確かにキャッチーではないが、やらないよりはやった方がいい話だろう。

というわけで、やろうと思っているという話(今でもそのつもり)。

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