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・「貸本怪談まんが傑作選」 怪の巻 菊地秀行:編(1991、立風書房)

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菊地秀行が選んだ資本怪談劇画を収録したものの下巻。

この巻では巻末の小島剛夕「いまひとたびの」がなかなかの傑作で、これは読む価値がある。

他には水木しげる「へびの神」、楳図かずお「ばけもの」、浜慎二「北へ行った男」、いばら美喜「印画紙」、北風三平「今朝早く」、谷川きよし「怪奇焼死体」、とみ新蔵「首」、影丸譲也「呪人形」を収録。

「北へ行った男」みたいな、地味だが渋めの掌編、といった作品や、ギャングものと怪奇ものの折衷的な「印画紙」などをチョイスするのがいかにも菊地秀行、と行ったところかな。
「今朝早く」は怪奇というより物悲しい話。

以下は余談。

この単行本、91年の刊行。で、「温故知新」的な、古い作品を読むことでマンガが活性化する、ということを自分はほとんど絶望視している。
それは、本作のような本が、あまりないから。

たとえば映画ファンで、古い名作を観てません、という人はそんなにいないはず。文学もそう。それは、古典的な作品が常に書店に、あるいはレンタル店に常備されているからである。
マンガだけが、古い作品を読みたくても読めない状況にある。

もちろん、歴史を知らなくても面白いものを描ける天才はいるだろうし、実のところそうしたことがマンガ業界全体に深刻な影を落としているとも思わないのだが、
ただ「読者を育てる」という観点からは、マズイと思う。

読者同士で過去作品を知識として共有化できないと、なんかまずい気がするんですよね。まあ何がまずいかというのも自分でもよくわからないんだけどね。
「通史を知っていた方が、マンガは楽しめる」と言いきれないところもあるので。

で、こういうときに必ず問題になるのが「公費でマンガを保存せよ」という意見と、サブカル寄りの人間からでも「マンガは庶民の中から現れて、消えてゆくものなんだからそんな必要ない」という意見が出てくることなんだけども、

私は国でなんとかしてくれるならした方がいいと思いますよ。
ここ、重要なんで覚えておいてもらいたいんだけど。

まあ、国じゃなくてもいいよ。どこかの大金持ちでもいいけどさ。

私が前から思っていることとして、「新しいからって、それだけで価値があるわけじゃないじゃん?」というのがあるんだが、この問題提議が問題提議として成立するには、少なくとも古い作品をある程度、自由に読める環境がないと話にならないんですよ。

古いマンガを読め、と言った場合、「苦労してまで読む価値があるか」っていう「苦労」の部分で古い作品が娯楽として不利になり、「手軽」という部分で新作が有利になる、この、はっきり思うが他ジャンルに比べると原始的な状況をなんとかしてもらいたい。

じゃあたとえば「ローマの休日」とか「シェーン」とか「七人の侍」をだよ、観るのにそんなに苦労がいるかっていうといらないでしょう。
その意味では、レンタル屋の棚において古典と新作は平等である。

ところが、マンガでは状況がぜんぜん違うんですよ。

それと、あまり褒められたものではないとは思うけど、映像や音楽には「ダビング文化」とでも言うべきものがあって、ダビングによって地下に流通していく、という利点がある。
「ウルトラセブン12話」を、なぜか観たことがある人がたくさんいるように。

この「ダビング文化」は、マンガには期待できないからねえ。いったん雑誌や単行本で読めなくなると、幻化するのがものすごく早いんですよ。マンガは。

ま、でももういいけどね。この件に関しては絶望してるから。

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