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【アニメ】・「電脳コイル」

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再放送でやっと見終わった!!
前半、正直観るのがキツかったが、ラスト5話くらいは怒涛の展開で満足しました。
今さらこんなことを書くのは超マヌケだけど、たいした作品だと思いますよ。

だけれども、本放送で私が乗り切れなかったのにも理由がある(5話くらいまでで、録画がたまっちゃった)。
まあ、あくまで視聴直後の個人的意見ってコトでご了承ください。
(以下、ネタバレあります。)

・その1
まあ早い話が、「なんでこんなに女性上位社会なの? このアニメは。」という感覚が、観ていて15話くらいまで抜けなかったんだよね。
ダイチ以下、大黒黒客の連中がお話の中で徹底的にコケにされるでしょう。本来、ダイチみたいなキャラクターは早々に完全に雑魚化するか、あるいはジュブナイルの世界ではその少年性、ガキっぽさこそがお話を転がしていくポジティブな原動力になるはずなんだけど、徹底的に裏返しになる。

なんかもう、それが観ていられなかった。辛くて。「ベタなガキっぽさ」が、お話を転がす単なる発射台として利用されてる気がしたんだよね。

(いちおう断っておきますが、私は男性優位の描き方をすべき、って言ってるんじゃないですよ。結論を言ってしまうと、つくり手の男性がそういう女性上位な、でも母性的な関係性を望んでるんだと思うけど。)

他にも、「男」を前面に出したキャラクターであるダイチのオヤジさんは極端にカリカチュアライズされた存在であり、フミエにこづきまわされているフミエの弟、「おばちゃん」に振り回されているヤサコの父、といった図式が出てくるばかり。
ハラケンは実に優男に描かれているし、猫目も中性的な感じかな。

知的な駆け引きが重要な場合、「腕力」が介入しないようにわざと「オンナコドモ」だけの世界にするというやり方もあるけど、もともとこの作品世界では腕力はほとんど関係がないので、なんでそんな設定にしたのかな、って思った。
(あ、学校でメガネ禁止、ってなったときにダイチがフミエを助けてやるエピソードがあったな。あれだけだね。)

それでまあ、シリーズ全体のクライマックスまで観て初めて、これはヤサコとイサコと、せいぜいハラケンくらいまでが主要登場人物で、後はほとんど雑魚キャラだったというのがやっと理解できるんだけど、
だったら最初の10話くらいは引っ張りすぎだし、今度はなんで「監督と主要な脚本は男性なのに、女子二人の物語にしたのか」っていう疑問がすごい出てくるんだよね。

・その2
たとえば「となりのトトロ」は、女の子二人姉妹ってのは何の違和感もない。まあ、女の子の方が動いたらかわいいし、観る側の男の子も感情移入が不自然になることはないだろう。出てくるのも観るのも、同じ子供だし。
でも、本作はなんか最初っから「ジュブナイルの皮をかぶった大人向けアニメ」というところが、私にとってはちょっと不気味というか……。

これって、大人(男の大人)から観た感覚で子供を描いているでしょ。大人から観たといっても、「こういうよい子でいてほしい」っていうんじゃなくて、自分の心象風景をそのままアニメにしている。
だから、ヤサコが走るときには女の子走りだし(今、ああいう走り方する女の子って本当にいる?)、「~だわ」なんて言葉遣いにもなる。
そもそも、全員スカートめくりしやすそうなスカートはいてんだよね(笑)。あれだけ活動的な女の子たちだったら、プリーツスカートとかはかない気がするよ(まあ、その辺は視聴者サービスであろうということくらいはわかるけど)。

でも、主要な女の子たちが全員スカートなのにも関わらず、ヤサコの妹がパジャマ姿のときに、お腹が出ないようにってパジャマの裾をパジャマズボンにインさせている。子供のパジャマ姿としては、よりリアルなディティールなんですよね。
この辺のいびつさを愛せるかどうかで、本作への入り込み方は大きく変わってくると思う。

「萌えを追求すると、最終的に自分自身が美少女になりたいと思う」という説が、だれが唱えたのか(斉藤環だったか?)流布していて、私はそれが頭ではわかっていても実感として理解できないんだけど、本作でまたそれが証明された、ということなのかなあ。

だって、つくり手が「女の子になりたい」と心の底ででも思ってないと、このプロット思いつかないですよ。
すごいリアルなというか、考えられた、ハードなつくりの外観のアニメなんだけど、ヤサコとイサコが主人公で、最終的には二人で「お兄ちゃん」を取り合っていたという、なんかハーレムものアニメとかわらん構造も持ってるんだよなー。

これは揚げ足取りやこじつけじゃないと思う。というのは、ヤサコとハラケンの恋愛描写がすごいおざなりなんだよね。それより、ハラケンの死んだ少女への妄執、「おばちゃん」のハラケンを思う気持ち、イサコの「お兄ちゃん」への妄執の方がずっと観る側にせまってくる。
あと、枝葉なところだけどフミエの浴衣姿にダイチがドギマギしたりとか……。
そういうオタク的なベタというか、オタク的記号表現というか、そっちのがよくよく考えると勝ってるんだよなあ。
そうそう、おばちゃんが黒いツナギ着てバイクに乗ってて、ふだんは女子高生って、どんだけ「記号」なんだよ、っていう。

その辺への違和感が、観ていてどうしても付いてまわってしまったことは事実ですね。

・その3
ただし、ラストまでの5回くらいは本当によくて、そこは認めざるを得ない。本当によかったよなあ。ネット社会において変わりゆくもの/変わらないもの、というのをきちんと見据えていたし、ちゃんと少女たちの成長ものになっていた。導入部はすごい、悪い言い方をすれば「大人の男の理想とする、戻ってみたい子供時代」みたいなところがなじめなかったけど、それを補ってあまりある展開だったと思う。

惜しむらくは、イサコの心理描写がほぼ完璧だったのに対し、ヤサコの方がちょっと弱かったかな、ということ。
イサコはさー、「一見強いのに、もろい部分を持っている」という設定だからベタといえばベタなんだけど、ヤサコの「優等生的なんだけれども、いじめに加担してしまうような黒い部分を持っている」というキャラクター造形は画期的だっただけに少し残念。
ハラケンへの思いも含めて、もうちょっと何とかなったんじゃないかと思う。

まあ、もうど根性ガエルとかの時代じゃないとは思うんだけどね。風景がノスタルジックであるだけに、女の子二人が主役であるとか、そういったオタク好きのする設定に今ひとつなじめなかった、というところかな。

総合的に名作だとは思いますけども。

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