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【雑記】・「花男についてのもろもろ補足。」

「花男」についてのエントリの続き。

まあ、いきなり種明かししちゃおうかなと思って(偉そう。そしてひらめいたわりには、文章化したらグダグダになってしまった)。

まず、「なぜ女子特有の問題にしたがるのか?」という疑問が出ることは、私も想定してた。
前エントリで感心したのは、そのような偏向しがちな、しかもおそらくほとんど直観で展開された論議を、楽しい番組として成立させた宇多丸さんという人のあり方について、だった。
同じ論を展開して、ゲストに迎えた女子がにこやかなままでいられる自信が、自分だったらありません。

細かくつっこんでいったら不満のある方もあろうが、それでもなお、宇多丸の直観はいろいろなヒントを投げかけていると思う。

どういうことかというと、

「性ファンタジーにおけるプライオリティ」と「倫理観(もしくは公共性の問題)」についての問題提議をしている、ということ。
冒頭に「ライムスターメンバーの奥さんが、ぜんぜん映画『ロッキー』に乗ってこない」という例を出しているから、そこには「男における『ロッキー』」と「女における『花男』」が対照的に扱われている。

おそらく、女子で不満に感じるとしたら「花男」がポルノと見なされ、「ロッキー」がそうとは見なされないということだと思うけど、ここら辺はきちんと文章化された「論」ではないので、何か直観的なひらめきによって展開されているような気がするんだよね。

宇多丸は「学校での、男子と女子の言い合いみたいにしたい」という希望から「なぜ女子が?」という展開になったというエンタメ的要素も入っちゃってるわけだけど……。

要するに、宇多丸が直観的に指摘しているのは「彼ら/我ら」という図式さえあれば、実はエンターテインメントは成立してしまうということなのではないか、と。

「彼ら」とは自分たちを迫害するものであり、敵である。「我ら」とは、仲間であり親でありきょうだいであり恋人である。
「我ら」は、同じ価値観を持ち、同じルールに従う。
田中宏の「BADBOYS」だったっけ、「仲間になるための手土産に」って人を殺して平気なやつが確か出てくるんだけど、コミュニティ内で「敵」と見なされたものは、殺されてもその価値は低く、しかし「我ら」の仲間が殺されるとすると、それはコミュニティ内では大問題となる。

そのコミュニティが殺人集団だろうが、あるいはボランティアの集団だろうが、実はそのコミュニティ内で起こっていることに人は(物語として)わりと共感できてしまう。仲間意識、ちょっとしたいさかい、あるいは裏切り、そして和解。すべてに感情移入できてしまうのである。

だから、宇多丸は「女子が好むファンタジーにおいて『正義』とか『倫理』のプライオリティが低いのは、問題なんじゃないか?」と問題提議したわけだけど、
ひとまず「女子だけが」という問題をカッコにくくっておくと、

「コミュニティ内ルールを越える『公』の部分が、日本人から失われてしまっているんじゃないか?」というかなり大きな話になっていくと思うんだよね。

マンガ「莫逆家族」を大好き、っていう人もいるけど大嫌いっていうか嫌悪感を抱く人もけっこういる。
それはあのマンガが、「コミュニティ内ルールで動く大人たち」を描いていて、実は「本来、もっと広い視野で、『公』の部分も大切にして生きていくべき」っていうことをできていない自分を見せ付けられている、ということから嫌われているんじゃないかと思う。

ということはどういうことかというと、これすなわち「ヤンキー」とか「DQN(って最近言わないの?)」と言われる人たちのメンタリティということになる。
ウィークエンドシャッフルに関してガチで疑問なのは、職業上不良っぽい人やヤンキーっぽい人たちと多く付き合っているはずの宇多丸が、なんで「ヤンキーやDQNがコミュニティ内ルールを優先させる傾向」が、おそらく「花男」がむちゃくちゃ読まれていることにつながっている、というところから論を展開しないのかということなんだけどね。
(でも、そっから始めたらラジオで話せない感じになっちゃうと思うけど。)

そして、それでもなお残された「女子だからか?」という問題なんだけど、
もしかしたら「いじめのみそぎをしない」っていう似たようなシーンがあっても、男子と女子はそのシーン発現の理由が違うかもしれないよね、という私からの曖昧な問題提議がひとつ。

それともうひとつは、実は男の所業というのは悪くも悪くも、「小コミュニティ」が、そのまま「天下国家」に通じる、あるいは通じると思わせる幻想というのがあるんだよね。
それはもう、千年くらいかけてそういうシステムをつくったわけ。

しかし、実は女子にはそれがない。
何でないかというと、それは男が悪いんだけどね。男性優位社会が、男に都合のいい感じに社会をつくり上げていったから。

だから、女子のコミュニティ(あるいは女子の考える世界観)が、自分と何の接点もないことに男は当惑してしまうんですよ。
モテなかったら(自分がその世界観に入っていなかったら)逆恨みするし、もうちょっとアッパーな人間なら「何でもっと大きなコミュニティにコミットしないのか?」っていう疑問を呈すると思う。

要するに「なぜ『花男』はポルノとして容認されてないのか?」っていう批判というか疑問は、そこに端を発している。

こういう問題ってたいてい「えー男もやってんじゃん。あれもあるしこれもある」「じゃあ男も女もどこか後ろ暗いことがあるってコトで!」って変な手打ちみたいな感じになることが多いんだけど、
女子側からすればさ、「自分たちの性ファンタジーがいくら追求してもぜんぜん大きな社会的な何かにつながっていかない」ってことを、もっと声を大にして文句言っていいんじゃないのか、って思うんですよね。

たとえば男が買春するのが、ひと昔前は男社会での通過儀礼だったりしたわけじゃん。
別に買春するって買春にすぎないんだよ。でもそう取られてた。
逆に、女が男を買っても「一人前」とか思われなかったわけでしょ。それはあきらかに社会的にいろいろと非対称になっているわけでね。

話は少し飛躍するけども、私にはBLがフェミニズム的な、男性社会に対する批判を含んでいるとしても、それはそういうコミュニティ内の嗜好にすぎないという印象がすごく強い。
だから、男性社会に対するアンチテーゼとしてフェミニズムの文脈でBLを論じることがまったく無駄だとは言わないけど、もともと特定のルールや嗜好を共有している人たちのもの、という限界があると思う。

そういうところを突破できないと、何千万部売れても「花男」は「花男」だけで終わっちゃうよね(別にエンターテインメントだから終わってもいいんだけど)。
しかし、そこから平岡正明の女版みたいな人が出てきて、積極的に「花男」を評価したっていいわけじゃん。そういう人が出ないかな、って。

などと思ったことでしたよ。

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