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【雑記】・「マンガキャラみそぎ問題続き」

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先週行った『男の子のための花より男子特集』が大反響メールをご紹介!
そして、来週のタマフルは・・・?

ドラマ版では作中にみそぎコメントがあることに言及。

さて、自分はまだこのことについて考えている。
実は読者が興味があるのは主要登場人物だけであり、だからこそ毎回の山場を考えていくうえでみそぎシーンがないがしろになる、というふうに言うのは簡単なんだが、
自分は、この件についてそれだけでは終わらせたくない気がしてるんだよね。

……というのは、「悪事に対するみそぎなんか関係ねェ」という作品でも感銘を与える場合があるからだ。
以下の文章は呉智英「インテリ大戦争」の、五木寛之「戒厳令の夜」書評からの一部引用である。申し訳ないが私は「戒厳令の夜」を読んでないんだが、呉智英が何を基準に同書を批判しているかはよくわかる。

「戒厳令の夜」が参考にしているという「サンカ社会の研究」は、現在その内容の信憑性が大いに疑われているが、それはここでは関係がない。

いいことづくめのこの良書が、何故に悪書なのか。それは、ずばり、<知性の毒>の欠如である。大衆小説でも中間小説でも名称はどうでもいい。『大菩薩峠』という”非文学”が『戒厳令の夜』とは比べようもなくカッタルく、構成も粗末なのに、不思議な感銘を与えるのは、平俗な話の中に、主人公や作者をも崩壊させかねない<毒>があるからだ。ロマンチシズムとセンチメンタリズムは、そこが違う。

「インテリ大戦争」(1984年)、P34「いいことづくめ--五木寛之『戒厳令の夜』(上)(下)新潮文庫」

その後、読者から「ロマンチシズムとセンチメンタリズムの違い」について質問が来たので、呉智英はさらに重ねて説明を試みる。

この『水滸伝』には、公認教養人が自分の都合にあわせてつくり出したセンチメンタリズムがない。例えば、本来味方であり殺してはいけない人物まで、いとも造作なくブチ殺すシーンなんていうものが描かれる。思わず吐き気を催しそうにもなるのだが、しかし、それでいて、なぜか納得させられもするのだ。

「同書」、P58[附記]

要するに「みそぎ」という感覚自体が日常の道徳規範にのっとったものだから、そんなもの「関係ない」としてだれもかれもブチ殺すような男たちが、結果的に梁山泊の英雄となる過程に対して「公認教養人が自分の都合でつくり出していない」ダイナミズムを感じる、ということなのだろう。
実際、そういうことはある。

だから、みそぎをしなくても、弱者を平然と踏みにじっても、なおひきつけられずにはおかない人物、っというのを描く道も、エンターテインメントにはあるということだ。

80年代前半の呉智英は、進歩的知識人が自分たちの都合のいい世界観を構築することに批判的で、逆に知性も教養もない人間がムチャクチャやったりすると妙にひかれるようなところがあったようだ。
だから呉智英の攻撃対象は、ここではむろん一般的なエンターテインメント作品ではないわけだが、
それでもなおかつ、エンターテインメント作品の「みそぎ問題」は、一般読者の道徳観、倫理観、というよりも、いったい自分の都合のいいようにロマン的な素材をどのように刈り込んでいるか(あるいは刈り残しがあるか)という問題を、照らしているようにも思うし、現在ではむしろそっちの方が重要かもしれない、と個人的には思ったりもするのである。

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