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【お笑い】・「そんなことないと思うけど……」

FNS27時間テレビ感想(総評)(おわライター疾走)

要するに、テレビは死んだのだ。今いちばん新しくて面白い演出とは、30年以上も前からテレビに出ている、明石家さんまというただしゃべっているだけで面白い人間に、延々と自由にしゃべらせることだったのだから。さんまやたけしには後継者がいない。テレビの化身である彼らの引退とともに、私たちが愛した「テレビ的なノリ」としてのテレビ文化は静かにその幕を閉じるはずだ。フジテレビが満を持して送り出した27時間テレビは、逆説的にそのことをはっきりと印象づけた。

そんなことないと思うけどな。

今、フジテレビが「テレビ」の笑いの先端なのかな? 今だったら「テレビ朝日」なんじゃないのかな???
私はフジテレビは、ものすごくぶっちゃけると「楽しくなければテレビじゃない!」って言っていた頃のノリからいまだに脱却できていないんだと思いますよ。

それと、たけし、さんまが天才なのはそのとおりなんだけど、とくにさんまの場合、彼(そして紳助)の提唱したメソッドで今のほとんどのテレビバラエティが動いているんだから、彼がいちばん面白いのは、これはもうしかたがない。オリジネイターだから。
そしてそのメソッドは、たぶんさんまと、あと紳助、せいぜい二種類しかない。

よくさんま、たけし、タモリ、それとダウンタウンか、それらに変われるタレントがいない、っていう嘆きが聞かれるんだけど、そもそも、彼らの座っている「席」が、いったいテレビ界にいくつあるのかということだよね。問題は。

で、思うんだけど、たぶんすべてのテレビ局を合わせて、たぶんその席は3つか4つしかないんですよ。

過去にゼロだったものを、彼らが3つか4つに押し広げた。それは本当にすごいし、伝説にもなる。
でも、たぶんもうこれ以上は増えない。3つか4つしかないなら、その席に座っている人間が元気なかぎり、その席に他の人が座ることは、たぶんぜったいにないでしょう。

実際、後身に譲り渡した人もいるわけですよ。
欽ちゃんとか。

欽ちゃんの席に、まったく別の、同じくらいの大物が座ったわけではないけど、「欽ちゃんファミリー」のメソッドは、まだ最先端のバラエティ番組の中で生きているわけでしょ。
小堺一機だったり、キャイーンだったりして。

欽ちゃんがなぜお年寄りにあんなに人気があるのかというと、彼らは欽ちゃんの最前線からの撤退を惜しんでいるわけだよね。若い人はただ知らないだけで。

たとえば本来、8つあるはずの席の4つしか埋まってない、っていうなら絶望的になってもいいけど(そういう絶望感は日本邦画界には、私はあります。過去にできていたことができなくなっちゃってるから)。

でも、最初から3つか4つしかないものが、3つか4つであり続けることは、それはそういう時代がここ20年くらい続いているということで、そんなに嘆くことでもないのかなと。

何度か書いてるけど2000年頃に、「爆笑オンエアバトル」の人気を代表としてお笑いブームが起こる。
で、私は現在のお笑いブームが、少なくとも1980年の「マンザイブーム」より大きな、あるいはそれに匹敵するできごとだと思っているわけ。
しかも、もうブームが8年続いていることになるんですよ。これは過去になかったこと。

でも、巷では「最近のお笑いはつまらない。昔の方がよかった」っていう声も聞かれる。
なんで2000年以降のお笑いブームという革命的なことにみんな気づかないかというと、ひとつにはものすごくおおざっぱに言ってダウンタウンチルドレン的な人たちがバーッって広まったから、メソッドとしての目新しさは、あまりない。

ただ、数、量、それとお笑いをリスペクトするべきという風潮、そういうものは圧倒的になった。
それは重視すべき。

だから、衝撃度は低減しても、全体のクォリティは上がっている。別の言い方をすれば、演者に妥協が許されなくなったし、テレビに出る人間が大ハズレ、ということは、もうなくなった。

それはさんま、たけし、タモリとは違う見方で観るべきなんじゃないのかな、って思いますけど。

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