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【音楽】・「イカ天特番」

正式名称忘れた。大晦日の夜にやっていたはず。

「イカ天」に関しては、CDも買ったし、「消えた!? イカ天バンド」という本も読んだし、ネットで思い出しては検索してみたりといったことをしているので、とりたてて懐かしくもなんともなかった(40歳の相原勇が美貌を維持していることに、いちばん驚かされた)。

番組としては、ユーチューブなどで観る「当時のイカ天」の、当時からしてのダサさと80年代後半特有のダメさ加減を見事に消臭していて、そっちの方が興味深かったりした。

まあ、音楽ファンには音楽ファンの視点があるんだろうけど、「バラエティ番組」として観ていた私が「イカ天」について私見を書いてみたい(あ、今回の特番のことじゃなくて、当時の「イカ天」のことね)。

前書いたっけかな? 忘れた。

・第1部
まずいちばん印象的だったのは、当時橋本治が週刊誌か何かで「イカ天」についてコメントを求められていて、「出演者の礼儀がなってない。礼儀のなっていない若者は嫌い」と言っていたこと。

イカ天の根本的な「殺伐とした感じ」(少なくともほのぼのムードではない)は、当時、ロックバンドはコメントでもつっぱっていなければならないという認識が今以上にあり、それをアマチュアバンドが忠実に踏襲していたことにあると思う。
(そういうことが芸としていちおう昇華されていたのは池田貴族だけだったんじゃないか。)

それと、審査員が「打ち込み」と「英語の歌詞」を異様に嫌っていたことも思い出される。前にも書いたが、その後「テクノ」が流行って、「打ち込み」と「歌詞に意味を極端に求めない」傾向のものが流行ったりしたことも印象的である。
まあ、パラダイムシフトの象徴的な例じゃないでしょうか。

それと、音楽のことはよくわからんがファンクっぽいのがもてはやされてたよね。萩原健太はファンク的なものに好意的だった記憶がある。
「フライングキッズ」や「宮尾すすむと日本の社長」はそうでしょ。

「礼儀」の話に戻ると、当時、すでに「筋肉少女帯」や「聖飢魔II」はデビューしていて、「ロッカーが必ずしもいかにもロックミュージシャンな態度をとる必要は無い」という雰囲気も確実にあったんだけれども、それと同じくらい、「ロックらしさ」を細部にわたって希求する心情が、ミュージシャンたちにあったのだろうと思う。

それはそのまま、80年代の「ネタ」と「マジ」の距離感というか、一種のねじれ現象を表していると思う。

・第2部
番組全体としてもさまざまな「ねじれ」が随所に見られる。
簡単に言えば「ロックバンドを扱ったコンテスト形式による、ややバラエティ寄りの番組」としての洗練されてなさ(オープニングのコントが異様につまらないなど)や、審査員のチグハグさなど。
あるいは相原勇まで当時CDデビューしていて、なおかつボクっ子だったりするのが自分はイライラしてしょうがなかったり。

けなせば辛口のわりに、ホメれば気持ち悪いくらいに絶賛、というのも自分はイヤだったね。
あるいは「アマチュアバンド」って何なんだ、っていうことに番組がきちんと答えを出していない気恥ずかしさもあった。まあそういうことを真剣に考えている人は、当時少なかったんだけどね。

当時のナンシー関のエッセイにも「イカ天」に関するものがあったが、そこには「ロックファンが、イカ天のあり方を不安をもって見守っている」と言ったようなことが書かれたくだりがあり、当時番組の形式として「正解」はなかったにせよ、「イカ天」という番組全体が、必ずしもベストなものとして受け取られていなかったというのは、ロックファンの間ではあったらしい。
自分も、そういう面はあっただろうなと思う。

・第3部
肝心の出演バンドの件なんだけど、当時はわからなかったけど、今考えると「イカ天」以前、あるいは同時代のアマチュアだとかライブハウスだとかの状況がわかってくれば、より楽しめたんじゃないかと思う。
単純に「色モノ」としてくくられていたが、「たま」とか「マサコさん」はナゴム出身だったし、当時、ある種の「色モノバンドの流れ」というのがあったのではないかと想像できる。ハードコアはハードコアでまた別に流れがあったのだろう。
一方で、長年やってたおじさんバンドとかもあったしね。

それらがすべて並列で語られてしまうだけならまだしも、コンテストだから「対決」してしまう場合もあったりして、その「比較にならないものを比較する」面白さはあったと思う。

ただし、あまりに雑駁に「バンド」として番組内でひとくくりにされすぎていたところはある。
氏神一番だって、彼ってもともとロック志向じゃなくてむしろ二世代くらい前の「スター」に憧れている人だったりするからね。まあそこまではだれもほじくり返さなかっただろうけど、振り返ってみると事実として、ある。

・第4部
「イカ天」は、ずいぶん今まで否定的にとらえられてきたなという印象が個人的にはある。それは「消えた!? イカ天バンド」という本が全体的にあまりにネガティヴさをかもし出していたということもあるし、「音楽が色物として扱われた」という恨み節がどこやらから聞かされることがあるからでもある。

また、ミュージシャンとして残った人があまりに少ない、ってのもあるだろう(スタジオミュージシャンみたいな人はいるのかもしれないが、あくまで一般人が知っているレベルで)。

ただし、このときの混乱が後の「J-POP」を準備したということは確実に言える。
「イカ天」の多様性を、よりメジャー感覚でもって交通整理したのが90年代のJ-POPだったんだと思いますよ。

たぶん異常なまでの数のバンドがデビューさせられ、消えていったんじゃないかと思う。
それは「バブル」と呼ばれても仕方ないだろう。
しかし、私自身は「アンダーグラウンドのものがフィルターをほとんど通さずに表舞台に出た」ことの方が大きかったと思う。そこに「イカ天」の可能性と限界が同時にあった。

「イカ天」が盛り上がっていた89年より数年前、87年頃あたりからコミケをアニパロで参加する人が確か爆発的に増えているはず。
つまり、「プロとアマチュアがボーダーレスになった」、その象徴的な出来事が80年代後半、コミケの盛り上がりとバンドブームというふうに、各ジャンルでいろいろと起こって来ていたのではないかと。

だから、「けっきょく本物はビギンだけだったね」という感想を自分は持たない。
イカ天の主役は、あくまでもむしろ泡沫的なバンド群なのだから。

なお、やたらと厳しいコメントをしていた吉田健(打ち込み嫌い)は、後にTMネットワークに参加したとかしないとか。
村上ポンタ秀一は「やまだかつてないテレビ」でたぬきかなんかの着ぐるみを着てドラムを叩いているのを目撃したことがある。

審査員だって人生、簡単には行かないようなのであった。

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