« 【イベント】・「トンデモ本大賞2008」 | トップページ | 【雑記】・「凶悪犯罪者について」 »

【雑記】・「このインタビュアーは、やっぱり音楽に関してはズブの素人だった!!」

「アラ探しより“面白い探し”のほうがいいじゃん」マーティ・フリードマン氏(元メガデス・ギタリスト)インタビュー【後編】

マーティ: そうですね! でも、そうなると、僕にはまだ分かってないことがあります。何で日本では、アーティストに対しての「親しみ」を、ファンもアーティストも認めているんですかね。

―― たしかに、日本のミュージシャンはライブのMCにしても、すごくサービスしますね。会場がある地方の名産を食べた話からメンバーの恋バナまで。ひいては曲のテーマにしても、同世代感覚というか、ファンは自分の思いをアーティストが、自分のかわりに歌ってくれているような感覚で聴いているような気がしますが。

マーティ: 何でですかね。日本ではどうしてそういう感覚なの?

―― うーん、ひとつは“世間様”に「反抗的な」主義主張を、あんまり個人が言わないお国柄だから、かな。もちろん例外はありますが。
(中略)
―― まったくの素人考えですが、たぶん、日本でも以前はそうだったんじゃないでしょうか。かわいいアイドル歌手にしても、コンサートに行くお客さんは、「手の届かないところで頑張っている子」と感じている、ファンからしたら雲の上の存在だった。そのあと、バンドブームの頃からかな。「君たちの気持と僕の気持ちは同じなんだ」というミュージシャンが増えて、距離が近くなっていった気がします。

マーティ: 面白いね。

音楽が売れすぎた時代があった、それだけなのかもしれない
―― おそらく、その親しみ効果が強烈に効いて、日本では1998年あたりをピークに音楽CDが大量に売れたんです。が、そこから急激に売れなくなってきた。私はそこで新しい曲をろくに聴きもせずに、「それは、曲がつまんないからだろう」とか、シンプルに考えていたわけです。

このインタビュー、マーティはすごくいいことを言っているのに、
インタビュアーは素人すぎるだろう。

私はアメリカのミュージシャンのカリスマ性、あるいはカリスマ性を演出する方法を知らないから比較はできないけれども、
日本のミュージシャン一般がフレンドリーだとすれば、「“世間様”に『反抗的な』主義主張を、あんまり個人が言わないお国柄だから」というのはほとんど関係ないだろう。

マジ話になるが、やはり70年代後半からのプロ/アマのボーダーレス化が関係してくるだろう。それまでのミュージシャンには、カリスマ性を演出する人はけっこういたように思う。しかし、70年代後半くらいから、プロとアマチュアの区別がだんだん意識の上でなくなってきた。

もちろん、こうした流れは安易な大衆迎合主義とも無関係ではないだろうが、一方で70年代以前の反・権力が変質し、非・権力ともいうべき雰囲気になっていったこととむしろ関係しているんじゃないか。
まだ情勢が不安定なときは、人間はカリスマを欲する。カリスマ的な人気を誇った人たちは、ジャイアンツ、長嶋、美空ひばり、力道山、大山倍達、手塚治虫、みんな70年代までで評価が確定している。
で、その後、そういうカリスマ性をメタ化する動きが出てきた。極端に言えばデーモン小暮とか。

だから「ミュージシャンがフレンドリーになってきた」のは「バンドブーム」の頃からというのは間違い。その前から、風潮としては始まっている。
また、私が前のエントリで書いたことが出た! 「阿久悠を上げることで、他を下げる物言い」。
前にも書いたけど、「私小説的歌詞」は、70年代のフォークとかからすでに始まっていたことは忘れてはならない。
すなわち、阿久悠は同時代的に、シンガー・ソングライターなどと戦っていたということ。

それと、CD売り上げが98年をピークに下がってきたことと「親しみ効果」なるものも、たぶん何にも関係ないだろう。

ただし、「特定の音楽を聴く層がきわめて限られてきた」というのは認めざるを得ない。しかし、逆に言えば商品を緻密に細分化にすることによってそういう現象が生まれてきていて、それはどのジャンルでも同時代的にそうなっているはず。

まあいいや。めんどくさいので、終わり。

|

« 【イベント】・「トンデモ本大賞2008」 | トップページ | 【雑記】・「凶悪犯罪者について」 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

音楽」カテゴリの記事