« ・「犬のジュース屋さんZ」(2) おおひなたごう(2008、集英社) | トップページ | ・「稲川淳二のすごーく恐い話 ~樹海の廃車~」(2008、リイド社) »

・「リフレッシュ」(上)(中)(下) みやすのんき(1985、白泉社)

みやすのんきのSF&ホラー短編集。
電子出版されているようです。

1985年頃のマンガ。メジャー誌にもマイナー誌にも描いていて、自分が影響されているものをモロに出す。それは美少女、アニメ、ロック、スプラッタ・ムービー、リドリー・スコット、大友克洋。そうだよな、この頃のオタク好きのするマンガ家はけっこうロックについて描いてたな(もうちょっと先だけど「バスタード!」とかそうだな)。

あとみやすのんきにはないようだけどバイク趣味について描いている人も多かった。

つまり、それらの集積が80年代半ばの(オタク・サブカル系の)若者にとっての「文化」だった。そして、それに耽溺していると表明すること自体に意味が、(現在よりずっと)あったのです。

・その1
みやすのんきがその後メジャーマンガ家になったのはだれでも知っているが、メジャー作品においてはこの「リフレッシュ」のように趣味を全開にしているものはそうはないと思う。
逆に言えば、80年代が突出して、マンガにおいてはキャラクターの名前が、登場する映画館が、本棚が、あるいはワンシーンを切り取った構図にさえ、自分の「趣味」を直接表すものがあった。

それの延長線上で「エヴァ」の「金田一シリーズのタイトルから取った折れ曲がった文字」などがある。もちろん今でもそういうのはあるが、ネットが出てきて、クリエイターがブログなどをやっている現在は、そういう行為は無意味化しつつあると思う。

(本作にはないが、ある時期まで作品の最後に執筆中のBGMを描く作家が多くいた。それらは作家の読者へのメッセージみたいなものだった。)

「らき☆すた」で、「頭文字D」のパロディが出てきたとき、自分は喜ぶ前にイラッとしてしまった。ここで「イニD」が出てきたことは、84年当時、みやすのんきが自作「anyone's daughter」で「ブレードランナー」(上巻収録)を、「NEO TOKYO 1997」(発表年代不明、中巻収録)で「ニューヨーク1997」を、「KILLER」(下巻収録)で「エルム街の悪夢」をやろうとしたのとはぜんぜん意味が違うから。

おそらく当時のマンガのレベルでは、比較的マイナーな雑誌においては作品は編集者と作者二人の共犯でしかなく、ヘタをすると編集者も描かれたものが何かわからなかったかもしれない。

「らき☆すた」の場合は、末端に至るスタッフまで全員が「イニD」の意味をたぶんわかっていて、必要とあれば本家にしかるべき方法で許可も取っているだろう。
それはそれで、「総出でバカなことをやる」という面白さがあるのは間違いないが、少なくとも80年代半ばにマンガを描いていた人たちが、プロ・アマ問わずそこに「わかる人にしかわからないメッセージを入れ込む」ことの切実さは、もはやない。
だからなんとなく、大人げなくイラッとしてしまったのであった。

まあ、みやすのんきがそんな切実さを感じていたかどうかは知らない。もっと無意識にやっていたかも。そういう時代だからね。

・その2
下巻の解説が米沢嘉博氏。さすが米沢さんで、当時からみやすのんきの作品が、そういう「わかる人にはわかる」作品のパッチワーク的存在であること、さらに大友克洋になかった「湿り気」が作品にあると見抜いている。そしてその「湿り気」は、みやすのんきがエロマンガを描いているところから来るのだろうと解説している。
とことんドライな大友との比較であるなら、確実にそういうことは言えるだろう。

米沢さんはその「湿り気」を、みやすマンガの「肉体感覚」だ、というふうに言う。おそらくそう書く背景には、80年代に漠然とした「肉体感覚の喪失」という問題があったからだと思う。
こんなこと書いても後だしジャンケンになるだけなのだが、書いてしまうと、米沢さんはたぶんスプラッタやホラーブーム、果てはロリコンエロマンガなどによって「肉体感覚」が刷新されつつ回復されることを望んでいたんだと思う。

しかし、少なくともスプラッタ描写に関しては90年代初頭で自主規制が入ってストップし、みやすのんきの、他の同時代のロリコンマンガ家にはないどこかドロッとした絵柄も、それ自体が前面に出ることはないままにメジャー作家となった。

その後、「肉体感覚」の問題はサイバー・パンクなどを経てきわめて複雑な経路をたどるのだが、まあ20年くらい経てば問題も複雑になるに決まっていますね。すいません。

・その3
この「リフレッシュ」に収録されている作品群に、正直プロット的に観るべきものはほとんどない。しかし、「自分がこういうものが好きだ」と作品上で表明することが、当時のみ、切実さと重要性があったということは忘れてはならないと思う。
まあ、今だとそういう行為に代わっているのは音楽におけるDJプレイかもしれないね。

で、そんな中、個人的に面白いと思ったのは下巻収録の「言葉につまるよじゃ恋も終りね」(1985年)だ。意図的に絵柄をポップにしたという本作。当時の「ポップ」ってのは無理矢理形容すれば岡崎京子みたいな絵柄のことを言う。
内容は、売春やってる美少女と、その子を好きなまっすぐな男の子と、スケバンなんかがからむ。
最後は「狂い咲きサンダーロード」が入っているのかなあ? まあ、そういう内容です。この作品で、80年代前半と、その後と、いろんなものがクロスオーバーしてる。ヒロインが非処女、ってのがみやすのんき作品が根本的に非・童貞のものだってことを表してますね。

そういうところがニュー・ウェーブだったんだ。
そう、みやすのんきってニュー・ウェーブだったんですよお客さん。

|

« ・「犬のジュース屋さんZ」(2) おおひなたごう(2008、集英社) | トップページ | ・「稲川淳二のすごーく恐い話 ~樹海の廃車~」(2008、リイド社) »

マンガ単行本」カテゴリの記事