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【雑記】・「オタクと政治、もしくは倫理観」

多根清史「麻生太郎はオタクなのだろうか」[特別寄稿](←EXAPON 2008/09/19 07:28:11
以下、引用。

たとえば、靖国神社を非宗教法人化する私案を唱えたということは? 福田政権の中でも、公明党との太いパイプが期待されていた事情は? いずれも昨今のネット界隈では好かれるとは思いがたい要素なのに、キレイさっぱりスルーされていないだろうか。別にそれらの点が、政治家として不適切だと言いたいのではなくて、麻生のオタク的な一面を評価しすぎるあまり、一国のリーダーとして相応しいか、総合的に考えることが疎かになってないか――そう、問いたいのだ。

引用終わり。

私は麻生太郎についてほとんど何も知らないので勉強になったし、この一文のまとめとしての警鐘にも共感した。

そして、「マンガオタク」という観点から、私も麻生のオタク性についてごくおおざっぱに、世代論的に考えてみた。

麻生太郎は1940年生まれ。
ちなみにパッと思いついて検索してみたら、マンガの評論もしていた草森紳一が1938年生まれ。
映像関連の評論のヒトだと、石上三登志が39年生まれ。
60年安保でいろいろやっていた人たちが1940年前後の生まれ(麻生氏と同世代?)。
全共闘世代が1945年前後の生まれで、オタク第一世代が1955年前後、いやもうちょっと下か。

他に、SF作家では麻生太郎より年上の人もけっこういるようだ。筒井康隆が1934年生まれ、豊田有恒が1938年生まれ。

ここから考えて世代的にものすごく雑駁に言うと、麻生太郎より上の世代はオタクというより「酔狂」といった感覚に近かったのではないか。
まあそういう言葉がなかったということもあるが、金持ちだったりものすごく情報収集・整理能力があったりすれば、オタク的な消費行動や感性を持っていた人がいても、まあおかしくはない。
(ネットで調べたら、草森紳一が晩年、「スラムダンク」も読んでいたと知って驚いたが。)

それでは作家、ライターなどではなく一般人としてはどうだったかというと、
きちんと検証したわけではないが、少なくとも麻生太郎の世代は「マンガ直撃世代」ではない。

想像するに、「大学を卒業するかしないかくらいの頃に、ファミコンが大ブームになってきた」というような感覚で60年代以降のマンガブームを観ていたのではないかと思う(実際、60年代に麻生太郎は二十代だ)。

となると、やはり私もリンク先と同じ感覚を持つ。
麻生太郎にとってマンガは「自分の人格を形成した特別なもの」では、たぶんないだろう。ただし、「大衆の感覚や欲望をいちはやく反映する媒体」という意識は強く持っていただろうし、まあ嫌いだったらあそこまで読まないよね。

けれども、オタク的趣味の中でも「マンガ」は、むしろ傍流なのではないか、ということも心にとどめておきたい。
(だいたい「マンガだけ読む」っていう「オタク」は、今どき若者ならばほとんどいないんじゃないか?)

さて、思いのほか長くなってしまったが私が本当に書きたいのは、リンク先の以下の部分についてである。

本当に問題なのは麻生さん個人というより、「オタク政治家」というだけで 拍手喝采を送っている人たちの、政治を深く考えない知的怠慢だ。

私もまことにそう思う。
で、同時に「今の若いオタクって、政治にどの程度関心を持っているのか?」というのが気になるんですよね。

まあ、ぶっちゃけると「オタク」の看板しょって評論とかやっている人たちは、全員たぶん常に新聞を読んでいるし、政治にもそれなりに一家言ある人たちだと思う。

だが、「オタクは政治に興味を持たない」という言い方もあることはあって、とあるちょっとエッチな少年マンガを読んでいたら(たぶん「まっどエンジェル」とかだったと思う)、まえがきみたいなところに「私はオタクなので政治にはまったく興味ありません」と書いてあった。

時代的なことを言えば、80年代というのは若者全般が「政治に興味を持たない」こと自体がひとつのスタンスのようなところがあった。
純文学についてもそうだった。理由はめんどくさいから省くが、70年代に若者にとって重要とされてきたこと(政治や純文学)を相対化する作業が、80年代には必要だったと言えば必要だった。

「オタク」という生き方、属性的なところから考えれば、「オタク」というのは作品の需要の仕方やアウトプットの仕方のスタンスにすぎないのであって、そこに大文字の倫理は存在していない、と自分は思っている(異論がある人もいるとは思うが)。
それを前提にしないと、大塚英志が80年代後半にあれほどミヤザキ事件に言及した理由などがわからない。
たぶん、彼は「オタクの倫理観」を築こうとしたのだとは思う。

で、話はすっとぶが90年代を経て現在になった。「オタク」という生き方、スタンスの中には「政治とどう関わるか」という項目は、ない。若者の政治との関わりを考えるなら、何か別の価値観を持ってこなければならないと思う。

まあ、それが年寄りの私には見えていないんだけどね。今の若者が政治との関わりについてどういう教育を受け、何に影響を受けているのかは。
だけれども、本当に、「麻生太郎がオタクだから」という理由で彼を支持している若いオタクが、相当数いるとすれば、

それは確かに知的怠慢ではある。
というのは、80年代、90年代初頭までの「政治に興味を持たないこと」が一種の見識に思われていたような風潮を経験している身としては、「オタクだから麻生」という選択は、麻生がオタクっぽいからこそ、逆にないからだ(後ろ向きの関わり方ではあるが)。

しかし、だからといって、じゃあ積極的に関わるにはどうしたらいいか、という方法論は、たぶん今の若者にはないんじゃないかと思う。
で、その方法論をだれが教えてやればよかったのか、というと、正直、先達としての「オタク」の役割じゃなかった気はするんだよね。
決して逃げようとしているわけではなく、別に「オタクであること」は全方位的に「生き方」の提示をしてくれるわけではない、というだけのことなんだけど。

そして、その「知的怠慢」を今現在、まっこうから批判してなおかつ、若者に政治との関わり方を提示できる人っているんですかね?
いやいつの時代にも「インテリ」みたいな、たとえば宮崎哲弥みたいな人はいると思うけど、
「オタク」って快楽主義だから、そういう感覚をたたきつぶさないでソフトランディングさせる方向に持っていかないと、
麻生が本気でオタク取り込みに入ったときに、引き戻せる思想的リーダーがいなくなっちゃうってことになりはしないかと。

まあ、余計な心配をしているわけです。

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