【雑記】・ぼんやりと秋葉原の事件について考える
ぼんやりと考えてます。
まず最初に、報道について。
テレビをザッピングしていると、「オタクの犯罪」という強い打ち出しで目を引いたのがテレビ朝日。
ただし、今後、「格差問題」の観点で行くかもしれないなと何となく思う。自動車メーカーとしがらみがなければだけど(この辺、よく知らない)。
対照的に、「事件現場で積極的に救護にあたったのはオタクだった」と言っていたのが、フジテレビの午前9時頃の番組。
「電車男」を自社で持ち上げた恩義、なのかなあ。よくわからん。
「意外にもオタクに人情があった」みたいな観点、「ヤクザが優しかった」みたいなことなんだけどまあ、それでもよしとしないといけないのかもしれんね。ミヤザキ事件のときに比べれば……。
あと、あちこちでつっこまれているが「事件現場をデジカメで撮影する感じの悪い野次馬」というのを、秋葉原というオタクの町とからめての報道もあったが、そりゃないぜ、とはさすがに思う。
じゃあ、もう素人の撮った衝撃映像、二度と使うなよ!!
オタク嫌いの勝谷誠彦が、ラジオ「ストリーム」でそっちの観点はいっさい採用せず、格差の問題からこの事件について言い出したのはなんだか意外だった。「神なき国のテロ」って言ってたけど、それを言い出したらスプリー・キラーってのはぜんぶある種のテロということになってしまうんじゃないかと思ったけども。
現時点での私の個人的意見としては、確かに「希望格差」というものが今回の事件に陰を落としているにしても、そこだけに論点を絞りきるのは時期尚早という気がする。
現時点で私がこの容疑者に言ってやれるのは、
「オマエ、幻想に振り回されたな」
ということだけです。
前にもこのエントリに書いたけど、彼が渇望していたもの、すべて幻想でしょう。
まあ、もうちょっと時間が経たないとはっきりしないが、私はこの青年はオタクじゃないと思いますよ。
ここで「オタクじゃない」っていうのは、同人誌を少ししか持ってないとかそういう量的なことじゃなくて、
精神性として、自分をオタクだとは思ってないはず。
少なくとも萌えヲタだったら、こういうタグイの事件は起こさない。
これからもっと彼が何を考えていたかがわかってくると思うんだけど、現時点で、ということを前提にするなら、
世間の差異化ゲームに抗する思想的な手段を、まったく持ち合わせていなかったんだなあ、と思う。
この手の犯罪者はぜんぶそうだけどね。
なんかさー、「どうせこのまま生きていたって、中年になってもみじめに一人ぼっちだ」みたいなことを書いていたんでしょ。
確かに、そういう人生に抗する思想、っていうものを紡いでいる人って少ないんですよ。
ただでさえ少ないんだから、こんな、本も読まないようなやつに届きっこない。
まあ、スーパーフリーの真逆だよね。あれは自由恋愛を曲解してレイプの数を競ってた。おまけに集団でホモソーシャルチックでもあった。
加藤容疑者は、モテなくて孤独で、それに抗する思想的な方法論を何も持っていなかった。
正直、むずかしいんだよなァ。
ただ、問題が経済格差に抵触していくほど、過去に考えられてきたいろいろな方策が有効に見えてくるという可能性はある。皮肉なことだけど。
中産階級が経済を抜きにして考えることっていうのは、どうしてもフワフワしちゃうものになっちゃうから。
今いちばん気になってんのは、この犯人がどういう「恋愛」を理想として思い描いていたか、っていうことなんだけども。
こいつに同情する気はサラサラないということは強調しておきますよ。
同情する気は本当にないんだけれども、
今のところ、ワイドショーの情報などからすると、
こいつの考えていた恋愛幻想は、ひどいものに育っていったと思うよ。
もう完全に逃げ道なしの袋小路に追い込まれていた可能性は、あると思う。
じゃあそれをだれが育てたかっていうと……。
それはけっこう普通の人たちだったりするんだよ。本当に。
まあ、コイツのやったことは許せないけどね。
本当に許せない。
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