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【小説】・80年代頃までの「グイン・サーガ」について思ったことを

最新第122巻が刊行中の「グイン・サーガ」、待望のテレビアニメ化が決定(GIGAZAINE)

別に項目立てもしていない思いつきの当ブログ内コーナー「80年代にひたりたい!」。今回は栗本薫のヒロイック・ファンタジー小説「グイン・サーガ」がアニメ化するというので、80年代の「グイン・サーガ」について思いついたことを書いてみたい。

このシリーズの第1巻「豹頭の仮面」が刊行されたのが、1979年9月30日だという。第31巻「ヤーンの日」が89年12月刊行。
私個人は第23巻の「風のゆくえ」までは読んだ。これが85年12月刊行。

当時私は「何もすることがない」ことを理由にグインを読んでいたというひどいヤツだった。そして「まあこれくらいでやめとこう。つまらなくはないが、これは自分の望んだ物語ではない」と感じたのが「風のゆくえ」くらいまでだったのである。

・その1
で、ダラダラ書いたんだけど全部消してしまった。

私が言いたいことはただひとつで、「栗本薫はハワードの『英雄コナンシリーズ』をリスペクトしていたのに、けっきょく似ても似つかない『グイン』という作品を書くことになったなあ」ということである。

「グイン」開始当初の栗本薫の「ヒロイック・ファンタジー観」は、その後のどんな他の作家の言い分とも違ってしっかりしたものであり、そこから始まる物語について期待させるものだった。
だが、「グイン」は当初の私の予想からかけ離れた物語になってゆく。

もっとも、私自身がオタク的、マニア的に「英雄コナンシリーズ」にくわしいわけではない(なにしろ、ぜんぶ読んだわけではない)。だから、バカバカしくなってこのエントリのテキストを書くのを、途中でやめてしまった。
全部を読んだわけではない自分には、「コナンシリーズ」を擁護する資格がないから。

それにしても、「グイン・サーガ」が、当初の構想の段階からたぶん群像劇であり、それはコナンシリーズには微塵もない要素であったこと、むしろ「指輪物語」にテイストが似ているのではないかということは、私にとっての謎である。

たとえば第1巻から辺境編あたりまでと、当初の「外伝」には多少なりとも「コナン」における怪奇テイストがあった。
それが巻を追うごとに、80年代当初の少女マンガ色が強くなり、20巻あたりで読むのをやめてしまったという次第。

・その2
私が考える「ヒロイック・ファンタジー」とは、おどろおどろしい怪奇な世界で、筋肉ムキムキの男が頭の悪い戦いをするというもので、それ以上でも以下でもなかった。
思うに、批評家としての栗本薫はそこのところもじゅうぶんにわかってはいたのだろうし、作家としての栗本薫が、そういうシーンを描けないわけではなかった。それは「魔界水滸伝」を読んでもそう思う。

しかし、けっきょく「キャラクター小説」の方向に大幅に引っ張られてしまい、ヒロイック・ファンタジーに不可欠(だと私が考える)無駄なマッチョ趣味と怪奇趣味は大幅に後退してしまった。
これは同時期に刊行していた「魔界水滸伝」でも同じことがいえる。「魔界水滸伝」は永井豪が挿絵を描いていたが、まさしく「永井豪とダイナミックプロ作品の小説化」と言ってもいいほど、当初はそのテイストを備えていた。

だが、当初の構想を変更してもっと長編化することが決定した段階で、まあ簡単に言うと毒気を抜かれてしまった気がする。

80年代の日本では「魔界水滸伝」のような伝奇アクションは需要があったようで、「魔界水滸伝」に対する不満は他の作家の作品で解消することができたが、ヒロイック・ファンタジーの方の需要はあまりなかったようである。

日本のエンタテインメント全体としては、筋肉ムキムキの男がバカな戦い方をする要素はファンタジーにはいらなかったようだ。
私にとっては「ベルセルク」さえキャラクターの内面を描きすぎているように感じるのだから、そりゃ好みにあった作品が出てくるわけがない。

・その3
けっきょく、現在の日本のファンタジー小説、マンガ、ゲームは、ぜんぶを見て回ったわけではないが「指輪物語」や、それの影響を受けたファミコンRPGによって世界観の確立と能力の数値がアリだということを読者に徹底的に叩き込んだ、その土壌の上に成り立っている。

まるでどこかの古文書の断片をきわめてうすっぺらい描写で書きなぐったかのような「コナンシリーズ」は、けっきょくある時期のある層のアメリカ人にしか需要のないものだったし、ハワードしか書けないものだったのだと思う。

そういう原初のパワーを持つジャンルとしては今でも伝奇アクション、「範馬刃牙」のような格闘技ものなどが存在しているが、私が欲しているのは「コナンシリーズ」の根底にある、何か非常にあぶなっかしいピュアさとか子供っぽさと言ったものだった。

まあハワードが本当にどんな人物だったのかも実はよく知らないのだが(自殺したことくらいは知っている)、作品から強烈に「願望充足」のにおいが漂ってくる。たとえば実生活でもブイブイ言わせていたらしい大藪春彦や、非常に上品でナイーブな資質を持つ夢枕獏とも違うダメテイストが「コナン」には漂っている。

まあ、そんな資質を持った人間は現代では作家にはなれないのだろう。
非常に作家としては器用な栗本薫にも、そういった部分は再現できなかったしまたしようとも思っていなかったに違いない。

自分は、見果てぬ幻影を追い求めていたのであった。

おわり。

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