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【映画】・「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」

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女と酒に目が無いお気楽議員が、大富豪の女性にそそのかされてアフガニスタンからのソ連撤退のため、裏ワザを使ってアフガンへの武器供与をもくろむ。実話をもとにした物語。

実在の人物をもとにしているためか、さすがに「なんにも考えていなかった議員が、アフガンの惨状に衝撃を受けて……」というような描き方はしていないと思う(映画冒頭、美女たちと風呂に入ったりしつつ意外と世界情勢を気にするチャーリー・ウィルソン、という描写が出てくる)。

むしろ、物語のところどころに911以降の世界の混迷に対する警告や、一つひとつの出来事の両義性が表れている。現時点ではそこを観る映画なのだろう。
たとえば大富豪の女性がキリスト教に基づいて活動をしていることを「宗教対立の図式に持ち込んでいる」と、CIAのおっさんから問題視されたり。
しかし、ある人物を説得するときにはやはり「信仰」を武器にしなければいけなかったり。

オモチャに地雷を仕込んで子供たちの命を奪う、なんていう当時のソ連軍のやり口にはだれだって怒りをおぼえるだろう。
チャーリー・ウィルソンもそうしたことが行動の原動力になっているのだが、
それがあざなえる縄のように911の遠因をつくってしまう。

「ランボー 最後の聖戦」で描かれた「快楽も苦痛も、同じ表現から発する、その両義性」が、本作ではややコメディタッチで描かれている。
要するにソ連を撤退させるということは、ソ連の人をブチ殺すということだからねえ。

というか、具体的に史実をもとにしているだけ、本作は991以降のアメリカ映画のアンチ・カタルシス傾向の理由の種あかしをしていると言ってもいい。

単純になりがちな世界認識(アメリカVSテロリストとかキリスト教VSイスラム教とか)をきっちり複雑に見せること、世界情勢はそんなに単純にわりきれるものではない、ということをわざわざうったえているように感じられる。

しかし、多くのアメリカ映画の場合絶望に立ち尽くすのではなく、どこかに物事としての突破口や、物語としての着地点を見出そうと努力しているのが、はっきり言って日本のエンタメ全般と違うところ。

日本の場合、どうしても問題意識が内に向かいがちだったり、世界情勢を考えるととたんに落合信彦みたいになってしまうという地に足のつかない感じは昔からのことではある。

しかし、閉塞して騒ぐのはまだ楽しいだけいいけど、閉塞して鬱になるというのは健康的じゃないからねえ。それが日本の、現状でのリアルかもしれないということは否定しがたいものがあるんだけど。

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