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・「放課後保健室」全10巻 水城せとな(2005~2008、秋田書店)

Houkago
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月刊プリンセス連載。
ある日、高校生の一条真白は自分が上半身が男、下半身が女であるという現実を突きつけられる。真白は、あるはずのない地下の保健室にいざなわれ、そこで授業を受けるようにと言われる。

その授業とは、眠りに落ち、夢の世界の中で他の生徒たちと戦うこと。
夢の世界では生徒たちは「それそれが心で思っている姿」に変身している。その中には化け物じみた姿かたちの者もいる。
勝ち続けると「卒業」することができ、いったん卒業するとその人物は学園から忘れ去られる。しかし、卒業できなければ永遠に他の生徒たちとの戦いを続けなければならない。

男性として女性の藤島紅葉を愛すること、一方で女性として男性の水橋蒼を愛すること、両方に気持ちが引き裂かれる真白は、本当に「卒業」できるのだろうか。
いやこの保健室で行われる「卒業」って、何なのだろうか?

ついこの間、「ウテナ」で自分の中の少女マンガ(アニメ)は終わったというようなニュアンスのことを書いたそばから、なかなかに「アニメ版ウテナ以降」とも言えるマンガを見つけることができたのは嬉しく思う。

本作のテーマのひとつは、「人が男(女)に生まれ、生きていくとはどういうことか」。真白は男として生きていくにしろ、女として生きていくにしろ、まず「男とは何か?」、「女とは何か?」ということから出発しなければならない。
「らしさ」の仕切りなおしから始めなければならないのだ。これはかなり今日的なテーマだと言える。

真白は下半身が女性になってしまったために、最初は強く「男」でありたいと思う。しかし、その「男」の基準が今ひとつわからないというか、信じきれていない。かといって、「女」として生きていく自身もない。

そういうところが、面白いと思った。

もうひとつ、重層的に「保健室での『戦い』による人間的成長」という局面もあるが、興味深いのは必ずしも「戦いでの勝利=成長」ということにはなっておらず、戦略的・戦術的に勝利する者もいれば、勝てるのに「卒業」しない者もいるということ。
この辺は少年マンガのルール設定にはあまりないところだ。

もうひとつ、少年マンガの設定にないところは、人間的成長を目指す戦いが、バトルロワイヤル形式(正確には集団での勝ち抜け方式とでも言った方がいいのか……)でありながら、戦闘形式の「そうでなければならない」理由が提示されいてないところである。

「卒業」だけが目的なら、他人との戦いではなく、個々人が何か特定の試練をクリヤするタイプの戦いでもいいと思うが、そうではなくなっている。
もちろん、キャラクター同士をからませるためのきっかけづくりとしてそういう設定が採用されていることは理解できる。
しかし、暗々裏に「人間関係のゴタゴタをどうにかすることで人間は成長できる」という感覚が、意識的にか無意識的にかあるのではないかと思った。
(実際、女の子内での友人づきあいはめんどくさい、的な発言がちょこっと出てくる。)

たとえば「バキ」の死刑囚編と比べるとわかると思うが、男同士の戦いっていうのは、象徴レベルでは他人なんかわりとどうでもいいのである。
まあ、男だって人間関係は大変なんだよ! でも、象徴レベルだとそうなるんだよね。

それともうひとつ思ったのは、「暴力を振るう父親の存在と、レイプされた過去によって男性嫌悪になった女の子」として描かれた紅葉が、最終的には(真白を除いて)いちばんまともに成長したんじゃないかと思えるところ。
このあたりが読者の女の子に最も共感できる(男らしさと女らしさの間で揺れ動く真白と並んで)、一種の「女の子ヒロイズム」とでも言うべきものなんじゃないかな、と予想してみたりした。

とにかく、ダーク・ファンタジーとしてかなり完成度の高い一品。
読んで損はないと思うよ。

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