【お笑い】・「テレビの笑いに、定形はあったか?」
『エンタの神様』と、シロート芸人時代になることについて(松野大介論)
自分が多くの「テレビのお笑い論」について疑問なのは、「かつてテレビの笑いが面白い時代、いい時代」があって、それがだんだんなくなっていって現在がある、というふうに、しかも非・論理的に語る人がなぜこんなに多いのかということだ。
以下、リンク先の文章の引用だが、
それから、芸人本人は承諾してやっているわけだから、ネタを変えさせたことが悪いとは言えない。それはそれで〃その芸人のネタ〃になるのだ。誰も、あれはスタッフに変えさせられてるんで本当のあたしじゃないんですよとは言えないし言ってないと思う。イヤなら拒否すればいいし、出なければいい。実際、ネタをいじられたくない芸人は出ていないだろう。
じゃあ「承諾していればいいのか」ということになるが、まあそんなこと言い出したら問題点が拡散するのでここではおきます。
実際、「ネタを変えさせられた」までは行かなくても、鳥居みゆきが「『マサコ』をやらせてもらえない」とネットの動画でエンタをdisった、ってのが話題になる、そういう時代です。話はそれほど単純ではない。
まずこの松野氏の物言いで根本的に疑問なのは、(他の彼のお笑い論に関するエントリでも言えることだが)無前提に「過去」はよくて「現在」は悪い、と言っている点。そして、「昔はプロががんばっていて、今はアマチュアが席巻している」という批判である点などだ。
もちろん個別に検証しなくてはならないが、こういう物言いは20年前にも、10年前にも言われた。
で、20年前と10年前、同じような論調が出てくるのがなぜなのか、ロクにその違いを検証もされてないのが、まあ週刊誌とか新聞、ブログなどに載るお笑い論の典型だと言うよりしかたがない。
ここで問題になるのは、「そもそもテレビのお笑いに定型ってあるの?」ということだ。
結論から言ってしまえば、そんなものはない。
そもそも、80年代のマンザイブームにおいて、テレビで強調されたのは「寄席っぽさ、劇場っぽさ」の払拭であって、「漫才」を「マンザイ」としてテレビ用にカスタマイズすることであった(だから、当事者の横澤さんですら、「今の笑いは過去と違う」などとネットで書いていると私はガッカリしてしまう)。
他の分野、たとえばスポーツなどにも言えることだが、「お笑い」は「テレビ用」としてつくられたものではない。
まず「面白い素材としての芸人」がいて、それを「どうテレビ用にカスタマイズするか」というのが本人の、そしてテレビ製作者の永遠のテーマであるはず。
「テレビのお笑いには定型がない」からこそ、「きっちりとつくり込んだ番組」……「冗談画報」や「夢で逢えたら」など……が、生まれてもスタンダードにはならず、すぐ消えてしまう。それで伝説化してしまう。その繰り返し。
これが「落語」なら、「落語」というのは「まあだいたいこれくらいの人数のところで、こういうお客さんを相手にして、こういう噺をする」という定形がある。私は落語のことはほとんど知らないが、たぶん大枠として「こうあるべき」というのは存在するだろうし、落語家と落語ファン全体で、激しい齟齬をきたしたりはしていないはず(細かい議論はあったとしても)。
しかし、漫才やコントの場合、「とにかく劇場や寄席で観なければ本当に体験したとは言えない」というふうには言いづらい。たぶん寄席に一度も行ったことのない落語ファンは存在しないが、劇場に一度も足を運ばない漫才やコント、広義のお笑いファンは存在する。
ここをおえさえないと、永遠に、何か過去に「理想的なテレビのお笑いの世界」があり、それが未来に向かってどんどん瓦解していく、という絶望的な論評だけになってしまうだろう。
また引用だが、
例えば、高校生が二人でハイキングウォーキングの真似事のようなネタを一分披露し、あの二人は栃木の高校生なんですよお、と女子アナが紹介し、今田君のツッコミでウケてしまうという状態になっていかないか、私はよけいなお世話で心配しているわけです。
もともと、過去のお笑いブームでは素人が参加することは現在と比べても非常に多かった。
「笑ってる場合ですよ!」の「お笑い君こそスターだ」がそうだったし、素人参加番組からプロの芸人になる人たちが現在に比べて多かったのも、逆に言えば番組そのものをささえていた素人たちと、彼らをフォローする司会の芸人たちがいたからだ、ということが言える。
欽ちゃんがやってきたことなんかもそう。
よく「さんまの番組に出てくる素人が面白いのは、さんまが面白いということ」と言われるが(本当にさんまの力量はものすごいものがあるのだが)、そんなことわざわざ言われなければならないほど、素人参加番組が減った、ということも言える。
まあ、もっと前の世代(横澤さんとか)が言うならまだしも納得がいくのだが(新しいことをやるために、古いことを大切にしている、というポーズも必要な時代だったろうし)、まさにその、「素人の時代」にテレビを観ていた松野氏がなんでこういうことを書くのか、よく理解できまへん。
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