【お笑い】・「そんなこと言ったって、しょうがないことの典型。」
芸能論 一発芸人が幅をきかせている風潮について(松野大介論)
ABブラザースは、好きでしたよ。「夕やけニャンニャン」とかに出ていた頃。
で、正直、こういう意見こそ「言っても仕方がない」ことの典型なんじゃないのかなあ。
もちろん、私も「言っても仕方がない」ことを年がら年中言っているけど。
確かに「冗談画報」はものすごく面白い番組だった。何回も観たわけでもないんだが、1回1回が鮮烈に目に焼きついている。「冗談画報」に出ていた筋肉少女帯を見て「すごい!」と思い、ビデオを友人のところに持っていったこともある。
しかし、ないものねだりをしてもしょうがない。業界の構造的に無理なら、そんなことを書いても何にもならない。
こういう発言でいちばん疑問に思うのは、このブログのエントリで褒められている大物芸人だって、当時は「刹那的」、「くだらない」と、今の一発芸人と同じように批判されていたのに、そこが言及されないことだ。
あたかもテレビの「構造」について書いているようでいて、それでもやはり、「うさんくさい芸」に対する嫌悪感が観られるところが、私にとっては(気持ちはわかるが)また繰り返すのか、という感じである。
そういう構造の激変は過去にも起こっている。リンク先でも言及されている「マンザイブーム」とその後に続くお笑い番組、および欽ちゃんなどが、テレビのお笑い状況を決定的に変えてしまったのだ。
そして当然、そこについていけなかった人たちは、そういうものを非難したりしていたはずである。
落語に比べれば、80年代の「ザ・マンザイ」以降の若手の漫才は瞬間芸のようなものだったかもしれないし。
タモリだって、現在の一発芸人と同程度の「胡散臭い芸人」だった。いや、正式なルートで「芸人」にならなかったタモリは、芸人として認められてすらいなかったのではないか。
私も「エンタの神様」は大嫌いな番組だけど、ああいうお笑いに対して愛のない番組が視聴率を取っているということ自体、テレビにおけるお笑いのむずかしさを象徴していると思う。
そして、「エンタ」に出ている「もう中学生」がどれほどつまらないのか知らないが、少なくとも「レッドカーペット」の「もう中学生」は、私にとって確実に面白い。
今、「くだらない」、「観るに値しない」、「本当の芸じゃない」と言われているものが、後に「あれってすごかったんだ」ということになることはじゅうぶん考えられる。だって、過去もそうだったんだから。
だから、一発芸が好きで一発芸人をやっている人は、堂々とやればいい。
中途半端が、いちばんよくない。
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