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【書籍】・「青いムーブメント まったく新しい80年代史」 外山恒一(2008、彩流社)

Aoi
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九州を活動拠点とする「革命家」を称する、外山恒一の著作。
……一般的には、「都知事選に出て悪の総帥みたいな政見放送をやったスキンヘッドの青年」というイメージであろう。
本書は結論から言うと、かなり面白かった。

・その1
簡単に言えば、自分とその仲間が関わった80年代から90年代の政治運動、活動について、時代との連関をみながら記述していく、というのが主旨である。

80年代というのは、70年代の「政治の季節」が終わり、その辺のことに関しては無風状態であった、その流れから軽薄短小だとか価値相対主義だとかオタクだとかが出てきた、というのが一般的な認識である。
本ブログでも、基本、概略としてはそう書いてきた(「正史としては」とたまに注意深くただし書きをしたりしながら)。

しかし、実際には中学、高校の反管理教育運動や、広瀬隆の「危険な話」を起爆剤とする反原発運動などがあったんだ、自分は確かにその現場にいたんだ、そしてそれは突発的に湧き上がってきたものではなく、それなりの経緯(「過去と断絶があった」と認識することも経緯のひとつとして)があって出てきたものなんだ、という主張が、おそらく本書で言いたいことの中心であるといっていいだろう。

確かに、たとえば「バブル崩壊」なんていうけれども、バブル当時高校生以下だった者たちにはそれを実感できたことは少なかっただろうし、「80年代」と大きなくくりで言っても感じ方は世代によって違う。
どこに身を置いているかで、時代の見方も変わってくるだろう。

そもそもが、今やサブカル系の出版物では定番と化している「オタク史」自体が、それまでの70年代的な価値観から無視されがちであった80年代オタク文化の存在証明の意志、を基盤としているのだから、違う立ち位置の人間が違う観点から時代を語っていけないということはない。

本書では、80年代を考える上での指標として「85年」を基点としているが、それはおそらく正しい。
私は政治運動や活動にはほぼまったく興味がないが、文化面だけを観ていっても、どうしても80年代は84、85年頃を境にして前半と後半に分かれる、と考えざるを得ないのである。
後は85年以降の「政治運動」を、どの程度重視するかしないか(むろん本書では重視する立場を取っているわけだが)で、意見が分かれるということだろう。

・その2
私自身は本書に書かれているムーブメントがどれほど重要なものであるかは、正直政治のことはよくわからんのでなんとも言えない。が、たとえば「80年代後半には西側諸国で何らかのムーブメントがあったのではないか?」と、洋楽史を概観してした予測はそんなに間違ってはいないと思う。
本書にあるとおり、洋楽が紹介される際、「背後にある政治的文脈を無視する場合がある」のは、私も薄々感じるところだからだ。
個人的印象では洋楽ジャーナリズムは、他のサブカルジャンルに比べても政治意識が濃厚というイメージが勝手にあったが、よく考えるとそうでもないのである。
たとえば「セカンド・サマー・オブ・ラブ」以降の、私が知るかぎりテクノの(音楽ライターによる)解説に関しては、実際に政治だけでなく、ドラッグやゲイ・カルチャーとの関連も述べられてはいたものの、「だからなんだ」という感じにとどまっていたからね。

他にも、たとえばナゴム系とかせいぜい「聖飢魔II」くらいまでは容認できる人でも容認しがたい「ザ・ブルーハーツ」や「タイマーズ」の評価は「社会派」的な文脈からは当然としても、ブルーハーツが好きな人でもこきおろしそうな辻仁成の「エコーズ」を再評価してみせたりする部分は興味深い。

・その3
さて、本書に描かれていることは、ぶっちゃけて言ってしまえば浅羽通明がかつて90年代初頭あたりに「ネオ社会派」と名づけて批判的な評価をくだした、くだされた側の(自己批判も含めた)ムーブメントの検証という意味を持っている。
これはかつてオタク世代が全共闘世代、あるいはそれ以上の世代から一方的にくだされた評価に対し、「自分たちの文化、自分たちのムーブメント」としてのオタク文化を語りなおし続けていることと相似形を成している。

あるいはまた、98年に出た「JAPANESE HIP-HOP HISTORY」という本を思い出した。
「JAPANESE HIP-HOP HISTORY」は、当時日本のヒップホップというと「TV.Bros」しか読んでいない自分にとってはビブラストーンといとうせいこうと高木完とスチャダラパーとECDが主流で「DA.YO.NE」はコマーシャルすぎる、というイメージの時代(今考えると単に川勝正幸の趣向を鵜呑みにしていただけのように思えるが)、ブレイクダンスなど別の側面から早い時期にアプローチしてきた人たちの座談会を収録した本である。

今読み返してみると、司会は宇多丸なのね(MC SHIROって名前になってる)。
で、そのコミュニティには当時一般的に有名な人ってほとんどいなかったんだが、突出して「EAST END」の名前が仲間として登場している。

つまり、いきなりまとめるとよほどだれもが体験している大事件でも起こらないかぎり、歴史というのはまとめにくいし、声の大きい者の言うことだけが正史とされてしまう、ってのはどんなジャンルにもあることだ、とは思うんである。

「青いムーブメント」の話に戻ると、この本を大塚英志の「おたくの精神史」と比べて読んでみると面白いと思う。どれが正しいかということに関してはとりあえず保留しておくが、少なくとも「80年代」という時代は立体的に見えることだろう。

余談だが、こういった現代アートとそれが引き起こす騒動に関連して、外山恒一が都知事選でやった演説はあきらかに本人が「ネタ」としてやっており(その主張自体はある程度マジだと思うが)、その「ネタ」が、「徹頭徹尾、言い回しから演出方法からすべてマジ」と取られて「ネタ化」していくことに関し、本当に現代は複雑な時代だな、と思った。

そしておそらく、自分のやっていることを(それがいかにネタ化されようとも)「ポリティカルなもの」だと断言できるぶん、Chim↑Pomの製作姿勢よりは外山恒一の演説芸は作品としての「強度」がある、と私は思ってしまうのであった。

(まあ主張の是非に関してはまた別としてね。私もブログ書くとき慎重になるんですよ。政治と宗教の話は基本的にしない主義なので)。

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