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【雑記】・「オカルトと、笑いの差別、搾取、権力性」

どうしようかと一日思い悩んだが、めんどうくさいからブログに書いてしまおう。

いつになく、長いです。途中で読むのやめちゃう人もいるかもしれないなあ。でも読んでね。

ある同人誌を読んでいたら、「笑いには政治性、権力性が含まれており、笑う対象を搾取し、差別する場合がある」という論考が書いてあった。
主にスピリチュアル、オカルトに関しての文脈で、である。

ちょっとその辺のことについて、自分には異論がある。

笑いには確かに政治性は含まれてはいる。立川談志家元の右翼的・保守的な言動はギャグになり得るが、爆笑問題・太田のやや左的な言動はギャグにならないんじゃないか、というふうに。

「権力性」も、確かに含んでいないとは言えない。対象によりそうより、突き放す方が笑いは生まれやすいからだ。「上から目線」という言葉があるが、上からバッサリ斬らないと、笑いにつながらないこともある。
あるいは、ダウンタウンの松本やビートたけしの感性が絶対的だと盲信した場合、「松本が言うんなら面白いんじゃないか?」という空気が存在してしまう場合もある。
映画「大日本人」で起きた議論は、そういうところも多かった。「おれにはこの面白さがわからないけど、おまえが面白いと言っているのは松本が監督だからなんじゃないのか?」と言ったふうに。

しかし、問題は「権力的」であることと「権力であること」はまったく違うということだろう。
松本やたけしや、あるいはチャップリンやモンティ・パイソンは、ビッグであるだけ「権力的」ではあるかもしれないが、何も我々は弟子や付き人じゃないんだから、面白くなくなったらさっさと離れればいいだけの話である。

それと、ここが重要だが、

本当に重要なのだが、

その同人誌に寄稿された文章によると、

「笑わせること」を主目的にすると、ツッコミを入れる対象がなぜ変になるのかという人間のあり方についての考察が無視される、と書いてあった。

これは私がふだん考えていることとは完全に違うので、思うところを書かせてもらう。

・その1 理系ツッコミについて
まずオカルトを対象とした場合、「どこが変か」がわからないと、面白さがわからない。「笑い」にもつながらないということがある。
おそらく、「人間のあり方が無視される」ように感じるのは、主に理系的なツッコミについてのことだろうが、

オカルトやスピリチュアルを論じる場合、まず科学的な是々非々を論じなければ、理系的な観点からは語りようが無い。
これは無粋でも何でも、ひとまずはそうするより仕方がない。それが理系というもんである。

そして、科学的にみて正しいか間違っているかの判断のうえで、初めて「人間のあり方」というところに入っていく。しかし、理系ツッコミ(この言葉は私が考えました。特許料ください)の背景にあるのは、「人間は、神や仏といった曖昧なものに頼らず、自分の力で生きていきなさい」ということなので、時には残酷とすら言える結論になることもある。

だが、「神や仏に頼らず生きていきなさい」という提言自体は、別に人間性無視でもなんでもない。むしろ、人間の可能性を信じろと言っているのだからヒューマニズムである。
もちろん、「そんなに人間、強くないよ」と感じる人もいるだろう。それには私も同意する。しかし、繰り返すが、「理系ツッコミ」という方法論は、そういう残酷性を含んでいる、ということは、本質的な問題であり、つっこむ人間の権力性などといったこととはまったく別問題である。

なお、科学者の冷淡さにしても、呉智英のエッセイに登場する(名前忘れた)、「空飛ぶ円盤にはあると思いますか、あるとしたら乗ってみたいですか」という雑誌アンケートにおいて、「ない。ないものは飛べない。」とアッサリ書いた科学者がいる一方で、ロズウェル事件を調べまくって、あらゆることを刑事のように調査して、なおかつ「いるわけねーよ、宇宙人なんて」とコメントする人もいる。

科学者のスタンスでもさまざまなものがあるということは、まあ、勉強した方がいいだろう。

・その2 「ネタ」にすると、考察は無視されるか?
そこで、やや冷淡とも言える「理系ツッコミ」に対して、「なぜ変なものが生まれるのか」に比較的踏み込めるのが「文系的ツッコミ」である。
基本的に、文系的突っ込みは理系ツッコミほど明確に、バッサリ斬ることができない。それがいいんだけどね。
常に、そこには考察の余地があるのである。
「ネタにすると、ただあざ笑うだけで考察されない」というが、そんなことはない。

確かに、そういう低レベルなツッコミも存在することは確かである。しかし、それはお笑い芸人や漫才師に面白い人とつまらない人がいるのと同じで、無視すればいいだけの話しだし、そういう「つまらないツッコミ」が権力性、ましてや「権力」を得るなどということはとうてい考えられない。

むしろ、文系ツッコミは「どうしてこういうものが生まれたのか」というところから入っていく場合が多い。
たとえばとんでもなく飛躍した脚本やぶっとんだ展開の映画やアニメがあったとしよう。
それがただ「変だ」というだけで喜んでいるのはまだまだ中学生レベルの話で、「なぜ変になるのか」を考察して初めて文系ツッコミは正しく機能する。

「変な映画やアニメ」の場合、まず考えられるのは製作日数のタイトさだろう(「ガンドレス」とか「キスダム」とか)。逆に、監督や脚本家が意気込みすぎてあさっての方向に言ってしまう場合もある(「幻の湖」なんかが有名ですな)。
あるいは、海外のアニメ会社がしれっと日本やその他の国のアニメをパクっている場合もあるし、企画自体はよかったのにどうも利権がからみすぎてグチャグチャになった劇場版映画「デビルマン」というケースもあるし、その理由はさまざまである。

で、イベントなどだとたいていの場合、それくらいの知識はトークしている者と観客とで、共有しているものである。
逆に言えば、ある程度の知識が共有されていないと、笑うこともできない。

また、「笑い」と「笑いではない」部分とのグレイゾーンを突いてくるという場合もある。
たとえば稲生平太郎の著作「何かが空を飛んでいる」は、UFO、空飛ぶ円盤について、バカバカしいと思いながらも目をそらせない自分を自覚しつつ、なぜ人が空に「何か」を観るのかについて考察している。
同じ題材で「理系」寄りになると 瀬名秀明の小説「ブレイン・ヴァレー」になるだろうか。まあこっちは笑いの要素はほとんどないけど。

肝心の「人間のあり方」についても、常に考察はなされている。アウトサイダー・アニメーターとも言うべき伊勢田監督のアニメ上映に何度も足を運んでいるが、ツッコミのキツさでは最右翼だと思われる岡田斗司夫氏でさえ、伊勢田監督の創作物に対して愛あるツッコミをしている。

だいたいにおいて、「笑い」は本質的に常に差別と隣り合わせであるからこそ、そういうことに興味がある人は敏感な人が多い。
信頼できる人のツッコミには、「笑い」の中に、常に考察が含まれている。

・その3 「笑い」と「感心」の中間について
これもいい機会だから書いておこう。「人の苦労してつくったものをネタにしている」という誤解の最大の側面が、ここにあると思うからである。
これはいわゆる理系的「トンデモ」物件よりも、表現が過剰になった創作作品などに当てはまるケースが多いのだが。

ぶっちゃけて言えばロフトプラスワンなどで行われる、あまり知られていない変わった映画の上映会。
過剰なシーン、おかしなシーンではドッと笑いが起こる。
では、そのとき観客が全員、その映画を心の底から軽蔑して、小馬鹿にしているのだろうか?

それは、断じて否、である。

人間、すごいものを観ると自然と笑顔になってしまう場合がある。
それと「笑い」とは、グラデーションになっていて明確な境界線はない。

こういう上映会で爆笑が起こる映画というのは、たいていの場合、通常の物語を極端にした場合が多い。簡単に言えば、殴ったら数百メートルもふっとんでしまうとか。
それは、常識的な演出の中ではありえないかもしれないが、みんなが心の中で待ち望んでいる感覚だからこそ、笑いが起きるのである。
(余談だが、それを物語の中で、プロットに矛盾なくやりきったのが映画「マトリックス」だということは言える。)

実は「変」だとか「拙い」ものの中にはある種の迫力が潜んでいて、それが人をひきつける。
それは、一般常識的には評価されないかもしれないが、確実に人の心の中にはあるものだし、
オタクや目利きの人は、そういう感覚を感じ取ることができる。

そのような「笑い」と「感心」の中間の感覚がわからない人には、まあはっきり言ってロフトプラスワンでやっているイベントの一部はハードルが高すぎるかもしれない。

なお、中にはわけもわからず、ただ「変だから」笑っているヤツもいることはいる。たとえば映像が始まる前に、先走って笑ってしまうお客さんの中にはそういう人がいるかもしれない。が、それもむしろ少数で、「権力」とは何の関係もない。

・その4 「愛があるかどうか」という問題について
私が読んだ論考には書いていなかったことだが、よく話題になることなので私見を書いておく。
「愛があるからやっている」ということが言い訳になるか、という問題がある。

対象とされる側にしてみれば、「愛があるからって何をやってもいいというものではない」ということになるだろう。
自分もそのとおりだと思う。

むしろ、「愛がなくてもやるときはやらないといけない」のである。
とくに評論の場合、「愛がなければできない」のであれば、大幅に書く範囲をせばめられてしまう。
愛のあるなしを云々していたら、評論など最初から成立しないだろう。

それと、「ネタ的に扱う」場合、私自身は「愛は必要不可欠」だと思っているが(というか、愛をもって接することができないものは扱わないことにしている)、必ずしもそれはオールマイティなスタンスではない。
私が「と学会」の活動を重視している点もそこにあって、なにしろ対象となる著作に愛のかけらもない場合があるのだから、そこは冷徹にやらないとどうしようもないのである。
「障害者は前世で罪を犯したから障害者なのだ」と、断言してはばからない著書に、なんでこちらが愛をもって接しなければならないのだろうか?

それは、古いたとえだが「なぜ花形満は小学生なのにスポーツカーに乗っているのか」に対するツッコミとはまったく別次元の話である。

と学会が誤解されることがあるとすれば、「これは徹底的に批判しておかないとまずいのではないか」というものまでツッコミの範囲に含めてその点は厳しくしているからだろう。「水は答えを知っている」とかもそうだけどね。

・その5 私個人が考えると学会のスタンスについて
くだんの文章はあきらかに「と学会」を批判の対象に含めていると考えられるので(名前は出されていないが)、私がこういうことを書くのは気が引けるが、はっきり書いた方が議論が明確になると思うのでと学会の人たちの「人間のあり方」の考察について、簡単に書いておくことにする。

それこそ人をまな板に乗せるみたいでイヤなんだけど……。

まず、山本弘会長は「人は神のロボットではない」というのが信条で、それにともなった執筆を行っているはず。「人は神とは関係なく生きている」という考えが、一種のヒューマニズムであることに異論は出ないだろう。
また、そういう考えは、「人間のあり方」を追求しないと出てこない考えでもある。
皆神先生は、UFOに関してジャーナリステックな視点で書いていると思う。普通の新聞記事を書くように、事実のみを見つけ出し、書くことをモットーにしているように思う。
唐沢俊一議長は、UFOとかオカルト的なものに対して、「人生、すべてが面白くない人の最後の逃げ場所」としての効能を説いている。ツチノコ騒ぎのときもテレビで「いてほしいけど、違うだろう」と言っていたのもその表れだろう。
志水一夫氏は、科学と疑似科学の境界線、グレーゾーンに関して他の人が言わないところにツッコミを入れることが多い。
永瀬唯氏は、「ギボギボ90分!」の中で、宜保愛子を頭ごなしに批判せず、その「霊能力」についてどのようにマスコミで生成されたのかについて考察している。
原田実氏は、「偽史」の魅力を認めながらも、やっぱり偽史は偽史だよ、というスタンスを取っている。

また、ブランド化している「トンデモ本」シリーズだが、今までのすべての部数を合わせても、巷を席巻するすべてのオカルト・スピリチュアル本の方がずっとずっと多いし、影響力も強い。
窪塚クンの陰謀論を容認するかのような発言、倖田來未の「羊水」問題や、と学会員の名前よりも江原某の方があっという間に有名になったことは、「変なものを笑うこと」が果たして本当に権力になっているのか? を考える証左にはなろう。

・その6 スピリチュアルの見直しをすることはむずかしい
なお、くだんの文章では「スピリチュアルを見直す」という提言が行われているが、そのこと自体が、ムーヴメントとしては私の知るかぎり2回、挫折していることもぜったいにはずせない部分である。

1回目は60~70年代。政治運動に挫折したものの一部がオカルトに傾倒する現象が起こるが、けっきょく80年代にオウムの母体となる土壌を育ててしまった。宇宙人と交信していると称する人物が起こした新興宗教団体もあったそうだが、一時のムーヴメントとして終息してしまっている。
健康食や太極拳のブームをもたらしたという側面もあるが、オウムを醸成したマイナス面とどちらが大きいかは議論の余地があるだろう。

2回目はむろん、オウムの暴走である。この件に関しても、さまざまな見解があるだろうが、「そういうのもアリだよね」的なフワフワした言動が80年代に浮遊していたからこそ、「泳がせていていた」からこそ、あそこまでの惨事になってしまったということもできる。

むしろ、オカルト、スピリチュアルの歴史から見れば、我々はさまざまな思考実験の果ての、荒野に立っているといっても間違いではない。

そこから「スピリチュアル」の良い面を抽出しようとするなら、むしろ過度に科学的な、意地悪な立場から「ニセモノ」と「ホンモノ」をより分けるしかないではないか。

私もオカルトの「虚実皮膜の面白さ」に関しては、まあぶっちゃけ大槻ケンヂ的な見解を持っているが、そうやって遊ぶ前にはまず、検討して考察しなければどうしようもない、ということは間違いなく、言える。

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