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【お笑い】・「決定打は手数とスピードではないと思う。物語性だ。」

「手数」と「スピード」の時代 NON STYLEが優勝した理由(お笑い評論家・ラリー遠田の「M-1グランプリ2008」評)

私はこのコラムとは逆に、ノンスタの優勝の決定打となったのは「手数とスピード」が理由ではないと思う。

「手数とスピードがM-1ではポイント」というのは、前にリンクした【第49回“手数”論】(東京ポッド許可局)でも言われていたことだ。そのこと自体が、M-1での基本戦略である、ということに異論はない。
手数を多くするためにナイツの現状のスタイルはたぶんできたのだろうし、M-1出場者の中でいわゆる「漫才コント」が減ってきたり、本題に入るスピードが異様に早くなっているのもそこに由来しているのだろう。

だから、NON STYLEが、フォーマットとしては今までどおりの漫才コントであり、それで手数がナイツを上回っているとしたらそれは指摘されるべきことではあるだろう(ノンスタの漫才のボケの数を数えたのは、偉いと思います)。↓(以下、引用。)

 NON STYLEが決勝の1本目で披露したネタでは、ボケの回数がなんと51回。手数では並ぶものはないと思われていたナイツをも上回っているのである。

しかし、それがNON STYLEの漫才で結実していることが優勝の理由かというと、私はそうではないと思う。
……と、思うところを書く前にチェックしたら、サンキュータツオ(東京ポッド許可局メンバー)も「手数とスピード」の話をブログでしてますね。

ナイツの「風格」とNON STYLE優勝の意味
~奇しくも出た!松本人志の「手数」発言~(サンキュータツオの優雅な生活)

面白いのは、ラリー遠田とサンキュータツオでは、同じくノンスタの「手数とスピード」を認めていながらも、前者は「だからこそノンスタ優勝は妥当」という結論で、後者は「手数の入れ物である『スタイル』の点ではナイツの方が上」というふうに、解釈が分かれることか。

ここで、いったん「東京ポッド」のエントリを絶賛した私は、そのままサンキュータツオの結論に乗っかってもいいようなところだが、このブログのエントリは私とは少し、考え方が違う。

ナイツのM-1で披露したスタイルの漫才だと、一度観客に手が読まれてしまうと、「ああ、左の人が言い間違えると、右の人が修正して、それがずっと続くんだな」ということがバレてしまう。

だから、4分間で展開をつくって、「『めがね』の部分がハマって笑ってしまう」、「『城』のくだりでなぜかテンションが落ちる」というポイントをつくったんだけど、それでも「ああ、同じことをやってんだな」ってのが、どうしても私は気になった。好きは好きだけどね。

笑い飯だって、ダブルボケがいちばん面白いに決まっているのだが、そればっかりやっていると飽きられるから、ときどきはダブルボケじゃない漫才をやっているし。
当然、ナイツも違うスタイルは持っているのだろうが、それでも、最初と決勝と、二回やって二回同じスタイルだと感じさせてしまうという事実は、厳然とあると思う。

それはオードリーも、ザ・パンチも同じだった。
オードリーも、「ああ、左の人が観客に話しかけて、それに右の人がチャチャを入れるんだな」っていうのは、とりあえず観客にわかっちゃうから。
でも、スタイルの話だったらまだオードリーの方が変化を付けられるとは思う(決勝では漫才コントだったが実に不思議なスタイルでよかったね。あの「選挙演説」のネタ、大好き)。

もちろん、同じスタイルで優勝したケースは他にもあって、ブラックマヨネーズなんかは1パターンしか観たことない。
でも、そこに勢いがあれば、M-1においては勝ちあがっていける。

ま、そういうもんだと思います。

漫才コント(おまえあの役やって、おれこの役やるから、というフリでコントに入っていくパターン)が、どうしてこれほど増殖したかというと、それはスタイルとしては同一でも、「漫才内コント」の中身の部分を入れ替え、目新しさを演出することが可能だからだと思う。

だから、やっぱり漫才コントはいまだに強いと思う。

で、私はノンスタの優勝は、「漫才コント」の展開の豊かさというか、物語性がいかに「とても完成しているかのように見えるか」ということを、証明したのだと思うんですよね。

同一スタイルで二本、漫才を披露する場合、いちばん勝手がいいのはいまだに「漫才コント」でしょう。

むかし(80年代のマンザイブーム以降、「ひょうきん族」の時代)、「コント赤信号」と「ヒップアップ」が、ちょっとライバルみたいな感じでよくテレビに出ていた。
同じ三人組だったし。

でも、コント赤信号はいまだに「コントをやっていた人たち」という印象があるけど、ヒップアップのコントとも漫才ともつかない、さらに音楽も入る不思議なスタイルを覚えている人は、もはやほとんどいないだろう。

それを考えると、やはり「コント」の広がり、「何か物語を見せられたような感じ」というのは、恒久的に観客に対して訴求力があるのだと思う(審査員に対しても)。

もっと言ってしまえば、サンキュータツオは「新しさ」にこだわっているようだけど、「お笑いにおいて、本当に新しいものってあるのか?」っていうことも言えるよね。
ダブルボケにしても、漫才コントにしても、やすきよの時代からあった気がするし(やすきよが、スキューバダイビングをするという設定のネタを観た記憶がある)。

私は、お笑いに関して何ら専門的な訓練を積んでいないシロウトなんだけど、シロウトにはシロウトの有意義な感想の書き方がぜったいあると思っていて、それは今のところ「観客としての印象」をつぶさに描くしかないことだと思ってる。

だからこそ、審査員が点数を付ける「M-1グランプリ」は非常に感想を書きにくいんだけど。審査員の専門的な考えとか、わからないから。

でも、「漫才コント」って、「観て得した感」がぜったい観客にあるんですよ。それはまだまだ有効なはずですよね。
あと「すべらない話」もそうだよね。あれも「物語」だから。
落語が、じょじょに復権しているってのもそこら辺が理由かもしれないし。

時流はショートネタ全盛だけれども、観客はやっぱりそこに「物語」を求め続けている部分があるのだと思う。
ショートネタブームで、確かにナイツは人気だけど、「フォーリンラブ」、「Wエンジン」、「はんにゃ」などは、たとえば江戸むらさきみたいなショートコントとは違う、「ストーリー」がある(江戸むらさきも好きだけど)。

ノンスタの漫才には、それが濃厚だったし、それに加えての完成度があった(U字工事やオードリーのネタにも物語性はあったけど、M-1が減点方式ならば、どうしてもノンスタに軍配が上がる)。
「ノンスタの今回のネタは、印象に残らないではないか」という意見もあるかもしれないけど、「印象に残らない物語」っていうのもあるからね。その場だけは入り込めて、すぐに忘れてしまう物語というのも、ある。

キングコングに関して言えば、ノンスタと同系統のスタイルで、物語性もあったが、いかんせん一つひとつのボケが弱かった。
オール巨人がキンコンに対して「もっとテンポを早くしてボケの数を多くして」的なことを言っていたけど、録画を見直すと「手数」としてはかなり入ってたんだよね。ただ、すべった部分と受けた部分のなんだか変な緩急が付いていて、それで初見で4分、通して観るとボケが少ないように感じたんじゃないかと思う。
少なくとも、私はそう感じた。

要するに、私の結論としては、リンクした上記ふたつのブログには敬意を表しつつ、どちらの説も採らない。
やはり「物語性のあるものは強い」ということからの、優勝なんだと思う。

さらに考えると、たぶんリンク先の前者はかけあい漫才があまり好きではなく、後者は「かけあい漫才の復権」的なことを志向しているんじゃないかと思う。

疲れたので、終わり。

補足

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