« 【イベント】・「トンデモ演芸会のお知らせ」 | トップページ | 【雑記】・「死・絶望・虚無」 »

【雑記】・「退屈に、ただひたすらに耐えるということ~新成人に向けて~」

そういえば数日前、成人の日があったなとふと思いついて、しみじみしてしまったのだが。

自分は十代から二十歳を経て、何十年も「退屈」に、耐えて、耐えて、ひたすらに耐え抜いてきたのだなあということに思いをはせた。

手垢のついた言葉で言えば、自分にごほうびをあげたいくらいである。

学校というのはもともと、「退屈」に耐える人間を養成するところである。
あらゆる手を使って、「退屈」に対する耐性を身につけさせる。だから、ひとまずは(究極的には違うが)勉強の内容などはなんでもいいのであり、退屈なほどよいということになる。

体育や部活動も反復練習が多いようだから、これも退屈なほどいい。

そして、そのような教育は、ひとまずは正しい。
だって、社会の方がもっと退屈な場合もあるからだ。

たいていは、人は学校というものに適当に反発、反抗しながら成長していくから、学校側が100、「退屈への耐性」を身につけてほしいと思っていたとしても、まあだいたい70~80くらいでいいのである。
それで、何十年もうまくいっているのだ。

制限速度より、実際は速いスピードで車が走るのと同じである。

さて、私のように過剰に退屈に適応するとどうなるか。
まあ、要領のいいやつらからは小馬鹿にはされるが、悪いことはない。

ただし、「退屈」に亀裂が入る瞬間がありうる、と思い込めないぶん、少し損をしてしまうかもしれない。

まあだいたい、若いうちはこの「退屈」と「退屈でなくなること」のどちらを選択するかのせめぎあいのようなところがある。
ほとんどそれだけで、二十代は終わってしまうかもしれないな。

話が少しややこしくなるが、日本の、現行のシステムでは退屈に長期間耐えられる人間には、その結果身に付いた技術だとか、キャリアだとかで多少は退屈でない人生が送れたりする。

若いうちから腰が定まらないと、退屈に耐えられないと、かえって自分を退屈な境遇に落とし込むことにもなる。

さて。「退屈」とくれば、キーワードは「妄想」である。
妄想とは、退屈に耐えなければならない人間にとってのツールだ。いつも大冒険しているような人間には、妄想はいらないと思う。

妄想を充実させるということ自体、その人の孤独の裏返しだ、ということは説明するまでもないと思うが、

逆に言えば……絶対的な孤独、出来事に対する飢餓感、そういうものと妄想とは表裏一体であり、
そしてまた、妄想が充実するということは現実に波風が立つことを、逆に疎外する、ということもありうる。

「うつし世は夢、夜の夢こそまこと」とは、現実世界にもきっちりコミットメントした乱歩の言葉であることを、忘れてはならないのである。

本当の妄想は、当然乱歩のそれよりも、昏(くら)い。

そう言えば、そのこと自体の絶望感に、自分は「うつし世は夢だが、夜の夢も夢だ」と言っていたこともあったっけ。

今でもそう思うけど。

まあ、何が言いたいかというと、最初の話に戻るが自分はよく退屈に耐えたなあ、と。
そして、これからも耐えるだろう。
若い人たちには、もうちょっと退屈に耐えてほしい。

なんでかというと、そうした方がいいから、っていうことじゃなくて、
私がそうだったから、若いやつがおもしろおかしい生活を送っているとムカつくから、ってだけなんだけどね。

あといろいろ書きたいことがあった(妄想そのものの「退屈さ」など)けど、めんどうだからやめる。

「妄想そのものの退屈さ」については、章をあらためて。いつか。

最近のコンビニの「肉まん」がすごく小さいのはアレか。何かブッシュと関係あんのか? ないのか。そうか。

続き。これが私の結論。

|

« 【イベント】・「トンデモ演芸会のお知らせ」 | トップページ | 【雑記】・「死・絶望・虚無」 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

評論とは」カテゴリの記事