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【アニメ映画】・「イノセンス」

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監督、脚本:押井守、2004年

「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」[amazon]の続編。
前作で草薙素子は電脳の海の中に入っていってしまい、残されたバトーは某社の人形の動作不良に関する謎を追う(というような話だったと思う)。

「スカイ・クロラ」の公開前に映画館でやっていたので観る。2004年かあ。自分語りですが、当時と心境が激しく変わったような気がする。

・その1
実は、通して観てもあまりピンと来なかった(いちおう書いておくと、私は押井守監督の作品はけっこう好きな方なのだが)。

まず「イノセンス」本編について。
映画としては、長ゼリフの多用が押井監督の魅力とはいえ、本作においては多用しすぎて「ハードボイルドもの」(であると規定して)の展開の興味をそいでしまっている。少なくともエンターテインメントとしてはイビツな構成だろう。

「ブレラン」を元ネタにしているらしいのだが、私は「ブレラン」にもピンと来なかったんだよね。信者的な人もいる作品だけど、自分はあまり興味が持てなかった。
(内容とかテーマ以前に、リドリー・スコット監督のつくり出す雰囲気が自分と肌が合わないという、情緒的な理由による。)

「イノセンス」は、「ブレラン」よりは興味をひかれたが、本作のテーマが「人間が完全な人形になれない嘆き」なのだとしたら、それはやっぱり私には興味のない領域である(町山智浩氏の、ブログでの「イノセンス」に関する解説を参考にしています)。
町山氏の言うように、「子造りが人造人間創造の代替物」なのではなく、やっぱりその逆だろう。人造人間、人形をつくったりそれで遊んだりする方が、「子造り」の代替物であるはずだ。

・その2
で、ここから先は、押井監督の作品やインタビューすべてに目を通したわけではない私が好き勝手にテケトーなことを書くのだけれど、

押井監督が、少なくともフィクションの中で「革命」を志向していたのはたぶん間違いない(それが共産主義革命なのかということは、ここでは置く。というか、ひとまず意味が無い。象徴としての「革命」だから)。

ここで私が言う「革命」とは、人間としての「正しさ」が立証できるような社会の構築のこと。
そして「革命」には、理路整然とした計画と鉄の意志が必要だ。

しかし、本来「人間存在の正しさ」を回復するのが、(象徴としての)「革命」のはず。
にもかかわらず、革命成就のためには「自らの人間的部分を殺す」必要が生じてくる。
これは矛盾だ。情に流される人間より、戦闘マシーンのような人間の方が、「革命」には一歩も二歩も近づける。

(実際、連合赤軍事件でもオウム事件でも、「人間性」を圧殺する方向に行ってるし。)

押井監督の「絶望」って、そこにあるんじゃないのかなと。
自分が人間的なものと、そして「正しさ」とを、両方追求していったら非・人間的なことの方が上ということになってしまった、そのことに関して。
(「正しさ」も、ときに人間性を抑圧するから。)

「子造りは人造人間創造の代替物」という倒錯した視点も、電脳の海に身を投じた草薙素子がバトーにとって「神」のような存在であるのも、「人間が人間性を持って革命を成就する」ということの不可能性からくる絶望、という気がするんですよね。

「革命」が成らない喪失感が、すべての倒錯の基本になっているのではないか。
逆に言えば、「革命」を志向しない人間にはあまりピンと来ない絶望だ、それは。

・その3
で、革命志向というのは、よほど地に足のついたものでないかぎり……アタマの中でひねくり回すと、もっともシミュレーション化しやすいものである気がする。だって実際に革命を起こせる人なんてごく少数だから。むしろシミュレーションが膨大にあって、実際の「革命」の成就はそのシミュレーションに比べたらずっと少ないだろうから。

「いつまでも理想に届かないことで苦しみ続ける」という罠におちいりやすいんではないかと。

独身者であるバトーの絶望は、その辺にあるような気がしてならないね。そして唯物論的な革命に絶望したら、最後には「神」にすがるしかない。しかも、素朴な人の信心とは違ってそうとう屈折したものになるはずだ。
バトーにとっての草薙に対する態度は、その辺を表していると思う。

まあ、だからといって私は「本当の生きざまを取り戻せ」とか「身体性を取り戻せ」と言う気にもなれない。
人間、「本当の」とか「身体性」とか言った瞬間から、すぐに、ぜったいに届き得ない理想の「本当」や「身体性」を夢見て苦しみ続けることになるからだ。

たとえば「人造人間創造は子造りの代替物」という主張を、私は正しいとは思っているが、それを普遍的な思想としたとき、それ自体が「本当の人造人間創造」だったり、あるいは「本当の子造り、子育て」を目の前にぶらさげられて苦しむ結果になるのでは? というふうに思ってしまう。

今、格差問題とエコがいちばんのトピックのように感じているが、それは着地点がわりと明確だからだろう。

・その4
この件は「大きな物語の喪失」という問題とつながっている。どこかのだれかが保証してくれる「正しさ」がなくなって、さまざまな思想や方法がすべて、それぞれに正しくもあり間違っていると思えてくる。
本作の設定のひとつである「完璧な模造記憶を植えつけることがきる」というのはそういうことである。何が現実で何が現実でないかをみきわめることが、きわめてむずかしくなるから。

そうなったら最終的には「神」にすがるしかない。だからうっすら、「草薙素子=神?」っていう存在が出てくる。

私自身は、「何が真実か」を「自分にとって」と置き換えれば真実は見えるとは思っている。ほとんどの場合の「情報」っていうのは、「どこかのだれか」っていう顔のみえないマスに向かって発信されているものだから、受け取る側としては情報を自分用にカスタマイズしないといけない。

そうでないと、永遠に「理想の何か」に手が届かない、ということに苦しめられることになる。
たとえば「足るを知る」という言葉を信じたら、今度は「いつまで経ってもその境地に行けない自分」に苦しんだりする。

そうならない方法は、たぶん教育とか技術習得のメソッド、またそれらを補完するコミュニティなんかにあると思うが、その辺は言語化されないので「世間」とか「世の中、そういうもん」というきわめて曖昧な言葉でしか説明されないことが多い。

が、そうした説明も、言葉によって放たれたとたんに抽象化、象徴化してしまい、人々を苦しめることになるのだ。
無間地獄である。

とにかく今後、「みんなそう言ってるよ!」なんて物言い、ぜったい信じねェからな。勝手に信じてろ。トシとってくるとある程度開き直らないと、生きていけないんだよ。時間が少なくなってくるからね。

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