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【雑記】・「オタクの歴史性について」

よく、同世代から「若いオタクの人は歴史性を無視している」ということを聞き、実はそのとおりだと思ってはいるんですが、しょうがないところもあるでしょう。
以下の理由で。

・売られているアニメやゲームの本数が多すぎて、現在しか追いきれない
・マンガはどんどん絶版になり、手に入らなくなる
・「オタク」というものの特殊性

まず、一番目は自明のことだし二番目は後回しにします。
で、三番目。

もともと、「オタク」っていうのが認識されるのはなぜかというと、先行世代との差異が大きかった。
つまり、先行世代とは別の世界観、歴史観を構築しようとしたのがオタクだと考えられる。

簡単に言っちゃえば、全共闘世代のアンチだということですね。

だから全共闘世代の一般的な「属性」とはことごとく逆を行ってるんですよ。

で、全共闘世代というのも、その前の世代とも後の世代とも違った特殊な価値観を持っているとは言えるんです。その意味では歴史性から切り離されているんだけど、
同時に、自分たちが体験した現象を、どう過去と未来につなげるか、という作業をやっている人はいますね。

過去に関していえば、だからヒダリからつきつめていって突き抜けて、ミギに行ったりする人がいた。
だって「歴史」ってことから言えば、ミギの方がつながりやすいですからね。

それに対し、後続のオタク世代も似たようなことはやっています。
しかし、オタクというのは少なくとも25年間は、進行形のムーヴメントだった。
だから「自分たちはオタクである」っていう自己認識を常に保ち続けようとする気持ちがあった。
(まあ、一時期はまったく無自覚な人も大量にいたわけですけど。)

要するに、
・独自性がある(とつぜん現れた存在である。「新人類」という呼び名があったように)
・独自性はない(昔からコレクターなどのオタク的な人間は大勢いた、という認識)

という、相反する考えを同時に展開してきました。
しかし「独自性はある」というのがとにかく大前提だから、その特殊性というのは過去と切り離されざるを得ないし、歴史としてさかのぼるととりあえず70年代半ばくらいでいちおう止まるので、年長者の方がアドバンテージがある。

……という事実はあると思いますね。

たとえるなら、伝統ある高校の野球部と違って、十数年前くらいから始まったラクロス部みたいなもんで。
若い人からは「こんな日本で歴史の浅いスポーツで先輩ヅラされてもねえ……」と思われても仕方ない部分も、あります。

さらに、やっぱりオタクって青春のものだと思うんですよね。
まあ、オタクの半分は青春でできている。それは間違いない。
だから「老成」へと向かう人たちにはそれなりの理由づけがあって、それもじゅうぶん理解できるんですが、
やはり若い頃のやみくもな情熱あってこそ、でしょう。

だいたい、定年退職してから「オタク的な趣味に入ろうかな」って人がいたと推定してごらんなさい。
たちまち、古参から駆逐されて終わりですよ。
しかも、それが高校や大学時代の先輩後輩と違って50年くらい差ができちゃってるわけで、
さらに試合とかゲームがあるわけじゃないから「才能のあるポッと出のやつが古参を凌駕する」ということもほとんど不可能に近いわけで。

ニコニコ動画で一時期注目された「アリゾナの老人」みたいな、特殊な立ち位置じゃないとトシを取るほど参入がむずかしい世界だと思います。
麻生太郎だって、「マンガ直撃世代」よりちょっと上、っていうのが何となく見えちゃうときもあるしね。

話を戻すと、「オタク的考え」ってのは青春時代の自分の足場を固める、自己認識の意味がどうしてもあるから、それは興味はどうしても「現在」に向かうと思いますよね。
せいぜい5~10年くらいのスパンじゃないかな。

何度も書いてますが「動物化するポストモダン」が若い人に支持されたとすれば、それはやっぱり自己認識のとっかかりとしてのことだったと思うし。
オタク論のポイントとなる書物はいくつかありますが、「オタク学入門」がとりこぼしたところを、「動物化」が拾ったと解釈するしかないですね。
あと「電波男」ね。

とりとめもなく、終わり。

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