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【映画】・「ダークナイト」

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監督:クリストファー・ノーラン

殺人すらジョークにすぎない、世界に混乱を起こすことだけが目的の狂った犯罪者・ジョーカーとバットマンの戦い。
非常に周囲で前評判がよく、半信半疑で観に行ったのだが(「バットマン・ビギンズ」は「まあまあ」って感じの出来だったし)、なかなかよかったです。

ジョーカー役のヒース・レジャーは確かによかった。これが遺作とはもったいない。

さて、「よかった」ことを前提とした個人的な感想。

・その1
まず、真っ先に思ったのは、私のような何も知らない日本人が漠然とイメージしている「俗流・キリスト教的世界観」とでも言うべきものの現代版の語りなおしなのだろうな、というところがすごくはっきりしていた、ということ。

つまり、バットマンは秩序を守る存在であり、この世界では「秩序」が先に存在している。そしてバットマンは受難者であり、ハービー・デントを始めスーパーヒーローならぬ生身の人間たちの罪を肩代わりする存在。
だからイエス・キリストっぽい。何となく。

一方、ジョーカーは「犯罪記録がゴッサム・シティの警察にも見つからない謎の男」。つまり、あらかじめ秩序からはみ出した存在であり、世の中に破壊と混乱をもたらし混沌を引き起こすためだけに犯罪に手を染める。

バットマンの考える「ルール」とは別の価値観で生きていて、人間の常識はかるがると飛び越えてしまう。
これがね、なんとなく私の考えるキリスト教の悪魔に近い。

悪魔って、テロリストでしょ本質的には。わかんないけど。要するに、全世界を巻き込んだハルマゲドン・ストーリーではないわけだよね。
ジョーカーのやっていることは「いたずら」であって、この映画を観るかぎり、街を支配するとか言っているけど本当にそうしたいのかさえ疑問なわけで(どうも「恐怖」によって支配したいらしい。そこはしぶい!!)。

あるいは、バートン版の「バットマン」のシリーズに比べると、バットマン、ブルース・ウェインの狂気性というのは描写として極力おさえられている。
あくまでも「ヒーロー」として存在するのがバットマンで、それを常に悪意で挑発し続けるジョーカー、という図式になっている。
それは古典的でもあり、あるいは911後の世界を意識した新しいスーパーヒーロー映画のあり方でもある。

(911を連想させる描写が至るところに出てくる。しかもそれは「宇宙戦争」や「クローバーフィールド」のように同時多発テロそのものを描いたのではなく、むしろその後の炭疽菌テロや、「この後、テロが起こるかもしれない」という人々の恐怖にもとづいたものになっている。)

で、このあたりの描写はアメリカ人が見たらたまらないのかな、というふうには思う。アメリカ人の根っこのところを揺さぶっている気もするし、でも最終的にヒーローが勝利するというふうに描かれているから。
日本人にも似たようなヒーローものの定型は存在する。たとえば「座頭市」とかね。だけど日本ではここまでかゆいところに手が届く(であろう)ヒーローものは、現在はなかなかつくられないんだ。

・その2
で、「ジョーカー」という男は、狂ったふりをしているけどたぶん物事にとっての「秩序」とか、「バットマンや警察はどういうことをされると嫌な気持ちになるか」ということを熟知しているという意味では「まとも」な人間だ。
「彼らが嫌な思いをするように」と動いている点が、非常にアメリカっぽいなとは思った。アメリカ的っていうか西欧的っていうか。
基本的には相対的な存在なんだよね。

たとえば「バットマンとジョーカーはお互いを補完しあう存在だ」というのは、この映画を観なくてもわかるはず。で、似たような関係性に思われがちだけど、明智小五郎と怪人二十面相。これは実は補完的な存在ではない。

二十面相は明智が存在しなくても生きていけるが、明智は二十面相、あるいはそれに匹敵する犯罪者がいないと生きていけないから。
まあ、シリーズ後半には二十面相が「明智に復讐することが目的」というややチンケな存在になってしまうが。

たとえばジョーカーが、囚人船と一般人の乗った船、双方にお互いの船にしかけた爆弾の起爆スイッチを渡すという犯罪。
これは、「バットマン」や「警察」という観察者がいないと成立しない犯罪なんだよね。
「バットマン」や「警察」へ向けて犯罪が組み立てられているという点が、すごく寓話的。バートン版以上に。

それと、この犯罪は、マイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」に出てきた仮説、「アメリカ人は恐怖心と、そこからくる防衛のためという意識から外部に対して攻撃をしかけている」というのを表しているんだよなあ。あの仮説は本当なの?

話は飛ぶが、宅間守っていたでしょ。凶悪犯罪者好きの人の中には彼を評価(?)するむきもあるけど、私はどこかコイツにはウンザリした感じがあって。彼のやったことというのも秩序社会に対するあてつけ、という意味では、自分は加藤智大と変わらないと思っているんだよね。
あの池田小事件も「監視者」へのあてつけでしょ。「監視者」がいないと成立しない事件なんだ。

・その3
で、そういうものっていうのはわりと……まあ実際に出てこられたらたいへん困るわけだけど、いちおう思考の範囲内ではあるわけだよ。整った世界があったら、それをメチャクチャにしようという人間が出てくるというのは、予想できる。
だから、ジョーカー絶賛の声は理解できるが、どこかやっぱり、本当の意味でのデーモン的な存在ではない気がする。この映画のジョーカーは。
まあこの映画でそれ以上を望むのはぜいたくすぎる気もしないではないけど。

そして、本作「ダークナイト」では、確かにジョーカーは本当にすばらしいんだけど、むしろバットマンの生きざまの方に注目すべき、と個人的には思う。
映画的なエロスというか、「おいしいところ」がジョーカーにあるのは、本部以蔵的に言えば「見らんでもわかる」んですよ。もちろんその表現こそが映画だというのは正論なんだけど。

だけど、このジョーカーが主役と言っていい物語において、バットマンがどう戦うかということの方が、私にとっては重要だった。そして、2008年にはこうなるのか、という思いがあった。

本作はアメリカで大ヒットしたらしい。で、この映画の入場料がバットマンへのものなのか、ジョーカーへのものなのか、あるいはその両方なのかはわからんけど、常に後手にまわり、劣勢を強いられつつ最後まで戦いとおしたバットマン、これがアメリカの、自身の「正義」に対するおとしどころなのかな、と勝手に納得することにした。

「いろいろあるけどさあ、でも最後の最後にここまでは守らないといけないんよ」みたいな。「でも、やるんだよ!」みたいなね。

そりゃ「華」としてはジョーカーが勝ってるよ。でも「むしろ悪役の方が光ってた」っていうのは、スーパーヒーロー映画においてはむしろベタな見方だよね。
というわけで、日本のラノベとかにありそうな鬱展開にはならず、ヒーローとして踏みとどまったバットマンに、一人で乾杯することにします。

追記的なもの

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