【萌え談義・その7】・「過去の物事を現在のオタク用語にあてはめて解釈する件」
ネットウロウロ(大流行語。使う人は使用権を私に払ってください。代金は大戸屋で何でも私の好きなものをごちそうしてくれること)していたら、「元祖ツンデレは痴人の愛のナオミ」だの、ノラ・ミャオだのという意見が出ていた。
が、いくら遊びの発言だとはいえ、さすがにどうにかしたもんだと思う。
・その1
無粋を承知の上で書くが、「ツンデレ」でも「萌え」でもいいけれども、そういう言葉が意味を持つのは、今までも当然そのように解釈されてきたキャラクター造形が新たなる名称を付与されることによって「今、現在」、新しく立ち上がってくる、そのことにこそある。
だから、その名称が生まれる過去にさかのぼって、「どれどれのキャラクターが萌えだった、ツンデレだった、戦闘美少女だった」と言ったところで、何の意味もない。
もちろん、私はメイドものとかBLとか百合とかの観点をもって、過去の文学作品だとか歴史上の人物だとかが評価されたりすることも知ってはいる。が、それはあくまでも「遊び」として面白いかどうかというところでその是非が問われるはずだ。
で、少なくとも私が見た文脈の中では、「元祖ツンデレ」を特定することがそれほど面白いことにはなっていない。
・その2
そもそも「ツンデレ」という言葉がどうして流行るようになったのかというと、私個人の考えでは、もともとのオタクにおける処女的キャラクターの造形にあまりにリアリティがなくなってきたためだと思う。
従順で、内気で、男を立てるような女の子のキャラ造形が時流と合わなくなってきた。だから、オタクワールドの中でそうした部分、言い換えれば「ヴァージニティ」を担保するために、「表面上は冷たい、男に媚びるようなことはない」が、「自分にだけは、甘えた態度をとってくる」キャラクターの造形という二段階作戦が必要になった。
さらに、「ツンデレ」というキャラクターを確保しておけば、「ツンデレではない」旧来のヴァージニティを持ったキャラクターをも相対的に維持できる。
それともう一方で、男性自身に「理想の男像、マッチョイズム」を拒否する傾向が強くなってきているということもあるだろう。ショタだとか、女装少年だとかが微妙に流行っているのもその流れ。
オタク用語というのは、常に過去のなにがしかが時流に合わせて(オタク的に)リニューアルされねばならない、という要請から生まれるので、そこを心得ておかないと、過去のことまで新造語で解釈するという一種のパラドックスが生じてしまう。
簡単に言えば「鳥獣戯画」を「日本最古のマンガ」と称するような、「阿呆陀羅経」を「日本最古のラップ」と称するような、一種の倒錯がそこに出てくる。
もっとも、前述のとおり「遊び」として見立てるとか、確信的に、特定の歴史観によって歴史の読み替えを行いたいというのならまた別だが、単なるあてはめ合戦になるんだったらたいして面白くもない。やらない方がいい。
それとは逆に「オタク的にリニューアルされねばならない」要請を、外部の人間が重要視する必要もない。それは「オタクにとっての」重要事であるだけで、一般人にはどうでもいいことが多いからである。
| 固定リンク
「萌え」カテゴリの記事
- 【表現】・「ラッキースケベ、および少年ラブコメ問題」その1(2017.07.09)
- 【問題】・「ゆらぎ荘の幽奈さん巻頭カラー問題」(2017.07.09)
- ・「シュルルン雪子姫ちゃん」 永井豪、天津冴(2011、角川書店)(2011.07.25)
- ・「トランジスタ・ティーセット ~電気街路図~」(1)~(3) 里好(2009~2010、芳文社)(2011.01.30)