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【雑記】・「今の音楽がつまらないというぼやきについて」

「日本の底力は『おもしろければなんでもあり』にあり」
元メガデスのギタリスト、マーティにJ-POPに関してインタビュー。
赤兜にて知る。

マーティのインタビューは非常に興味深いものなんだが、気になったのはインタビュアーの書いたマクラの部分。

テレビの音楽番組でかかるのは、なんだか独りよがりの曲ばかりに聞こえるし、家族ができると、自分が好きな曲よりまずは子供の童謡だ。今、自分が聴きたい曲はどこに、いや、そもそもあるんだろうか。あるなら、どこで探せばいいんだろうか。

 「これじゃあ、音楽産業が元気ないのも無理ないな。そもそも『J-POP』なんて言い出した頃から、俺たち聴きたい曲がなくなってきたんだよ! ヘタウマとか、どこかの洋楽のパクリとか、自分の小さな幸せとか、なんだかそんな曲ばかりじゃないの?」…と、思っている方、私以外にもいらっしゃいませんか。

まあ、こういう疑問から、よりマーティの主張の骨子が明確になっているから、わざととぼけているのかとも思えるが……。
このインタビュアーが本気でこういうことを思っているんだったら、大問題であるように自分には思える。

インタビュアーは四十代だそうだけど、これじゃあ、旧世代(現在五十代以上)が世の中の変化についていけなかったのと同じじゃないか。「今現在がダメで、昔は輝いていた」ってぼやくだけの、ただのオヤジになっちゃった、この人。

いちおうクソマジメに書いておくと、少なくともこの30年間くらいの間、日本のポップスの裏テーマは「地縁、血縁からいかに遠いところに行くか」だった。
ポップスだけじゃない、一般的なエンタメが、総論としてはそっちに行っていた。

だから、ポップスでは地縁、血縁と強く結びついていた演歌は大幅に聴かれなくなった。四畳半フォーク→ロック→ダンスミュージックだとか渋谷系だとか、という大きな流れも、「いかに旧来の地縁・血縁的なものから離れるか」という流れになっていると思う。

もちろん、人間それだけじゃ寂しいから、「地縁・血縁」をテーマのひとつに持っているものもある。「モーニング娘。」なんかはそうだった。ヒップホップもそういう面はあると思う。
ただし、私個人はどうしても大きな流れとしては「あんたら(一般のお客)がつくってきたんじゃん、この流れ。今さら寂しいとか聞きたい音楽がないとか言うなよ」と思ってしまう。

「地縁・血縁から離れる」のがテーマだというのはどういうことか。たとえば、ポップスのかなりの量が、「恋愛」を歌う。数として圧倒的だ。
で、「結婚」とか「家族」とかになると大幅に少なくなる。歌詞の中で語られても、それはいわゆる「ニューファミリー」だったりした。

「ニューファミリー」こそ、ある時期まで地縁・血縁から離れた「約束の地」だったが、もうすでに60年代後半から限界が見え始めていた。早っ!! でも本当にそうだから。
キヨシローが「仕事しているおとうさんの歌」とか歌っていたが(タイトル忘れた)、あれは「あえて感」丸出しだったからちょっと違う。

地縁、血縁から離れるのが裏テーマだから、すでに家族を持っているおとうさんが聞きたい曲が無いのは当然とも言える。
マーティのインタビューでは、そりゃ自分の商売だから、小さい子供のいるおとうさんでもJ-POPを聞くべきだということになっているが、実際にはとくべつ音楽にこだわりがないかぎり、中年以上になると新譜は聴かないのが普通だろう。

そう、「新譜を聴かなくなる」というのがポイントなんだろうね。人間、四十を過ぎればほとんどの人がそうなる。
だって、「新譜を聴く」ことに何も理由が無いから。他のジャンルでも、たぶんそうだろう。

興味深いのは、別にそうなる方が普通なのに、どのジャンルでも、「そのジャンルに入り込めなくなった人の多く」が、
「ある時期までそのジャンルのエンタメは自分の方を向いていた。そして正しかった。しかし、ある時期から間違った方に進み始めた」と感じているということ。

でも、これはその人自身が何かを捨て去って、何かを得てきたからこそ感じることだろう。その人が人生の何かを選び取ったことによって、たぶんどのジャンルでもヴォリュームゾーンである十代から三十代前半くらいまでの客(ちょっと幅を多く取りすぎているが)の意識と乖離していく。

引用したマクラの部分は確かに秀逸で、これ書いた人は状況が保守化しているのか、それとも革新性を追及しすぎてダメになったのかもわかっていない(あるいはわかっていないフリをしている)。そして、ただ不満だけが心に残る……ということになる。

人間、年齢を重ねたらオヤジ化するのはむしろ当然だから、どんどんオヤジ化すればいいが、「自分が状況の変化を把握できていない」ことをも把握していない、というのはカッコ悪すぎる。

たとえば阿久悠は天才だったが、阿久悠を持ち上げるときに、私小説的な歌を歌っていたシンガー・ソング・ライターを下げることは明らかに間違っているだろう(阿久悠の死が報じられたとき、安易にそうした語りが多かった)。どちらも歌謡曲史では無視できない潮流なんだから。

まあ、このインタビュアーがそう言っているわけじゃないけど、この最初の「マクラ」は、そういう安易な過去批判の延長線上にあることは間違いないから。

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