【映画】・「僕らのミライへ逆回転」
監督・脚本:ミシェル・ゴンドリー
格差オーラバリバリの、貧しい街。そこの古い建造物の中に、DVDではなくビデオしか置いていないレンタルビデオ屋があった。
このビデオ屋のバイト(たぶんバイトだろう)であるマイク(モス・デフ)は、不在の間に店長(ダニー・グローヴァー)から店を任される。
マイクの友人は赤塚マンガ的な意味合いでイカれているジェリー(ジャック・ブラック)。彼は発電所に忍び込んで(それもなんだかわけのわからないイカれた理由で)強い電磁波を浴びてしまい、身体が磁気化してしまう(ションベンにまで鉄クズがひっつく)。
ジェリーの身体の磁気のせいで、ビデオ屋にあったビデオの中味がすべて消去されてしまう。
困ったマイクとジェリーは、適当に元の映画と似たような自主制作映画を半日ほどででっち上げ、貸し出すというゴマカシ行為に出る。
が、それが二人の思惑を超えて大ウケ。「大作映画をチープにつくりなおした映画が観たい」と店は予想外に大繁盛……という映画です。
・その1
原題は何だろう、と思って検索したら(ちなみに「Be Kind Rewind」だってさ)、いつもながらなんだかとってもむかつくブログに出くわしてしまい、胸がむかむかするのをおさえながら過去にさかのぼって何ページも読んでしまうという、超人的に無駄な時間の使い方をしてしまった。
基本的に二十代前半くらいまでで、世の中に対して恐いもの知らずで、そこそこ女の子にもモテそうでシネフィル、あるいはシネフィル志願の若者のテキストほど鼻持ちならないものはない。また、私にとっては読む意味も無い。
若者は重大な問題を平気でスルーするから、最近嫌いだ(もちろん、立派な人もいますけど)。
たとえば本作は、「ハリウッド大作を元にしたインチキ映画を次から次へと撮る」ということが面白いわけだが、じゃあ元ネタをまったく知らないと面白くないか? というと、そりゃさあ、まったくぜんぜん知らないと面白さは半減するとは思うが、半分くらい知ってりゃいいんじゃないの。
この「元ネタ知らなきゃ問題」はけっこう重要で、そう簡単に受け流していい問題ではないと思うよ。
しかもアメリカ映画だろ。アメリカ人の教養や共通認識は、日本人にとって必ずしもマストじゃないからね。
・その2
パロディや本歌取りには大きくふたつあると自分は思っていて、元ネタを忠実にトレースする場合と、漠然と「こういうジャンルの映画ってこういうシーンがあるよね」というのをちりばめた場合がある。
もちろん、両者の間には無数のバリエーションが存在する。元ネタはわかっていた方がいいが、優れたパロディや本歌取りは、まったくわからなくてもそれなりに理解できた気になるものだ。
ただ問題は「本当に元ネタを知らなくてもいいのか?」ということで、映画という表現はとくに「元ネタを知っておいた方がいい」場合が多いということは、ひとまずは言える。ひとまずは正論だ。
だけれども、元ネタ探しばかりに血道をあげていたらそれは映画鑑賞じゃなくて「元ネタ探しゲーム」だ。
「いったいどのレベルまで、鑑賞するべきか」という問題だってあるのだ。
大半の人間は映画マニアではない。気晴らしに映画を観て、次の日は自分たちの生活に帰っていく。
たとえば映画評論家の町山智浩氏は、おそらく一般の人の映画の理解力、あるいは理解しようとする気持ちの限界を熟知しているだろう。
そして、「ふだん映画のことばっかり考えているわけではない人」に映画の解説をするのが映画評論家の役割、と規定しているだろうと思う。
映画評論家の自分自身の規定として、当然それはアリだし、啓蒙家としての覚悟もあるだろう。
だが大半の青二才のシネフィル、映画マニアにはそういった自己規定がないから、際限なく自身の知識や理解力を自慢し、ミーハーに対して「映画がわかってない」と嘆き、ブログの1エントリとしての「映画の感想」を小器用にまとめることばかりうまくなる。
そんでもってスターバックスあたりで、女の子に尊敬されたいときにはコジャレた映画について、「おれってこんなコドモっぽいところもあるんだよね」と童心をアピールしたいときにはアメコミ映画かなんかについて、語っているのだろう。
ネット上でそういう文章に出くわしてしまったときは、本当にゲンナリする。
・その3
この映画の話に戻る。本作は、「既存の映画を元ネタとして既存のパロディをつくる」というところがキモなわけだが、いわゆるオタク仕様になっていないところが興味深い。
なんと、結末には40年代、50年代につくられた映画みたいな、古臭い感動話になってしまうのである。
ここも議論の余地があるだろうが、背景などを知らないまま感じたことを書くと、「1950年代的な感動話」に落とし込んだのがこの監督の見識なのだと思う。
アメリカの実情に関して知識の薄い私でも、この映画の舞台が格差社会の負け組が暮らす街であり、いわゆるホワイトトラッシュ、黒人、その他の有色人種たちが集まって暮らしている街だということはわかる。
アメリカではどうか知らないが基本的にオタクというのは中産階級のライフスタイルであり、「オタク的楽しさ」を追求していったら、リクツとしてはいつまで経っても「貧しい、市井の人々」と結節点が生まれるはずがない。
そこで、ややアクロバティックに、わざと古臭いまとめあげ方をしたのだと思う。「いかにもオタクくさい映画」という意味では、「ギャラクシー・クエスト」や「デス・プルーフ」なんかも悪くはない、というか私はむしろ大好きな方だが、長期の不況でうかうかしてるとオタクライフなんて送っていられなくなるご時勢なのは、日本も同じである。
というか逆に、日本に目を向けた場合、とっくに中流幻想は崩壊しているはずなのに、「中流幻想崩壊」からのアプローチをするオタククリエイターはまだ出てきていない気がする(だから、たとえは古いが「莫逆家族」と「サザンアイズ」で、志向が完全に分離してしまう現象が、今でも続いているのだ、と言える)。
とにかく、結論は小生意気な若造に近づくと自分が損をする、ということだけである。
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