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【雑記】・「上の世代に対抗するには……」

ツッコミビリティへの反逆!(はなてダイアリー、メンタコ)

1年以上前のエントリだけど、たまたま目にしてしまったので思うところを書きます。

まず、確かに年上の人は「ゆとり乙」とか言いすぎだよね。ゆとり教育を受けてきたがゆえに、学力が低いというならわかるけど、趣味の世界に関してはまったく関係ないでしょうにね。
しかも、ゆとり教育を受けてきた人たちは受けたくて受けてきたわけじゃないんだから。

さらに、ゆとり教育ではない教育(って詰め込み教育のことか?)に関して言えば、自分たちは実際、そういう教育(詰め込み教育)を受けていたときにはギャーギャー言ってさ、不満もらしてさ、それで自分がオッサンになったら「ゆとり乙」じゃあさあ。そりゃ情けないよ。オッサン世代が。

でもま、言われる方も気にしないでいいと思いますよ。「ゆとりがどーの」なんて、単なる脊髄反射だからね。
テストの前の日に、「おれぜんぜん勉強してない」って言うのと同じようなものだから。

・その1
で、本題に入るんですが、私も今の若いオタクの人たちは、口うるさいセンパイたちが大勢いてさぞかしけむたいだろうな、と思ったことはある。

だけど、それは活字SF、ミステリなどのファンダムの中では当たり前のようにあったことなんだけどね。
いや「当たり前だったからガマンしろ」ってことじゃなくて、その辺はどっかに緩衝装置がはたらいていたと思うんですよ。

ミステリなんて戦前からあるわけだから、単なる知識量から言ったら、四十代の人と二十代の人とでは、コミニュケーションが(知識の差がありすぎて)成立しないことにすらなってしまう。
単純計算して、1年で100冊本を読むとしたら、5年違うだけで500冊違うという計算になってしまうからね。

でも、そこまでの断絶ってのは起こっていなかったと思う。

自分が、オタク論を考える際に、常に「原点」として立ち返るのはミステリファンなんですよ。

「オタク」の母体となったと思われるのはミステリファンよりSFファンで、「常に劇的に変化し続ける」という前提が、ミステリではなくSFにはあったように感じる。この、「SF」の独自性が「オタク」への流れにあると思う。

ミステリも常に進化・変化しているとは思うんだけど、SFほど性急ではないしSF以上に大衆化している。
だから、裾野も広く、まだのんびりできるという感じはするね(実際は、私が考えるよりシビアなところもあると思うけど。京大推理研とか、ぜったいついていけないや)。

社会派ミステリの隆盛を、私はリアルタイムで体験はしてないんだが、あれも「社会の変化に即したものを書こう」という、穏当なものであったと思うし、十数年前にあった「新本格ムーヴメント」も、「社会派ばっかりじゃなく、推理小説本来の面白さを取り戻そう」という、温故知新的な、穏当なものであったと思うんですね。

「サイバーパンク」みたいな、過激な感じは無い(最近、活字SFから離れている私は、SFの目だった激変をサイバーパンクムーヴメントしか知らないんだけど)。

だから、ミステリファンが解決できたことは、他ジャンルでもできる。
ないしは気にしなくていい問題だと思います。

・その2
次に、リンク先では若年層のオタクのどん詰まり感をいろいろ書いている。だけど、上の世代(私のような)からしてみると、それはすでに「萌え」概念の発見によって突破されているはずなんですよ。

「萌え」ってのは考えるんじゃない、感じるジャンルだから。

「感じるジャンル」を、むりやり「考えるジャンル」に押し込めるから回答がでないんだと思う。

「萌え」ってのは、「考えるジャンル」そのものに対する(無意識の)アンチテーゼだから。
私もいちおう、便宜的にこのブログで「萌えとは」というエントリを立てましたが、もともと萌えっていうのは「考えない」ために生まれた概念なんで、それについて「考える」ことにあまりに固執すると、どんどん袋小路に入っていってしまうと思いますね。

第一世代、第二世代の間隙を突くなら、むしろ彼らが同時代的に「萌え」的なものをタブー視していた(部分もある)ということを突くべきでしょうね。
まーまー、硬派をきどっていたってしっかりラムちゃんだとかダーティ・ペア(しかもユリ)とかが大好きだったりするのがオッサン世代のオタクですから(笑)。

そもそもが、「オタク」概念そのものが、オタク第一世代より上の先行世代に対するカウンター的なものであったことを考えるべき……ということは何度か書いてますが。

新しい概念を再構築する時期が来ているのかもしれないし、それは若年層の役目ですよ。

「オタク」に変わるジャンルを創始できるのは、若者たちですよ。

・その3

ゼロ年代ってなっっっっっっっっんにもなかったね(はてな匿名ダイアリー)

さて、関連項目として、どうしても気になるテキストがあったのでこっちも取り上げてみたい。

■ゼロ年代ってなっっっっっっっっんにもなかったね

もうすぐ2009年だってのにゾッとするよ。

10年ごとに年代を区切ったらその年代で新しく出てきたクリエイターがあるもんだけど

ゼロ年代ってなっっっっっっっっっっっっっっっっんにもないね。いや、ホントに。

例えば90年代って言ったら渋谷系とか日本語ラップとか

今までにない若者の感性!みたいなもんが出てきたじゃない。海外ならデトロイトテクノとか。

80年代だって新人類とか言われて漫画でも音楽でもそれまでになかったものが出てきた。

それが何?21世紀を迎えたゼロ年代はなーんにもないじゃない。今までのものを焼きなおしているだけ。

いや、ゾッとするよ。この10年を振り返ろうなんての、できなくなるよ。何にもなさすぎて。

他のリンクでも言っているけど、「渋谷系」は過去の引用の集積体だし、ハウス/テクノ/HIPHOPも、サンプリング、カットアップなどの技法による切り張り的要素が強い部分もある。
DJというのも、レコード、CDを使った切り張り文化だよね。

だからこそ、90年代のクラブミュージックというのは、それ自体が「ポストモダン的」だと言われた。
だけど、それらが今、若い人から「振り返ればこんなのもあった」なんて言われているということは、
「ポストモダンだと言われていたことがいつの間にかポストモダンじゃなくなってる」
っていうことになっちゃってる。

その前をさかのぼってみれば、たとえばガイナックス作品は、当時は「他のアニメからの引用がとても多いから、オタク世代のアニメだ」って言われてた。今、タランティーノだのロバート・ロドリゲスだのの映画を観れば、同じくらい、いやそれ以上の引用の集積だっていうのにね。

さらにさかのぼれば、「ダイコンフィルム」がある。
それをさらにさかのぼれば、長谷邦夫のパロディ作品群などもある。

さらに

服飾なんかでもそうだね。88年と98年は別世界だったけど98年と08年は細かい違いこそあれ大まかなところは変わらない。

思うに、90年代後半にある種の最終回答が出ちゃったじゃないかな。それまでは単に試行錯誤として色々な事をしてきただけで。

↑上記の意見もどうかと思います……。
中森明夫がどこかで言ってたよ。「スカートなんて、長いか短いかだけだ」って。要するに、「ミニスカートもロングスカートも昔はあった」って言い出したら、スカートの歴史は何も変わってないことになる。
でも、背景となる文化の違いで「なぜ短いか」、「なぜ長いか」だって意味が変わってくるから、いろいろといちがいには言えないと思いますよ。

さらに、90年代に最終回答があったかどうかはわからないけど、オタク文化ということに関して言えば、
「60年代後半までに最終回答が出ている」というのが、私の仮説。

というのは、60年代後半で、日本の戦後の復興が一段落するからです。
その後の万博でさえ、「東京オリンピック」の繰り返しともとらえられるわけだからね。

もちろん、私は「いつが最終回答か」論争をするつもりはない。
ただ、大きな流れで見ないと、現在は見えてこないと思う。

確かに、90年代後半でひと区切りはついたかもしれない。
しかし、だからといって00年代に何もなかったってことはないんじゃないかなあ?

私にとっていちばん大きいことのひとつは、お笑いブームが来たことなんだけど、
それだって、興味のない人にとってみれば、「たけし、タモリ、ダウンタウンなどの先達の方法論に基づいた芸を縮小再生産しているだけ」としか受け取られないだろうしね。

観る人によって、時代の評価なんて変わるもんですよ、うん。

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