【雑記】・「このブログは、私の心のごみ捨て場です。他の人のことは知らん。」
もう日本は終わりかもな……。
こういう騒動、昔から繰り返しあるわけだけど、
「正解」があるはずなんですよ本質論的な。
たとえば、一人が不快と言ったらその意見が通るのか。二人なら通るのか。三人なら……と考えてみる。
「受け手が不快と言ったら、送り手の出したものを取り下げるべきである」という変なルールみたいなものは、つくられるべきではない。
最近思うが、「不快な文言とかビジュアル」というのは、それだけの理由で存在が消されるべきではない。
ただし、不快なものを「不快だ」という権利は、もちろんある。
私は「ぼくらの」というアニメを、あらすじを聞いただけで気分が悪くなって、金輪際観ようとは思わないけど、
「ぼくらの」をだれかが観る権利は、当然あると思う。っていうか、みんなどんどん観ればいい。
どっちも「意見」なんだから、両方並び立つようにはならないもんか?
なんでこういうことを書くかと言うと、「不快なもの」が完全に抹消されてしまうと、次の段階で「どういうことが不快だったか」ということがわからなくなってしまうという面があるから。
たいてい、こういう騒動が繰り返し起こるというのは、構造的な問題がどこかにあるということだから、現場レベルではなかなかむずかしいと思いますけどね。
それともうひとつ、注意しておかないといけないのは、
「エロ」に関する事情が変わってきているということ。
これはとくに、私みたいに「いちいち自主規制とか、ふざけんじゃねー」と思っている人こそ、認識しておくべきだと思う。
規制を求める側が、「エロ」をとりまく状況の変化を盾に主張をしたときに太刀打ちできなくなるからだ。
たとえば、ネットなどでも「エロ」、「ハダカ」自体は異様なまでに気軽に観られるようになった。
その点は、ネットが発達する前と事情が違う。
だから、「規制しろ」と言っている側は、「こんなにエロがあふれていて、まだエロいことしたいのか」という意識があるかもしれない。
まあ、そこから先は各自考えてください。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 【雑記】・「読んだ気観た気になっていい気分になるならまだいいが」(2009.04.02)
- 【雑記】・「ひとりごとターイム4」(2009.03.01)
- 【雑記】・「ひとりごとターイム3」(2009.02.26)
- 【雑記】・「ひとりごとターイム2」(2009.02.25)
- 【雑記】・「ひとりごとターイム」(2009.02.17)







