【映画】・「レプリカント」
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2001年、米
監督:リンゴ・ラム
主演:ジャン・クロード・ヴァン・ダム
若い母親ばかりを狙う連続殺人鬼、通称トーチ(ジャン・クロード・ヴァン・ダム)を追い続けていた刑事・ジェイク(マイケル・ルーカー)は、志半ばで刑事を退職、ボートの修理屋として再出発することになった。
そこに、ナントカ研究所から依頼があり、行ってみるとそこにはトーチのクローン人間が培養されていた。
このクローン人間は、記憶もコピーされているという。ジェイクは、このクローン人間と行動をともにすることで、彼の記憶(つまり、トーチの記憶)を呼び覚まし、犯人逮捕に協力することを要請される。
トーチを追い続けてきたジェイクは、若干知能が低く、自分が何者かもわからないクローンを最初は犯人扱いして引っ張りまわすのだが……。
「午後のロードショー」で、テレビで視聴。たぶんあまりお金がかかってない、アイディア勝負の刑事アクション。
でも、わりと拾い物でしたよ。
こういう、何てことのない、たぶん高校生がひまつぶしに観るような映画でも(あるいはだからこそ、か)、「マッチョなヒーローに対する強迫観念」と、その逆の「童貞恐怖」とも呼べる心情がないまぜになっているところが自分には興味深かった。
たとえば殺人鬼「トーチ」は、幼い頃に母親に虐待されたことによって、若い母親ばかりを狙って殺している。まあシリアルキラーとしてはベタもいいところなんだけど、作品全体を通してみると、ちょっと過剰なまでに「マザコンに疑われることの恐怖」とか「対世間的に、男としての自立をアピールすることへの強迫観念」が、物語の底流にある気がする。
日本だと梶原一騎などは、「過剰に孤独な男」と、「聖母的な存在の女性」とを描いて隠そうともしない。が、アメリカの映画を観ていると、女性に甘えることをあらかじめ禁じられてしまった男の右往左往を感じることが多い(2000年代の映画を観てそう感じるということは、おそらく過去はアメリカ人も、もっと甘えてもよかったのだろう)。
アメリカの映画が、非常に屈折して複雑な経路を通して(たとえそれが純粋娯楽作品であっても)、マザコン問題を描いているのに対応して、日本では「萌え文化」があるとすると何となく座りがいい。大学のレポートくらいにはなるかもしれない。
まあ、そんな分析をしたってしょうがない。よくこの手の映画を「童貞映画」とか言うけど、自分にはそういう命名をしただけで自分の中のモヤモヤを吐露したと思ってこと足れりとしている「センシティヴぶりっ子」にはかなり違和感を持っている。
かといって、もちろんジャイアン的なマッチョも、
死ねばいいと思ってる。
しかも思いつくかぎり最悪の、非マッチョな死に方で。
問題はそこにある。
話はややそれるが、たとえば映画「トランスフォーマー」には、文化系ダメ少年の主人公とアメフト部のジャイアン的存在が非常に陳腐なかたちで対比されている。
しかしこんな同情的な描き方をされても、どうせ向こうのハイスクールじゃ、モノホンのギークがモノホンのアメフト部に、
「どうせおまえらはこういうのが好きなんだろう、トランスフォーマーみたいな」
などと言われていじめられているに違いないのである。
スピルバーグ~ティム・バートン~タランティーノみたいな流れで、完全マッチョな世界に多少、ダメ少年的な内向性を盛り込むことに成功してきているわけだから、
この次の段階では、その流れそのものに違和感を感じている「やつら」を撃つ、コレしかないだろう。
今日も自分は、島村ジョーと、デビルマンと合体して苦悩する不動明に、祈りを捧げる。
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