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【アニメ】・「電脳コイル追記(それとちょっと『トトロ』」

このエントリに追記。
以前、まだ私が「電脳コイル」をぜんぶ観る前、だれかと話していて「中心が空虚で周囲の現象だけがある『らき☆すた』は今日的なアニメで、『電脳コイル』は物語重視だから古いアニメ」という話を聞いてそんなものかと思っていたんだけれど、

実際観てみると、見事なまでにオタク好きのする記号的表現が観られるんだよね。だから、まあ先鋭的かどうかということになると「らき☆すた」かもしれないけど、
できるだけオタク的記号表現を廃したとされているアニメ版「時をかける少女」とか「河童のクゥと夏休み」とかと、一見同じように観えて実は案外、「電脳コイル」という作品は「萌え」文脈では「らき☆すた」に近いんじゃないかという気がする。

それと、「電脳コイル」を観て、その原型のように思える「トトロ」についてちょっと思うことを。

私は個人的に、宮崎駿とかジブリとかのエコロジー志向にまったくなじめず、アニメの「ナウシカ」とか「ラピュタ」あたりで完全に観るのをやめてしまったんだけど、まあ「トトロ」くらいは観ておかないとまずいかな、と思って観たわけです。

で、観た感想は、「ファンタジーなのに、意外に劇画っぽいな」ということだったんですよね。
宮崎駿は、「セーラー服の女の子が機関銃持って走り回るのが嫌い」とか何とか言っていたらしく、それは要するに「アニメオタク的記号表現がものすごい嫌い」ということだったんだけれども、
確かに「トトロ」は、できるかぎり「アニメオタク的記号表現」を廃したアニメになってる。

だけれど、本来「かわいいもの」とか「ファンタジックなもの」を描く際、アニメってオタク的な方向ではないにしろ、もうちょっと簡略化された描線と表現を使っていたわけですよね。
昔の東映アニメとか観ると、もっと単純な絵柄できちんと映画的ダイナミズムがあったわけだし。
それがものすごいリアリスティックになってた。トトロは。

(まあ、たとえば「長靴をはいた猫」と「トトロ」の間に、アニメでも劇画タッチのものや、いわゆる名作劇場みたいな作品があることを私だって知っていますけどね。)

名前忘れちゃったけど上の女の子が、ずっと物語が進行して行く中で「よい子」にふるまっていたのに、「退院してくる予定のお母さんが退院できなくなった」ということを知って泣き叫ぶシーンがあるでしょ。
あれとか、リアルで引きましたよ。

何が言いたいかというと、「アニメオタク的記号表現」がイヤで進んだ道がそっちだったのかと。20年前に。

アニメをよく知らない私からすると、マンガにおいて60年代に「劇画」があって、80年代に大友克洋がいて、っていうふうに更新されていった「リアル」感覚の流れが、アニメだと80年代後半にそういうふうになってんだ、と思ってしまった。正しいかどうかわからんけど。

それは、むろん技術的な問題でだれもが追随できるわけではないけど、一種の呪縛になっていやしなかったかと。
なんか「ロード・オブ・ザ・リング」とかのリアリティと直結してる感じがするんですよね。あっちは海外だけれども……。ファンタジーを描くとき、ああするしかない、っていう。架空のものを徹底的にリアリスティックに描くというさ。

なんか、何となく「それでいいのか?」と思ってしまったりなんかして。

別の言い方をするとあれですよ。昔、70年代前半から石ノ森章太郎の絵柄が急に劇画タッチになるんですよね。あれは、明らかに他の劇画路線への対抗だった。手塚治虫はそれをどう思っていたか知らないけど、まあなんだかんだ言って手塚も劇画調の作品を出すしね。

で、同じことを宮崎駿はやってたんだな、と。

だから、見方を変えると「電脳コイル」のベタ描写は、トトロと比べての「あそこまでオタク的記号表現を廃する必要はないんじゃないか?」っていう主張のようにも思えてくる。

ま、思いつきですけどね。日本人には、まだまだ簡略化された描線のアニメもじゅうぶん受け入れられているわけだし。
逆に、私でも「赤毛のアン」の細密な描写とかは違和感なく観られるしね。

でも、それにしても「トトロ」が全日本人に植え付けた呪縛は決して弱くない気はするなあ。
「トトロ」を観てしまうと、アニメ版「時をかける少女」さえ強度のオタクアニメに観えてしまうものなあ。
一般のジブリファンがいまだに求めているものも、ああいう「リアリスティックな描写のファンタジー」だろうしね。

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